キット・キャット・クラブ
「キット・キャット・クラブ The Kit-Cat Club」という本を読みました。
キット・キャット・クラブの後世の英国文学・芸術への影響もさることながら、その政治活動は、後のイギリスの行く末を決める鍵になったなどいわれています。
才能はあっても、コネとカネが無いと、なかなか成功できなかったりするのは現代でも同じ。少なくとも、キット・キャット・クラブのメンバーの貴族達は、お馬鹿な血縁者より、才能のある他人のクラブメンバーを支援する傾向があったそうで、才能重視の団体であったそうです。ただ、政治傾向などでクラブに属さない作家は、キット・キャットのパトロンからの庇護はほとんど期待できない、という事実もあり、その点では、全思考、全才能を認めるという、包括的なものでは無かったのでしょう。
当時の、政治と文学の結びつきの強さには、この本を読んで改めて気がつきました。キット・キャット・クラブは、ウィッグ党(Whig)支持であったため、メンバーの作家達は、世論を扇動するため、ウィッグの立場に基づいた世界観や意見を表する政治パンフレットなどもさかんに執筆。
当クラブに属した著名な文筆家には、劇作家ウィリアム・コングリーヴ、劇作家で後建築家のジョン・ヴァンブラ、随筆家詩人のジョゼフ・アディソン、リチャード・スティール等。
「ガリヴァー旅行記」の作家、ジョナサン・スウィフトが、キット・キャット・クラブに属す貴族達から支援を得られず、当クラブに対する根強い敵対心を持っていた様子も描かれていました。スウィフトは、後、ウィッグ党に相対するトーリー党(Tory)陣営に組します。また、真のイギリス初の小説と呼ばれる「ロビンソン・クルーソー」(1719年出版)作家のダニエル・デフォーは、自らの意思で、こうしたサークルには属さず、アウトサイダーとしての存在を選んだとも。キット・キャットに属さなかったこの2人の方が、今や、キット・キャット作家達よりも、世界的に名が知られているというのも皮肉なものです。
クラブは、上にすでに触れた様、政治的には、ウィッグ党支持のプロテスタントで、反カソリック、反フランス。フランス風絶対君主制反対。よって、1688年に、カソリックの王、スチュワート家のジェームズ2世を追い払い、オランダからプロテスタントのオレンジ公ウィリアムを、イギリスのウィリアム3世として王座につかせた名誉革命(Glorious Revolution)支持派です。
ウィリアム3世の妻は、ジェームズ2世の娘で、プロテスタントであったメアリー(メアリー2世)。1702年のウィリアムの死後は、すでに亡くなっていたメアリーの妹のアンが王座につきます。
世継ぎが無いアンの死後、王座が再びカソリックの手に戻らぬよう、プロテスタントであり、英王室と血縁でもあるドイツ、ハノーヴァー選帝侯ゲオルグが王座を継承するよう働きかけるのにも、キット・キャット・クラブのメンバー達が一役買っています。1714年、ゲオルグは、ジョージ1世としてイギリス王座につき、英国ハノーヴァー朝が始まります。
(上記歴史事項に関する過去関連記事は、「ケンジントン宮殿」、「狂ったジョージと太ったジョージ」。)
キット・キャット・クラブ自体は、ジョージ1世が王位に付いた後、内部のいがみ合いにより衰退し、最後の会合は1718年。尚、ジョージ一1世、ジョージ2世のもと、イギリス初の首相となるロバート・ウォルポールも、当クラブ存在時は、そのメンバーでした。
この本には、キット・キャット・クラブの名が、後世に再使用される様子も書かれています。
時代飛んで、1920年代、ロンドンのヘイマーケットに、その名も、The Kit-Cat Clubという名のレストラン兼、ジャズのキャバレーが開店し、第2次世界大戦中まで営業されます。このキャバレーの名は、その後、1930年代ドイツ、ベルリンを舞台にした、ミュージカル、及び映画「キャバレー」に登場する架空のキャバレー、キット・カット・クラブ(Kit Kat Club)として使われます。
そして、日本では、キットカットとしておなじみのチョコレートの KitKat も、そもそもの名の由来は、キット・キャット・クラブに遡ると。この本の著者は、「キットカットは日本で、幸運を意味する言葉に響きが似ているので、受験期に人気である」の様なことを書いていました。日本人として、厳密に言わせてもらうと、「幸運」と言うより、「きっと勝つ」で「必勝」の意味だと思うんですが。
本も、出版前に、編集や試し読みが沢山入っているのでしょうが、些細な部分で、ちょっとした間違いが修正されず、世に出てしまうものです。出版された本が多少の間違いを含んでいるのなら、編集などほとんど入らないようなインターネット上の情報の間違いの数たるや、星の数ほどでしょうね・・・。
本もインターネット情報も参考程度に考えて、100%正確と信じ込まない方が良い・・・と自分に教訓しながら、この本、18世紀初期のイギリスを理解する参考として、なかなか面白かったです。
17世紀も終わりに近づいた頃、ロンドンの出版業者ジェイコブ・トンソンを軸に、クリストファー・キャット氏経営の居酒屋で会合が始まったこのクラブの経緯と、そのメンバー達を、当時の歴史を背景に解説してある本です。
