月長石

インドの4本の手を持つヒンズー教の月の神。その聖なる彫像の額に飾られた黄色のダイヤモンドは、The Moonstone 月長石。

3人のヒンズーの神官に守られたこのダイヤモンドを、インドへ送られていたイギリス人貴族将校が盗み取り、イギリスへ持ち帰る。その際、彼は、この3人の神官達を殺害した疑惑が。インドでは、神聖で精神的なものである月長石が、イギリスでは、人間の欲を誘う高額な物品。イギリスにて、彼の死後、遺言で、ダイヤは、彼の姪のレイチェル・ヴェリンダーへ、彼女の18歳の誕生日に渡される。ところが、誕生日パーティーの翌朝、ダイヤは紛失していた・・・。内部の人間によるものか、それとも、ダイヤの後を追ってイギリスまで来ていた3人のインド人(殺された3人の神官の後継者)の仕業か。

ヴィクトリア朝の作家、ウィルキー・コリンズ Wilkie Collins の作品、「月長石」(The Moonstone )は、この消えたダイヤの謎解きミステリーです。チャールズ・ディケンズが編集を司った週刊雑誌 「All the Year Round」に1868年の1月から32週に渡り掲載。

以前の記事 「探偵の誕生」に書いた様に、1860年に実際に起こったロード・ヒル・ハウス殺人事件に多少のインスピレーションを受けています。

登場する刑事カフは、ロード・ヒル・ハウスの調査にロンドン、スコットランド・ヤードから送られたジョナサン・ウィッチャー氏がモデル。両事件とも、夜間に、内から鍵のかかった田舎の邸宅内で発生。実際の事件では、血に染まった寝巻きが見つからない事が鍵となり、小説では、ダイヤモンドを盗んだとされる犯人は、ペンキの付いた寝巻きをどこかに隠したとされています。小説では、この寝巻き、後に、館から歩いて行ける海岸線の流砂の中に隠されているのが発見されますが、この寝巻きの意外な所有者がわかった時は、結構びっくりしました。

物語は、事件に関わった数人の人物によって、其々の私感を入れて語られていきます。

前半、ヨークシャーのヴェリンダー家の館を舞台に、ダイヤの紛失までのいきさつ、その直後の捜査を語るのは、飄々とした一家の老召使、ベタレッジ氏。

ダニエル・デフォーのロビンソン・クルーソーが大好きな彼は、事あるごとに、「ロビンソン・クルーソーのxxページに、こう書いてある!」と、さかんにこの本から引用。召使としての義務を冷静に果たそうとしながらも、カフの捜査に協力するうちに、謎解きへの好奇心と熱にとらわれ、「Detective Fever (探偵熱)にかかってしまった。」とぼやく。これは、ロード・ヒル・ハウス事件で、一般庶民が探偵熱で、にわか探偵と化した社会現象を背景にしているのでしょう。


 薔薇好きのカフは、館に滞在中、捜査をしていない時は、館の庭師と薔薇の育て方について喧々囂々の議論。後半で、彼は引退して、田舎の薔薇に囲まれたコテージに引っ越してしまう、という変わった設定。

ウィルキー・コリンズは、リュウマチ性関節炎の痛み止めとして、阿片とアルコールを混ぜた、laudanum(日本語では、アヘンチンキと訳すようです)を常用。多量使用のしすぎで中毒の様になってしまい、当小説連載中は、この依存を減らそうと、飲むのを止めては、痛みに負け、また飲む・・・の様な状態だったそうです。その影響から、この本に登場するキャラクターの一人が、病気の痛み止めに、やはりアヘンチンキを多量に常用する様子が描かれています。何でも、ウィルキー・コリンズの1860年代の小説全てに、アヘンチンキが登場するのだそうで。

アヘンチンキは、当時は処方箋も無く買え、しかも一般のアルコールよりも安価だった為、中毒者も多かった。小説内では、やはり阿片常用者だった英評論家トマス・ド・クインシー(Thomas de Quincey)の「阿片服用者の告白」(Confessions of an English Opium-Eater) にも触れています。

これも余談になりますが、文章内にan old japanned tin case (直訳:古い日本されたブリキのケース)という表現が出てきて、何の事かと思ったら、当時、japannning(直訳:日本する)とは黒の漆加工をする事を指したと脚注にありました。ヴィクトリア朝イギリスでの日本のイメージは、黒の漆器ですか。

人間が、表面に見せる顔は必ずしもその人間の本質ではない。事実だと思われるものでも、別の隠れた説明が与えられると、見た目とは相反する状況を示す。そして、その事実と思われるものを、何人かの人間が其々の立場から解釈することで誤解と混乱が起こる。そうした誤解に反応し、個々人が取った行動で、事件は、必要以上にこじれていきます。

先が知りたくて、次々とページをめくり、わりと早く読み上げました。T.S.エリオットが、この小説を、「イギリスで最初にして、最長、最高の探偵小説」と称した時代からは、かなり時が経って、その間、出版された探偵小説は数知れないでしょうから、それが今でも当てはまるとは言いませんが、確かにとても楽しめました。

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