マーガレット・サッチャーとサンダーランドの英国日産自動車製造会社

イギリス北東部に位置するタインアンドウェア(Tyne and Wear)州にあるサンダーランド市(Sunderland)は、いつも、総選挙の際には、一番最初に投票を数え終え、結果を出す事を生きがいとしているような選挙区。今年の6月23日に行われたEU離脱国民投票でも、一番最初に、ここで開票結果が発表となりました。そして、サンダーランドでの結果は、離脱61.3%、残留38.7%というもの。サンダーランドの一大雇用主である日産が、「残留であって欲しい」という意思表示をしていたのに関わらず。サンダーランドでの結果は、イングランド、ウェールズ各地で繰り返され、イギリスは、自殺行為としか思えない、ブレグジットへと向かう事となったのです。ついでながら、ホンダの工場があるスウィンドンも、54.7%で離脱派が勝利しています。

いまや、サンダーランドト=日産・・・という方程式が、すぐ頭に浮かぶように、サンダーランドは、英国日産自動車製造会社(Nissan Mortor Manufacturing UK、略して NMUK)の工場がある場所として知られています。

先日、現英国日産の社長、カルロス・ゴーン氏が、「あと、数か月で、今後の投資対策の決断を下さねばならず、ブレグジットでの話し合いの結果を待っているわけにはいかない。ブレグジットの結果、大陸ヨーロッパへ輸出する車に関税がかかる事となってしまった場合、イギリス政府がその賠償金を払う保証をくれない限りは、サンダーランドに今後の投資は行わない可能性がある。」というような内容の発言をして、ニュースになっていました。

この新たな投資というのは、大半がヨーロッパへ輸出される予定の、SUV車キャッシュカイ(Qashqai)製造のためのようですが、現段階では、ブレグジット後のイギリスの貿易政策は闇の中ですから、製造業者にとっては頭が痛いところでしょう。今のところはポンドが弱いので、輸出には有利などと言う話もいますが、これも、多くの部品を海外から輸入しなければならない事情を考えると、あまり意味がない論議。それに為替は変わるけれど、関税はちょっとやそっとでは変えられない。イギリスへの投資を続行した結果、いわゆるハードブレグジット(ヨーロッパからの人の動きの自由を一切許さず、関税なしのヨーロッパ市場へのアクセスが無くなる)という事態に陥り、輸出品に10%の関税をかけられたら、困りものです。

あれだけ沢山の投資をした後に、日産や他の日系を初めとする海外の自動車製造業者がイギリスから出ていくはずがない、と離脱派はタカをくくっていたようです。こうした海外企業は、当然、ブレグジット後、一気に工場を閉めて出ていく事はしないでしょうが、ゴーン氏の発言のように、今後、新たなる投資をする計画がある際に、イギリスを選ばず、大陸ヨーロッパか他国に投資し、イギリス内の工場は、廃れるに任せ、新しい投資は一切なし、という事になるかも。イギリスが、ブレグジット以後、即、首が回らなくなるような経済危機に陥らずとも、徐々に、経済が悪化する可能性は大。その結果を生きなければならないのは、今の若者たち。今回のEU離脱国民投票で、離脱に投票した人たちは、年で分けると、年配、年寄りが多かったという話で、実際、国民投票で離脱に投票し、もう死んでしまっている人の数はかなり多い、などと笑えない話があります。また、ブレグジットの話し合いが始まる前の、この冬に死んでしまう人だってかなりいるわけでしょうし。自分たちは、投票した結果の現実を生きる必要がなかったわけで、なんとも、若い層にフェアでない事態です。うちのだんなは、投票結果の後、投票した人間の数、その中でのうちわけ年齢、今後の推定寿命などをスプレッドシートに叩き込み、後の推定寿命の長さを考慮して、投票結果を再評価すると、残留派が勝利という結果になる、などと言ってました。

さて、話を日産に戻し・・・かつてタインアンドウェア州で盛んだった造船業、炭鉱も廃れ、日産がやってくる前のサンダーランドは、失業率は30%もあろうかという、落ちぶれた場所でした。炭鉱の閉鎖などを強行したのは今は亡きマーガレット・サッチャー(Margaret Thatcher)でしたが、この地の復興を期待して、日産の誘致活動をエネルギッシュに展開したのも彼女。

カルロス・ゴーン氏の発言を聞いて、サッチャー女史が、ヘルメットを被り、日産サンダーランド工場内訪問などをしていた写真が新聞に載っていたことを思い出していました。ああ、もう30年近く前の話です。そして、日産をサンダーランドに勧誘した事が、マーガレット・サッチャーの残した最も偉大な遺産か・・・という2009年に書かれたBBCの記事に行き当たり、読みました。

この記事によると、マーガレット・サッチャーが日産を初めとする、日本の自動車製造会社勧誘を思い立ったのは、まだ彼女が野党のリーダーであった1977年に、日本を訪れ、日産の工場を見学した時に遡るのだそうです。効率、生産率は悪い上、度重なるストなどで、まるでお話にならなかった当時の英国自動車製造セクター。その上、そうした工場で製造されていた車は、世界市場で戦えるどころの騒ぎではないポンコツ車とあって、彼女は、日本の製造業、特に自動車製造業に将来の英国産業のあるべき姿を見出す。

