全ての戦争を終わらせるための戦争
本日は、Remembrance Sunday(追悼の日曜日)でした。11月11日に一番近い日曜日。
1914年の6月28日に、バルカン半島、サラエボで響いた一発の銃声に端を発するThe Great War、こと、第一次世界大戦は、1918年、11月11日の午前11時にて、終結。11月11日は、Armistice Day(終戦日)と呼ばれています。回避しようという気があれば、回避できた戦争であったと言いますが、1914年の8月にはすでに、ヨーロッパ7カ国が参戦、終戦の際には、世界30カ国が巻き込まれていました。
終戦後、時の英国王ジョージ5世(現エリザベス女王の祖父)が、この日の11時に、死者のために2分間黙祷を捧げるよう促して以来、その伝統は今でも続いています。
毎年、Remembrance Sundayの式典が行われるのが、この慰霊碑の回り。英国王室メンバー、政治家などが一同集まりますので、イギリスの要人が一挙に会したのを見たかったら、絶好の時と場所でしょう。
11時のビッグベンの鐘の音が鳴り響くと、全員2分間の沈黙。エリザベス女王が、国民とイギリス連邦を代表してポピー(けし)の花輪を捧げ、その後次々と他の参列者が花輪を置き、儀式後は周りがポピーの花輪でいっぱいになります。
本日の追悼式の様子は、こちら。
ポピーがシンボルとして使われるのは、第一次大戦中のヨーロッパの戦場跡で、無数のポピーの花が風に揺られて咲いていた為。長い間、地内に埋まったままだったポピーの種が、戦闘で土地がほじくり返されたことから、一挙に咲き出したと言われています。
第一次世界大戦の記念碑は、イギリス中の村や町に見られます。死んだ人たちの名前なども彫られていたりします。小さな村だったりすると、その村の若者は、全て死亡、何ていうこともあったのでしょう。
「The war to end all wars」(全ての戦争を終わらせるための戦争)であったはずの第一次世界大戦の終戦91年経った今は、アフガニスタンからの訃報が次々入ってくるご時勢です。
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余談:子沢山だったヴィクトリア女王の末裔達
第一次世界大戦当時、敵国として戦った、イギリス王(ジョージ5世)とドイツ皇帝(ウィルヘルム2世)は、いとこ同士で、2人とも、イギリスのヴィクトリア女王の孫。また、大戦中に起こったロシア革命で、暗殺される、ロシア最後の皇帝のニコライ2世の皇后アレクサンドラも、ヴィクトリア女王の孫でした。
「ヨーロッパのおばあちゃん」などとも呼ばれるヴィクトリア女王の末裔は、ヨーロッパ王室中にちらばって、エリザベス女王のご主人のエジンバラ公プリンス・フィリップもギリシャ王室の出身ではありますが、ヴィクトリア女王の末裔の一人であり、また、現スペイン王、ファン・カルロス1世もヴィクトリア女王の血を引いています。
1914年の6月28日に、バルカン半島、サラエボで響いた一発の銃声に端を発するThe Great War、こと、第一次世界大戦は、1918年、11月11日の午前11時にて、終結。11月11日は、Armistice Day(終戦日)と呼ばれています。回避しようという気があれば、回避できた戦争であったと言いますが、1914年の8月にはすでに、ヨーロッパ7カ国が参戦、終戦の際には、世界30カ国が巻き込まれていました。
終戦後、時の英国王ジョージ5世(現エリザベス女王の祖父)が、この日の11時に、死者のために2分間黙祷を捧げるよう促して以来、その伝統は今でも続いています。
そしてその式典は、Remembrance Sundayに、行われるしきたりです。現在は、第一次、第二次、及び、全ての戦争の犠牲者のために祈りを捧げる日。
上の写真は、南は国会議事堂と、北はトラファルガー広場を結び、南北へ走る官庁街、ホワイトホールの南端の道の真ん中に立つ、Cenotaph。もともとは、第一次世界大戦で、命を落とした戦士達の慰霊碑として作られましたが、今では、全ての戦争で命を亡くした者の慰霊碑でもあります。
毎年、Remembrance Sundayの式典が行われるのが、この慰霊碑の回り。英国王室メンバー、政治家などが一同集まりますので、イギリスの要人が一挙に会したのを見たかったら、絶好の時と場所でしょう。
11時のビッグベンの鐘の音が鳴り響くと、全員2分間の沈黙。エリザベス女王が、国民とイギリス連邦を代表してポピー(けし)の花輪を捧げ、その後次々と他の参列者が花輪を置き、儀式後は周りがポピーの花輪でいっぱいになります。
