ヒーバー城

ケント州にあるヒーバー城(Hever Castle)を、訪れました。13世紀に遡るこの城は、幾人かの所有者を経て、現在は、私営の会社によって一般に公開されています。その長い歴史の中、何と言っても、ヘンリー8世の2番目の妻で、エリザベス1世のお母さん、アン・ブリン(Anne Boleyn)が、少女期を過ごした館として、最も有名です。

比較的貧しい家の出身であった、アン・ブリンの曾おじいさん、ジェフリー・ブリン(Geoffrey Boleyn)が、ロンドンの最も有力なリヴァリ・カンパニー(ロンドンの商業組合)であるマーサーズ(高級布地業者)のメンバーとなり、ロンドンのロード・メイヤーに選ばれるまで立身出世をし、やがて、ヒーバー城を入手するのが、15世紀後半。

アンの父、トマス・ブリンは、この館で生まれ、有力なハワード家から、妻エリザベスをもらいす。(ハワード家に関しては、フラムリンガム城についての記事で言及していますので、ご参照ください。こちら。)2人の間に、成人した子供は、アンを入れて3人(メアリー、アン、ジョージ)。館内には、メアリーとアンの子供時代の寝室であったという部屋もあり、それが、比較的小さいのが意外でした。

アンより美人であったとされる、姉のメアリーは、アンがヘンリー8世に目を付けられる以前に、ヘンリーの愛人であったのでは、と噂されてます。真偽のほどはさておき、傍若無人のこの王様と結婚しなかったおかげで、彼女は、死刑の憂き目に合う事もなく一生を終えます。メアリー・ブリンの存在は、2008年の映画「ブーリン家の姉妹」(The Other Boleyn Girl、もう一人のブーリン家の娘)で、一般にもおなじみになりましたが、この映画は、実際の歴史から、かなりかけ離れたメロドラマになっており、歴史や、本当の姉妹の性格、その他が知りたい人には、あまり参考にならない感じです。100パーセント正しい歴史映画などというものは無いでしょうが。メアリーは、ヘンリー8世との愛人関係をつなぐ以前にも、フランスに滞在している際に、フランソワ1世含む他の男性とも関係を持ったとされていて、うぶでシャイなスカーレット・ヨハンセンのメアリーとは、かなり違った人だったでしょうし。

アンは、綺麗さではメアリーに劣っても、聡明でコケティッシュな魅力があった女性の様です。

一方、アンの弟、ジョージは、アンのとばっちりを受け悲劇の最後を遂げています。ヘンリーが、ローマと決別してまで妃としたものの、男児を生まないアンに見切りをつけ、始末しようとする中、ジョージは、アンと近親相姦をしたという、濡れ衣をかけられ、アンのロンドン塔内での処刑の2日前、タワーヒルにて斬首刑。更に、後、彼の妻、ジェーンは、ヘンリー8世の5番目の妻、キャサリン・ハワードの侍女となり、キャサリンの浮気の手助けをしたかどで、やはり、キャサリン妃と共に、斬首刑の最期を遂げます。夫とは、異なり、一般人の目にさらされる事のない、ロンドン塔内での処刑となりましたが。

ヒーバーの教会
アンの父、トマス・ブリンは、子供たち二人が処刑された後に、ヒーバーで亡くなっており、ヒーバー城むかいにある、セント・ピーター教会に埋葬されています。館はこの後、一時的に、トマスの弟に継承されたものの、1540年には、王家に売られ、ヘンリー8世は、結婚後、わずか6か月で離縁した4番目の妻、アン・オブ・クリーブス(Anne of Cleves)に、この館を与えており、彼女の死の1557年までは、この、もう一人のアンの屋敷となります。他にも居住地が与えられていたため、実際、アン・オブ・クリーブスが、どのくらいヒーヴァーに滞在したかは定かではないようですが。彼女は、離婚後も、ヘンリーとは友好な関係を持ち続けたという、ラッキーな人。

この後、館はいくつかの家族の所有となった後、20世紀に入ってすぐに、アメリカの富裕実業家、アスター家の所有となります。「アメリカは、もはや、紳士の住むべき場所でない」と、アメリカかに見切りをつけ、イギリスへ移住したウィリアム・ウォルドーフ・アスター(William Waldorf Astor)は、当館を購入すると、巨額を投資しての修理、改築工事を行います。現在、観光客が見学する館内部の様子も、敷地内にある、湖や庭園も、大部分が彼の尽力によるもの。

館は、1968年に、大洪水によって多大な被害を被り、その修理と維持の費用捻出が難しくなり、1980年代に、アスター家の手を離れ、現在の経営者に売られています。

さて、館の中へ入ってみましょう。外から見ると、石造りで、お城という名にふさわしい貫禄ですが、これが、コートヤードへ足を踏み込むと、まるでイメージが違い、チューダー朝のお屋敷。舞台裏を見るような感じで、一瞬、あれっと思いました。かつて訪れた貴族の館に比べ、こじんまりしているというのが印象です。

ヘンリー8世も宿泊したことがあるとされていますが、実際に泊まった部屋は定かではなく、おそらく館内の一番大きな寝室であったろうと、これを、「ヘンリー8世寝室」と銘打って、アスター家が、当時の様子を再現するように修復してあります。