この日本の自動車製造業誘致に当たって、当然、英国の自動車セクターは強い反対を見せるのには、サッチャーさん、「競争はいいこと」と切り捨てる。また、他にも、この頃は、第2次世界大戦の記憶を持つ人も多く、かつての敵国を勧誘するなどと、という反対もあり。そして、サンダーランドに工場を建設した際に、社内の労働組合はひとつのみに制限し、ストライキでの交渉には応じないという日産側の要求にも、労組からの反対の声があがり。ところが、数々のイギリス内での反論よりも、実際のところ、日産の会長であった川又克二氏の拡大計画に対する否定的見解の方が、サッチャーさんの誘致の障害となったようです。それでも、負けじと、鉄の女は、氏と連絡を取り続け、直接氏を訪問。その意欲と行動力が、日本自動車業界の尊敬を勝ち取るに至ったという事。

1983年の英国総選挙で、サッチャー首相が、2度目の勝利を収めた際に、日産は、彼女に「おめでとう」の電報を打ったと言います。そして、めでたく、英国日産自動車製造会社は、1984年4月に設立。1986年に、サンダーランドでの製造開始。サンダーランド工場のオープニング・セレモニーには、立役者のサッチャー首相は、当然、お招きを受けます。上の写真は、
http://www.nissan-global.com/EN/HERITAGE/LEGENDS/LEGEND_07/index.html 
のサイトより拝借。

以後、サンダーランドは、日産の町として生まれ変わり、直接工場に従事する職員の他にも、関連事業に携わる住民も多々。また、安定した職が有る事により、人は、お買い物や、家のデコレーションなどにもお金を使うわけですから、地元の店や大工その他が、そのおこぼれを受けるわけでもあります。英国日産は、トレーニングに重きを置いて、着実に成長し、いまや、ヨーロッパではぴか一の効率の自動車製造工場。イギリス最大の自動車工場でもあり、国内の自動車製造の3分の1がここで行われていると言います。そして・・・製造された車の80%は輸出。ですから、同社にとっては、ヨーロッパに留まる事は、サンダーランドへの投資を続ける大切な要素であったわけなのですが・・・。

このBBCの記事を読み終わり、今回のEU離脱の混沌を思うと、なんだか、妙に悲しい気持ちとなったのです。色々、サッチャーさんのやった事の中には、非はあるものの、どう考えても決行してよかったと思える、この日産サンダーランドの工場が、愚集に決断を任せた挙句の果てに終焉しかねないとは。稀に見る、地元に深く根を下ろす投資の結果が、ぼろぼろと崩れ落ちていく。大げさかもしれませんが、小さな意味での文明の崩壊を見る気がして。

今回のブレグジット騒ぎで、いまだ、離脱に投票した人間に対する怒りが収まらない、うちのだんなの友人は、「日産は、もう、サンダーランドをとっとと捨てて、他の国に今後の投資を移すべきだと思う。サンダーランドの馬鹿どもに、日産はもったいない They don't deserve Nissan. また、30年前のひどい状況に戻ればいいんだ!その結果、あいつらが失業したら、補助金なんかも出すべきじゃない!自業自得。」実際、ブレグジットの結果、ロンドン、シティーの金融業界も大幅に縮んでしまったら、政府の税収がどん減りとなり、失業補助金どころの話ではなくなるかもしれません。

さて、実際にブレグジットへのスタートボタンが押されるのは、現段階では、来春となるようでうが、それから、完全に離婚が成立するための過程は、複雑そのもので、ネゴには2年かかる可能性もあります。議会で話し合うべきことは、他にも沢山あるだろうに、こんな、不必要な離婚のおかげで、限られた国会の時間と多大な国家公務員の尽力を費やして。このながーい過程の終わった後、イギリスはどんな国になっているでしょう。

移民問題で右翼が台頭しつつある、ヨーロッパ諸国の状況を見ていると、イギリスが実際にブレグジットへの一歩を踏み出す前に、なにか、思いもよらぬことが起きそうな気もします。ヨーロッパのみならず、あっちを見ても、こっちを見ても、妙な空気が流れてますしね。EUも、一切の制御が効かない圏内での人の移動の自由は、もう一度考え直した方がいいでしょうね、過去の犯罪者でも誰でも、ヨーロッパのパスポートを持っていれば、するする異国へ行けるような現状は、やはりまずいでしょう。EU側が、この人の移動の自由に対して、もっと歯止めをかける姿勢で、イギリスに多少の抑制の権利をくれていたら、ブレグジットに流れなかった可能性もあります。ある意味、EUの頑固な態度も、まずかった。

今朝は、妙に寒く、窓から見える木の葉の一部が赤くなりかけています。そして、巷では、すでにクリスマス商戦が始まりつつあります。

追記:2016年10月28日

日産が今後の投資をサンダーランドで行うことに決め、キャッシュカイも、サンダーランドで製造するという事が発表になりました。政府はこれを受けて、ブレグジット後のイギリスに対し、海外企業が信頼を置いている証拠、などとアナウンスしています。が、陰で、イギリス政府が、日産にどんな約束をしたのか、は一切明らかにされていません。EUへの輸出に関税がかかる事となった暁には、政府が日産側に、その分の賠償金を払う、などの約束をした場合には、日産のみならず、他の日系を含む海外企業も、「なんで、日産だけ、俺も、俺も。」という事になるので、伏せているのではないか、という憶測が飛んでいます。日産が、政府からどんな約束を取り付けたかはわかりませんが、状況によって、ころころ姿勢を七変化しているテリーザ・メイを信用するか?私なら、信じませんけどね~。

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