ディック・ウィッティントンと猫

ボウ・ベルが鳴る「ウィッティントンよ、戻っておいで」と
以前、コックニーに関する記事で、ロンドンのボウ教会(St Mary-le-Bow)の鐘、ボウ・ベルの音の事に触れましたが、今回は、このボウ・ベルにまつわる、別の伝説、リチャード・ウィッティントンの話を書くことにします。

リチャード・ウィッティントン(Richard Whittington)・・・一般には、リチャードの愛称であるディックを使って、ディック・ウィッティントン( Dick Whittington)として知られています。1398年、1406年、1419年と、3回ロンドンの市長(Lord Mayer ロード・メイヤー)となった人物。歴代のロード・メイヤーの中で最も有名な人物です。混乱を招かぬように書いておくと、現代のロード・メイヤーは、任期1年の、ロンドン・シティー地域のみの代表人物の事を指し、ロンドン全体(Greater London)を代表し、4年に一回の選挙でロンドン市民により選出されるロンドン市長(Mayor of London)とは異なります。ディック・ウィッティントンの時代は、ロンドンと言うと、現在のシティー地区を指したため、ロード・メイヤー=ロンドン市長であったわけですが。

ハイゲイト・ヒルにあるウィッティントン・ストーン
さて、伝説によると、グロスターシャー州から、ロンドンで一旗揚げようとやって来た貧しいディック・ウィッティントン。しばらくロンドンに滞在したもののラチあかず、あきらめて、故郷へ戻ろうと、ロンドンに背を向け歩き始めます。ロンドン北部のハイゲイト・ヒルの丘をえっちらおっちら登り切った時、ロンドンの方角から、鐘の音が聞こえてきて、立ち止まるディック・ウィッティントン。道行く人に「あの鐘の音はどこの鐘でしょう?」と聞くと、「あんた、ありゃ、偉大なるボウ教会の鐘の音ですよ。」との答え。ディックは、傍らのマイルストーンに腰掛け、しばらく鐘の音に聞き入りました。すると、そのうち、ボウ・ベルが、

Turn again Whittington
Thrice Lord Mayor of London Town

ウィッティントンよ、戻っておいで
三度ロンドン市長となる者よ

と語っているように聞こえてきたのです。そこで、ディックは、ボウ・ベルのお告げに従って、ロンドンへ取って返すのです。

ロンドンへ戻ったウィッティントンの幸運の鍵は、猫。「売ってくれるように」と、ある船乗りに自分の猫を託しますが、これが大当たりとなるのです。船乗りに連れられて行ったウィッティントンの猫は、ねずみの害に悩まされていたある王国で、ねずみ退治の大活躍をすることとなるのです。その国の王は、大金をはたいて、猫を船乗りから購入、よってディック・ウィッティントンは、猫のおかげで大金持ちとなり、後には、ボウ・ベルの予言の通り、ロンドン市長となるのでした。じゃん、じゃん。

ロンドン北部のハイゲイト・ヒルには、彼が座って、ボウ・ベルの呼び声を聞いたとされるウィッティントン・ストーンなる石が、記念に残っており、その上には、ロンドン中心部を振り返って見ている猫の銅像がちょこんと置かれています。

ウィッティントンと猫が、小高いハイゲイト・ヒルから振り返って目撃した、かつてのロンドンの風景は、一面の木々と緑の向こうだったのでしょうが、いまは、ひっきりなしに通る車と両側に建つ建物で、当時の趣は一切ありません。

さて、伝説から離れた、実際のリチャード・ウィッティントンは、貧民ではなく、グロスターシャー州の立派な家系の息子であったという事。父が死んだ後、ロンドンに出てきたディックは、まずは絹やベルベットを外国から仕入れる布地の商人として、自分でも富をなします。1380年代、90年代には、定期的に宮廷へ高価な布を収め、更には金融にも手を広げ。仮に猫を飼っていたとしても、彼の富は、猫のおかげではないのです。

リチャード2世、ヘンリー4世、最後にはヘンリー5世の、歴代の王たちに、金を貸すなどもし。引き換えに、羊毛を輸出する際に、税金を払わずに良いという特権を受けていたそうです。有名な逸話として、ヘンリー5世を、もてなした後、フランスとの戦争のため、多額を必要としていた王からの借金証明書を、王の目の前で焼き捨て、借金を帳消しにしてあげたというのがあります。その際、喜んだヘンリー5世は、
"Never before has a King had such a subject."
「以前、これほどすばらしい忠臣を持った王はいなかったであろう。」
とのたまい、それに答えて、ウィッティントンは、
"Never before has a subject had such a King."
「以前、これほどすばらしい王を持った忠臣はいなかったでありましょう。」
と答えたという事になっています。

彼は、妻アリスとの間に、子孫を残さなかったため、彼の遺産は、多くの慈善事業や、ロンドン内の公共建築の費用に用いられることとなります。

ロンドンのシティー内、カレッジ・ストリートにある教会、セント・マイケル・パタノスター・ロイヤル(St Michael, Paternoster Royal)は、ディック・ウィッティントン教会としても知られ、この隣に住んでいた彼は、教会の修復や拡大に貢献。教会は、ロンドン大火で焼かれたのちに、クリストファー・レンにより再建。塔は、ニコラス・ホークスモアによるものではないかとされます。第2次世界大戦中のドイツ軍の爆撃で、塔と壁のみを残し破壊され、戦後に修復。

内部のステンドグラスは比較的最近のもので、そのうち1枚は、ウィッティントンと猫を描いたもの。

セント・マイケル教会の外壁には、ウィッティントンは、1422年に教会内部に埋葬されたというプラークが付いています。彼の遺体は過去何度か掘り起こされ、また埋葬され、挙句の果て、今はどこにあるか定かではないようです。なんでも、最後に、彼の遺体の場所を確認するために、掘り起こしが試みられた1949年、出てきたのは、ミイラ化した猫だけだったとか。

「ディック・ウィッティントンと猫」の伝説が生まれるのは、ディック・ウィッティントンが死んでから200年近くたった17世紀の初頭だという事で、お芝居の形で登場。現在も、毎年クリスマスのシーズンとなると、パントと称される、子供や家族向きの芝居が伝統的に劇場で公演されますが、「シンデレラ」や「ジャックと豆の木」などの演題と共に、「ディック・ウィティントンと猫」も、パントの人気演目のひとつ。このおかげで、イギリスの子供達も、ディック・ウィッティントンの物語はお馴染みです。私は、このパント、行きたいと思いながら、まだ一度も劇場で見たことはありません。今年のクリスマスシーズンは、「ディック・ウィッティントンと猫」でも、見に行きたいものです。

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