「Castle on the Hill」 はフラムリンガム城
Castle on the Hillに歌われるフラムリンガム城 |
We watched the sunset over the castle on the hill
僕たちは、丘の上の城のむこうに落ちる夕日を眺めた
と唄った「カスル・オン・ザ・ヒル」とは、サフォーク州の小さな町、フラムリンガムにある、フラムリンガム城(Framlingham Castle)。彼曰く、この歌は、サフォークへのラブソングなのだそうです。たしかに、歌にしたくなるような、姿かたちの良い城。城壁に間隔を置いていくつかの塔が築かれている、こうした形のものは、カーテン・ウォール(curtain wall)と呼ばれますが、フラムリンガム城は、カーテン・ウォールを初めて導入した城のひとつであるそうです。
さて、エド・シーランとポップ・ソングばかりでなく、ざっとした城の歴史も、一応見てみましょう。
フラムリンガム城は、主なところで、ノルマン人征服の際に、ウィリアム1世と共にイングランドにやってきて、やがてノーフォーク伯の位を得るビゴッド家、そしてチューダー朝の歴史に関わり深いハワード家(ノーフォーク公)などが所有した城です。
現在の城は、その前に存在した木製の城を、ロジャー・ビゴッド(Roger Bigod、第2代ノーフォーク伯)が、石で建て直した12世紀後半に遡るもの。前述のとおり、当時は斬新なデザインであったようです。マグナ・カルタを無視して傍若無人にふるまい続けるジョン王と、それに反旗をひるがえしたバロン(有力貴族)たちの間での、第1次バロン戦争(1215-1217)中、ロジャー・ビゴットは、反乱側ではあったものの、1216年3月、フラムリンガムへやってきたジョン王の軍に簡単に城を明け渡しています。なんでも、比較的おニューであった城を、下手に戦って、壊されたくなかった、抵抗を見せずに、受け渡せば、後に無傷で返してもらえると思ったのではないか、という話です。ジョン王は、この後、年が明けぬうちに、突然病死。案の定、城は後に再び、ビゴット家に戻り。
城がハワード家の所有となった後、、ヘンリー8世の時代に生きたトマス・ハワード(Thomas Howard、第3代ノーフォーク公)は、アン・ブリン、そしてキャサリン・ハワードと、ヘンリー8世の妻となる2人の女性のおじさんにあたります。野心的で、こうして親戚の若い女性を使っての権力の上昇を図ったところが、キャサリン・ハワードが処刑となった後、彼自身も長男ともども、反逆罪でロンドン塔へ投獄。息子が処刑されてしまった後、自分も同じ道をたどる予定であったのが、処刑前日にヘンリー8世が死んだため、一命をとりとめるというラッキーな人。後を継いだ少年王エドワード6世は、彼の処刑は許してやるものの、ロンドン塔での幽閉は続き、城はエドワードの異母姉のメアリーに与えられます。
エドワード6世が夭折したのち、9日の女王と呼ばれ、プロテスタントであったジェーン・グレーが継承者として持ち上げられた際、カソリックのメアリーは、このフラムリンガム城に逃げ、事がおさまるまで、ここにとどまり、ジェーン・グレー失脚後、ロンドンへ戻り、メアリー1世として戴冠。フラムリンガム滞在中、城の周りにはメアリーの支持者たちが陣をはり、この城の上にはメアリーの紋章の旗が翻っていたそうです。メアリー1世は、トマス・ハワードを許し、彼はついにロンドン塔から出され、城はハワード家に戻されます。やはりトマスと言う名の彼の孫が第4代ノーフォーク伯を継承するものの、彼は、カソリックの傾向があり、スコットランド女王であったメアリー・スチュアートと密かに結婚しようとしたり、その他のカソリック関係の陰謀に関わったことから、エリザベス女王により、処刑。エリザベスは、自分の在位中、城を牢獄代わりに使用。ジェームズ1世が王位につくと、城は再びハワード家に戻されるものの、ハワード家は、すでにメアリー1世の時代から、他の土地に拠点を移しており、城の最盛期はすでに終わっていました。
1635年、法律家、国会議員であったロバート・ヒッチヤム(Robert Hitcham)が、ハワード家から城を購入。すぐ翌年に亡くなり、彼の遺書は、城は城壁を除いて取り壊し、貧しい人間を住ませ仕事を与えるプア・ハウス(Poor House)を作る・・・というものだったそうです。現在、カフェと土産物屋が入っている城内の建物が、そのプア・ハウスとして建てられたもの。