館内、アンの時代を思わせるよう修復してあるチューダー風の部屋と、アスター家が使用していたのがわかる20世紀に入ってからの一面が共存しています。

この館は、1969年公開のアン・ブリンの100日天下ならぬ、1000日天下の悲劇を描いた映画「1000日のアン」(Anne of  the 1000 Days)、また、9日間の女王ジェーン・グレーを基にした映画「レディ・ジェーン/愛と運命のふたり」(Lady Jane)のロケ先として使用されており、小さな部屋に、それらの映画に関する情報を乗せた展示物がありましたが、そこに、どういうわけか、「1000日のアン」の日本語版ポスターが飾ってありました。公開時、日本で大人気だったのでしょうか、この映画。ヘンリー役はリチャード・バートンでしたね。「1000日のアン」は、なかなか面白かったです。これを機に、また見てみようかと思い立っています。「レディ・ジェーン」の方は、「ブーリン家の姉妹」同様、ちょっと筋がお粗末で、見ていない人には、特に勧めません・・・。なお、「ブーリン家の姉妹」のロケ先には、ヒーバー城は一切使われていません。

ヒーバーは、ウィンストン・チャーチルの館であったチャートウェル(Chartwell)からほど遠からず、油絵が好きであったというアスター家のジョン・ジェイコブ・アスターに、熱烈なるアマチュア画家であったチャーチルが送ったプレゼントとされる、イーゼルのセットも展示されていました。

館内見学が終わった後は、広い敷地内を、ゆっくり散策。この日時計は、「1000日のアン」にも出てきたような気がします。邸内いくつか常緑樹を、色々な形に切り込んだトピアリーがありましたが、日時計の後ろに並んでいるのは、チェス駒型トピアリーのようです。

イタリア庭園には、ぶどう棚もあり。湖に面した立派な噴水もあり。

湖のかなたには、ジャパニーズ・ティーハウスと称される真っ赤な建物があったので、そこまで、湖畔を歩いていきました。

これは現在の経営者が今世紀に入ってから作ったものだそうですが、うーん、日本の茶室ねえ・・・。でも、ここまで歩いてきたのは私たちくらいで、他に人もおらず、しばらく、ここの湖畔に面したベンチから、きらきら光る水面をながめて、対岸の景色を静寂の中楽しみました。

夕暮れも近づいてきた中、本物のティールームの庭でお茶をしたのですが、ずうずうしいほど人馴れした巨大白鳥が、のっしのっしと近づいてきて、招かれもせずに、テーブルに顔を突っ込み、テーブルに乗っていた皿やラミルクジャグやらを、くちばしでくわえようとするのです。これには、可笑しいやら、困るやら。白鳥にアプローチされたことは、以前にも何回かあり、スカートを引っ張られたり、リックのひもを引っ張られたりもしましたが、お茶の時間に、自らテーブルに参加してきたのは、これが初めてです。

やがて、私たちからは、何ももらえないとわかると、のっしのっしと今度は、ティールームの中に入って行こうと試みて、中から出て来たお姉さんに「なに、あんた、ここに入ったらダメだって言ってるでしょう!」と追い返されていました。彼女によると、彼ら、甘やかされている白鳥たちは、雨の日などは、数羽が群をなして、カフェに入ってこようとすることもあるのだそうです。

土産物屋の隣には、人形の家のコレクションがあり、これを冷かしてから、帰途に着きました。私たちは、歩きだったので、電車の時間に間に合うように。

*おまけ、ヒーバー駅から城までのハイキング*

こういう場所に、電車と歩きで来る人などはほとんどいないイギリスの事、ロンドン・ブリッジ駅から電車で45分ほどのヒーバー駅に降り立ち、城へのハイキング路の道しるべを辿るのは私たちだけでした。帰りもしかり。距離は、1マイル(約1.6キロ)と大したものではないのですが。

ほとんどが、ケント州の美しい草原を横切る気持ちの良い散歩道。羊が沢山いました。ただし、最後の部分が、少々、歩道のついていない細い車道を歩かねばならず、欲を言えば、あの部分も、何か、工夫して歩行者専用の道を通れないものかと思いましたが。

歩いて30分以内で、ヒーバー城のゲートハウスにたどり着きます。

帰りも、空がだんだんオレンジになる中、駅までたどり着いたものの、乗る予定であった電車が、線路上を横切ろうとした人物がいたとかで、キャンセルとなり、ほとんど人の気配のない駅で30分以上待つこととなりました。こういう事が、あまりに頻繁に起こるので、こっちの人たちは、電車で行ける場所でも、多くは車で観光するのでしょう。それに、電車賃は比較的高いですし、車で行けば、近くのチャートウェルなども同じ日に一緒に見れる、という利点もあります。

でも、地球温暖化を本気で心配しているのなら、イギリスも、徐々に公共交通機関にもっと力を入れて、一般の人も、電車+歩きで移動する遊山を考慮する事も必要かと感じますけどね。ニ酸化炭素排出量を減らすのだ、と掛け声ばっかりでなく。

ちなみに、もし、ここへ、電車で訪れようという日本人観光客の方がいたら、ヒーバーとかたかなで書きましたが、実際は「Hever」と「v」ですので、ヒーヴァーという発音となります。電車の窓口で切符を買うときなどは、発音に気を付けましょう。わかってもらえなければ、スペルを言ってしまえばいいですが。実際、私の友達は、イギリス人でありながら、切符を買う時に、スペルを聞かれたと言っていました。「ヒーヴァー」という駅の存在を知らなかった係り員にあたったので、「ヒーヴァー?聞いたことないな。それは、どういうスペルか。」となったようです。

なお、ここヒーバー(ヒーヴァー)駅は、無人駅でタクシーもありませんので、ご注意ください。

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