ロチェスター
ロチェスター城からロチェスター大聖堂を望む |
ロチェスターのハイストリート |
ローマ人が去ったのちのロチェスターは、一時廃れたものの、597年に、アウグスティヌスが、ローマ教皇グレゴリウス1世により、布教のために派遣され、イングランドはケント王国にやって来たのが転機となります。アウグスティヌスは、ケント王国のエゼルベルト王より、カンタベリーでの居住と市民への布教の許可を受け、初代カンタベリー大主教となり、瞬く間に、多くの周辺の住民をキリスト教に改宗させることに成功。
604年に、エゼルベルト王は、ロチェスターを、主教を置く主教座と定め、セント・アンドリュー(St Andrew)に捧げる大聖堂を建設。よって、ロチェスター大聖堂は、カンタベリーに次いで、イギリスで2番目に古い大聖堂という事になります。もっとも、大聖堂・・・とは言っても、この時のものは現在のものより、ずーっと小規模でシンプルな形。やはり7世紀に、ケルト派のキリスト教宣教者たちにより建てられた、エセックス州ブラッドウェル・オン・シーにあるセント・ピーター・オン・ザ・ウォール教会に非常に似た建築物であったそうです。ついでながら、イギリスでの大聖堂(cathedral、カテドラル)と教会(church)の違いは、大聖堂は、主教(bishop)が存在する主教座聖堂であるという事。よって、大聖堂の数は、いわゆる教会より、ぐっと少なくなります。教会であるか、大聖堂であるかは、建物自体の大きさには基本的に関係はないのですが、大聖堂は、重要であるため、大きく立派なものが多いのは確かです。
ロチェスター城 |
キープ内部はほとんど朽ち果て、がらーんとしていますので、昔はどうだったかは、かなり想像を働かせる必要があります。キープ建設の着工は、ウィリアム2世の弟、ヘンリー1世の時代の1127年。高さは37.7メートルと、この時代に建てられたイングランドの現存するキープの中では一番背が高いものだそうです。
城が戦闘を経験するのは、まずは、早くも1087年で、ウィリアム2世の時代の、バロン(有力貴族)による反乱の際に、反乱側が立てこもった時。さらには、ジョン王の時代の1215年、やはり反乱を起こしたバロンが立てこもり、ジョン王は塀を破壊することで城を獲得。ジョン王の息子、ヘンリー3世は、城の修理をするものの、1264年に、今度は、サイモン・デ・モンフォートの乱で、反乱軍に攻められる事となりますが、王党派の軍の補強で、キープはなんとか守られ。
その他の、ロチェスター城での特記すべき出来事は、1314年、スコットランドのロバート・ブルースの妻エリザベスが、数か月ここに監禁された事。同年6月のバノックバーンの戦いで、イングランドのエドワード2世が、ロバート・ブルースに敗北したことから、彼女は、一時別の場所に移されたのち、人質交換でスコットランドへ無事帰還します。また、ヘンリー8世の4番目の妻となるべく、ケント州の海岸の町ディールに降り立ったアン・オブ・クリーブズがロンドンへと向かう途中に訪れ、1540年の1月1日に、お忍びでやってきたヘンリーに初めて会った場所とされます。第一印象から、お互いがお互いに幻滅し、結婚後、年の明けぬうちに離婚となるのですが。
1610年に、ジェームズ1世はロチェスター城を、アントニー・ウェルドンに与え、以後、19世紀まで同家の所有。時と共に、廃墟と化して、1870年には、城周辺をガーデンとして市民に公開され、1884年に、ロチェスター市が城を買い取ります。
この城に入場料を払って入る価値があるのは、最上階からのながめ。北を眺めると、上述の、ロチェスターの目抜き通りが、今は鉄製のロチェスターブリッジにそのまま続いて、ロンドン方面へ伸びているのがわかります。
中世の時代の城からの風景は、こうだった・・・という絵が飾られてありました。(ちょっと、この写真を撮った時、私の手とカメラの影が、かなりくっきり映ってしまいましたが。)ロチェスターが、小さいながらも、なぜに、政略的に重要な場所であったかがわかります。
南には、メドウェイ川に多くのレジャー用ヨットが停泊していました。
調度、城のキープに足を踏み込んだ時に、一時的ににわか雨が降りだしたのですが、屋上に出たときには、すでにやんで、東側、ちょっと離れた所に雨雲が垂れ込めているのが見えました。あの青黒い雲の下は、ジャージャー降っていたんでしょう。
城の見学をした後、私たちは、イギリス海軍にとって重要であった隣町チャタム(Catham)にあるドックヤードを訪れたので、再びロチェスターに舞い戻り、大聖堂を見ようと中に入ったのは、もう6時。開いているのは7時までと思いきや、6時までだったので、ぎりぎりの飛び込み見学となりました。見れただけでも良かったですが。内部にいた教会関係者の人たちは、特に、せかして私たちをおいだすわけでもなく。
やはり、大きく立派です。ロチェスター大聖堂は、ヘンリー8世による修道院解散の後、落ちぶれていき、17世紀は、かなりぼろっと廃れた感じであったものの、ビクトリア朝に、修理修繕され、綺麗になったようです。
かなり古そうな中世の壁画もありました。
ロチェスター駅は、大聖堂と城から徒歩10分ほどで、私たちの様に、欲張って他の場所にも足を延ばさない限りは、日帰りで十分見て帰れる場所です。
コメント
コメントを投稿