現在、この丘の上の城は、イングリッシュ・ヘリテージにより保存、一般公開されています。
立派な城壁の中に入ると、中はほとんど広場のように空っぽ。お楽しみは、壁の上に登って周囲の景色を眺めながらくるりと一周すること。
学校の遠足が何組か来ていました。制服を着た男の子、女の子があちこちで、わいわい。
城壁の上を歩き、建物内のちょっとした展示物をながめたあとは、ぐるりと、城を囲む水のないお濠の中を歩き、
さらには、湖の反対側まで歩いて、水辺のむこうにそびえたつお城の景色を眺めました。上の写真の右手に見える塔は、フラムリンガムのもうひとつの見どころのセント・マイケル教会(St Michael the Archangel Church)。
教会の塔は、30メートルと城壁に負けず劣らずの高さ。内部は、ハワード家の記念碑と棺、そしてロバート・ヒッチヤムもここに埋葬されています。
教会内の立派なオルガンは、17世紀のもの。音色がいいのだそうで、各地から、オルガン奏者がわざわざ予約を入れて弾きに来るという話です。また、フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn)がイギリスに滞在中、何度か、ここへ足を運び弾いたこともある由緒あるオルガンでもあります。
さて、最後にまた、エド・シーランのCastle on the Hillに話を戻すと。歌詞の一部に、
I can't wait to go home
I'm on my way
Driving at 90
down those country lanes
故郷に帰るのが待ちきれない
今行くよ
90マイルで飛ばして
あの田舎道を
というくだりがあるのですが、これを初めて聞いたとき、ちょっとまずいんじゃないかと思ったのです。高速道路でも90マイルは、速いのに、イギリスの細い、くねくねした田舎道を時速90マイルで走るなどと、気違い沙汰。あの手の道は、60マイルでさえ、もうちょっとスピード落としたら、などと思うのに。木や対向車に激突して死んだり、または、静かな田舎道をとぼとぼ歩いて散歩している人や、サイクリストなどをひき殺しかねない。私みたいなのが、ぼけーっと、フラムリンガム周辺の田舎道を歩いていて、エド・シーラン運転の車にはねられた、なんて洒落にもならないです。
サフォークのバス停にはられたエド・シーランの「サフォークを安全運転」のポスター |
あと、カスル・オン・ザ・ヒルの歌詞で、彼は、昔の友達が現在どういうことをしているか、というのを少し取り上げているのですが、普通の地元の公立高校を出ているため、あまりぱっとしていないものが多いのが、庶民的で、また興味深いです。それでも「彼らが今の僕を作ってくれた」と歌っています。当然、エド・シーランが一番の出世頭でしょう。これが、パブリックスクールなどを出ているお坊ちゃま学校に通った人だったら、当時の友達の「ひとりは首相、ひとりはシティーでおお金持ち、ひとりは何もせず南国でのんびい暮らし」なんて歌詞になってるかもしれません。
フラムリンガムのバス停からの風景 |
フラムリンガムでのお土産品は?この周辺には、ブドウ園があり、イギリス産ワインを生産しているらしく、お城のショップには、こうしたフラムリンガムのワインが並んでいました。我が家はあまり飲まない家なので、購入しませんでしたが、気の利いたプレゼントになりそうな気がします。
急なコメント失礼します。
返信削除Ed sheeranが好きで是非フラムリンガムを訪れてみたいと思っています。
「castle on the hill」MVの最後のフラムリンガム城が写っているところの詳しい場所は分かりますか?
castle on the hillのミュージックビデオの最後のシーンの撮影場はどこか・・・むむむ・・・はっきりわかりませんが、中景に水みたいなのが映っているようなので、やはりミア(湖)の反対側からではないでしょうか。
削除たしかにグーグルアースで見るとその辺のような気がします!ありがとうございます!
削除楽しんで来てください。
削除コメント失礼します。当日のバスは事前予約などは必要でしょうか?もし必要な場合はどのように取りましたか
返信削除観光バスでなく、普通のバスですので予約はいりません。ただ本数はとても少ないですので気を付けてください。特に帰りは。
削除ありがとうございます!参考にさせていただきます!
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