本日の追悼式の様子は、こちら。
ポピーがシンボルとして使われるのは、第一次大戦中のヨーロッパの戦場跡で、無数のポピーの花が風に揺られて咲いていた為。長い間、地内に埋まったままだったポピーの種が、戦闘で土地がほじくり返されたことから、一挙に咲き出したと言われています。
10月中ごろから、巷では、胸につけるための紙でできたポピーを売る、ポピー募金が始まります。ブリティッシュ・リージョン(The British Legion)と呼ばれるチャリティー団体によるもので、現役の兵士、また、引退した兵士、その家族達の為のチャリティー。
この時期、テレビを見ると、ニュースキャスター、政治家、タレント、皆、胸にポピーを付けてますが、政治家などは、愛国心をアピールしようと気張り、このポピーを付け始める時期が、毎年毎年、早くなっているようで、やりすぎなんじゃないか、という批判も出ていますが。
1914年の夏、参戦した当時のイギリスは、「この戦争は、クリスマスまでには終わる」と楽観的だったようですが、どんどんと長期戦へもつれ込み、死者、負傷者の数は増し。第一次大戦で命を落とした若者達の世代は、この戦争で、ぽっかりと穴が開いたため、「失われた世代」とも呼ばれます。
第一次世界大戦の記念碑は、イギリス中の村や町に見られます。死んだ人たちの名前なども彫られていたりします。小さな村だったりすると、その村の若者は、全て死亡、何ていうこともあったのでしょう。
「The war to end all wars」(全ての戦争を終わらせるための戦争)であったはずの第一次世界大戦の終戦91年経った今は、アフガニスタンからの訃報が次々入ってくるご時勢です。
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余談:子沢山だったヴィクトリア女王の末裔達
第一次世界大戦当時、敵国として戦った、イギリス王(ジョージ5世)とドイツ皇帝(ウィルヘルム2世)は、いとこ同士で、2人とも、イギリスのヴィクトリア女王の孫。また、大戦中に起こったロシア革命で、暗殺される、ロシア最後の皇帝のニコライ2世の皇后アレクサンドラも、ヴィクトリア女王の孫でした。
「ヨーロッパのおばあちゃん」などとも呼ばれるヴィクトリア女王の末裔は、ヨーロッパ王室中にちらばって、エリザベス女王のご主人のエジンバラ公プリンス・フィリップもギリシャ王室の出身ではありますが、ヴィクトリア女王の末裔の一人であり、また、現スペイン王、ファン・カルロス1世もヴィクトリア女王の血を引いています。
女王様がポピーをたくさんつけていましたね。
返信削除赤い羽と比べるとポピーは可愛くて良いです。
話は変わりますが、右にある写真の
機関車のようなものは何でしょうか。
あれは、古い機関車です。アンティークのお店の多い界隈の道端にそのまま錆びた姿で置かれていました。
返信削除先月、ひまわりの様に大きいポピーを胸につけた政治家がテレビに出てきたのを見たときは、ちょっとびっくりしました。あれだったら、女王のように小さめのを沢山の方が品がありますよね。
みにさん ご無沙汰致しております。こんなことになってしまいました。二人とも元気でいますからね。
返信削除ヨーロッパ列車の旅という番組でイギリスの風景を見ています。
貴女もお元気そうで何よりですね。ここを「お気に入り」に入れましたので、また、見させていただきます。
ありがとう 吉野朝男
吉野さん、今晩は。
返信削除わざわざ、来て頂いてありがとうございます。毎日の実生活が、充実して、お元気であれば何よりです。
イギリスの電車は日本の電車に比べ、キャンセルも遅れも多いし、高いのですけれどね・・・綺麗な景色の中を走る路線は沢山あるのでしょうが。イギリスに来られる際はご一報下さい。
ミニさん はじめまして、イギリスにお住まいとのことあこがれです。いつか行ってみたいと思っております。
返信削除テレビのキャスターや政治家、王室まで胸につけている花は何なのか、ずっと不思議に思ってました。やっと理解出来ました。ありがとうございます。これからも時々おじゃまします。
ミセスせつこさん、はじめまして・・・というより、私の知っているミセスせつこさんですよね、多分。お久しぶりです。覗いて下さってうれしいです。
返信削除最近は、本当にポピーを胸に飾る人たちがテレビに登場するのが早くなってきました。アフガニスタンでの英兵の死者の数が増え、毎日のように取り沙汰される大問題なので、政治家は特に、兵士への支持を見せようという政治的な計算もあるのかもしれません。