キット・キャットという名の由来は、色々説がある中、クリストファー・キャット氏が焼いて出していたマトン・パイが、キット・キャットと呼ばれ、クラブメンバーの常食だった事から来ているというのが、一番一般的だそうです。また、キット・キャットの言葉のごろが、チット・チャットchit-chat(世間話、雑談)にも似ているところから、マトン・パイを含め、数々の料理やデザートを頬張りながら、酒を飲んで、にぎやかに議論するクラブのイメージに合っていたと。クラブの会合中に、必ず、時の社交界の美女の名を上げて、その健康を祝して乾杯した、という慣わしも有名です。
飲んで食べて議論しての他に、このクラブは、メンバー内の劇作家、詩人、随筆家等を、やはりメンバーの貴族、有権者が庇護、支援するという役割も果たしていたようで、上に書いた出版者トンソンを通じて、作家とそのパトロンの交流の場でもあったわけです。パトロンの貴族達も、作家や知識人を助けることによって、「趣味・教養のある人物」と見られる益があった。
才能はあっても、コネとカネが無いと、なかなか成功できなかったりするのは現代でも同じ。少なくとも、キット・キャット・クラブのメンバーの貴族達は、お馬鹿な血縁者より、才能のある他人のクラブメンバーを支援する傾向があったそうで、才能重視の団体であったそうです。ただ、政治傾向などでクラブに属さない作家は、キット・キャットのパトロンからの庇護はほとんど期待できない、という事実もあり、その点では、全思考、全才能を認めるという、包括的なものでは無かったのでしょう。
当時の、政治と文学の結びつきの強さには、この本を読んで改めて気がつきました。キット・キャット・クラブは、ウィッグ党(Whig)支持であったため、メンバーの作家達は、世論を扇動するため、ウィッグの立場に基づいた世界観や意見を表する政治パンフレットなどもさかんに執筆。
当クラブに属した著名な文筆家には、劇作家ウィリアム・コングリーヴ、劇作家で後建築家のジョン・ヴァンブラ、随筆家詩人のジョゼフ・アディソン、リチャード・スティール等。
「ガリヴァー旅行記」の作家、ジョナサン・スウィフトが、キット・キャット・クラブに属す貴族達から支援を得られず、当クラブに対する根強い敵対心を持っていた様子も描かれていました。スウィフトは、後、ウィッグ党に相対するトーリー党(Tory)陣営に組します。また、真のイギリス初の小説と呼ばれる「ロビンソン・クルーソー」(1719年出版)作家のダニエル・デフォーは、自らの意思で、こうしたサークルには属さず、アウトサイダーとしての存在を選んだとも。キット・キャットに属さなかったこの2人の方が、今や、キット・キャット作家達よりも、世界的に名が知られているというのも皮肉なものです。
クラブは、上にすでに触れた様、政治的には、ウィッグ党支持のプロテスタントで、反カソリック、反フランス。フランス風絶対君主制反対。よって、1688年に、カソリックの王、スチュワート家のジェームズ2世を追い払い、オランダからプロテスタントのオレンジ公ウィリアムを、イギリスのウィリアム3世として王座につかせた名誉革命(Glorious Revolution)支持派です。
ウィリアム3世の妻は、ジェームズ2世の娘で、プロテスタントであったメアリー(メアリー2世)。1702年のウィリアムの死後は、すでに亡くなっていたメアリーの妹のアンが王座につきます。
世継ぎが無いアンの死後、王座が再びカソリックの手に戻らぬよう、プロテスタントであり、英王室と血縁でもあるドイツ、ハノーヴァー選帝侯ゲオルグが王座を継承するよう働きかけるのにも、キット・キャット・クラブのメンバー達が一役買っています。1714年、ゲオルグは、ジョージ1世としてイギリス王座につき、英国ハノーヴァー朝が始まります。
(上記歴史事項に関する過去関連記事は、「ケンジントン宮殿」、「狂ったジョージと太ったジョージ」。)
キット・キャット・クラブ自体は、ジョージ1世が王位に付いた後、内部のいがみ合いにより衰退し、最後の会合は1718年。尚、ジョージ一1世、ジョージ2世のもと、イギリス初の首相となるロバート・ウォルポールも、当クラブ存在時は、そのメンバーでした。
この本には、キット・キャット・クラブの名が、後世に再使用される様子も書かれています。
時代飛んで、1920年代、ロンドンのヘイマーケットに、その名も、The Kit-Cat Clubという名のレストラン兼、ジャズのキャバレーが開店し、第2次世界大戦中まで営業されます。このキャバレーの名は、その後、1930年代ドイツ、ベルリンを舞台にした、ミュージカル、及び映画「キャバレー」に登場する架空のキャバレー、キット・カット・クラブ(Kit Kat Club)として使われます。
そして、日本では、キットカットとしておなじみのチョコレートの KitKat も、そもそもの名の由来は、キット・キャット・クラブに遡ると。この本の著者は、「キットカットは日本で、幸運を意味する言葉に響きが似ているので、受験期に人気である」の様なことを書いていました。日本人として、厳密に言わせてもらうと、「幸運」と言うより、「きっと勝つ」で「必勝」の意味だと思うんですが。
本も、出版前に、編集や試し読みが沢山入っているのでしょうが、些細な部分で、ちょっとした間違いが修正されず、世に出てしまうものです。出版された本が多少の間違いを含んでいるのなら、編集などほとんど入らないようなインターネット上の情報の間違いの数たるや、星の数ほどでしょうね・・・。
本もインターネット情報も参考程度に考えて、100%正確と信じ込まない方が良い・・・と自分に教訓しながら、この本、18世紀初期のイギリスを理解する参考として、なかなか面白かったです。
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