みんなと仲良くなんて無理


 まだ、イギリスに住み始めたころ思ったのは、何かにつけて、社交をカップルで出かけなければならない国だなという事。この国、離婚が多いのは、こうして、無理やり、何でも一緒にせにゃならん、というのが理由の一つではないかとも思ったほど。クリスマス後、離婚が増えるというのも、本当は嫌なのに、相方の家族や知り合いと一緒に長時間過ごさせられた結果だったりもするようですしね。

だんなの友人の中には大好きな人もいれば、性に合わず、会っていて苦痛な人もいる、それは当然です。なのに、そういう、ちょっと嫌な人に家に呼ばれた時など、だんなが自分の友達なのだから、一人で行ってくれればいいのに、お前もよばれているから、と無理やり連れていかれるのが本当に嫌でしたね。電話がかかってきて、それじゃあ、会おうという打ち合わせをしている時も、必ず「みにも来れる?」となる、私が、その場で言い訳を作り、その日はだめだと言うと、逆に「じゃあ、来れる日は?」となる。そして、そういう人たちに限って、なぜか、車で1時間以上かかるような不便な場所に住んでいて、いつも、「来てくれ」というのですよね。そんなに、会おうというなら、そっちが、うちの方角か、便のいいところまで出て来たら?と思うのに。前もってスケジュールを入れられてしまい、がんじがらめの気持ちで、その日には大雨が降ろうが槍が降ろうが行かねばならなくなる。

心で、「もう私は勘定に入れないでくれ、あんたとは特に会いたくもないし、誘われるのが苦痛なのだから、わかってくれ、しつこくしないでくれ、かまわないでくれ!」と心で叫んでも、さすがにそんなことを面と向かって言えないのが人間社会です。嫌がってるのよ、気づいてくださいと思いながら。それなりに、オーラを出しているつもりでいながら、気づいてくれない!逆に、だんなの友達の中で特にうまの合う人とは、機会があれば、旦那ぬきでも、一緒に遊びに行ったりしています。

コロナ下のロックダウンで、いろいろな弊害はあったけれど、利点(私にとっては)は、こういう付き合いを強要される機会が激減した事でした。ほとんど関わったことのないような人の葬式や結婚式にカップルだからと連れていかれる・・・そんな嫌な状況もなくなった。(そういうのが大好きな人にはつらい季節だったのかもしれませんが。)ロックダウンがなくなった今では、また、ぼつぼつ始まりかけて、最近では、「You must!」を繰り返す旦那に、私は、頑として「行かない」を通すようになってきてはいます。

もっとも、だんなが関わらない自分だけの人間関係でも、特に性の合わない人とは、無理やり付き合う必要はない、なぜ、わざわざいい子ぶって、なんにでも「はい、はい」と、貴重な時間を好きでもない人とすごさにゃあかんのか、という気持ちは年とともに強くなっています。逆に、自分も、そうして淘汰されてしまっている事もあるでしょうね。それでいいんじゃないのって。

すべての人を好きになることはできないし、自分に興味のない他人に、無理やり自分を好かせることなどはできない、逆にしつこくすればするほど嫌われるというのを理解していなければ。自分が、「近寄らないで」オーラを出していてわかってもらえないのは、苦痛であると感じているのだから、私自身も、「ちょっとあなた苦手です」オーラを出されたら、しつこく接近はやめようと思い始めています。そうやって、自分に気持ちの良い関係を見つけるのが最終的には、当事者全員に一番幸せなことでしょう。交流を求めていない相手を、どこまでも相手の気持ちを考えずに追い回すのは、ひとりよがり、エゴまるだしのストーカー精神です。本人にとっても、いい事とは思えませんしね。

コメント

  1. こんにちは、お久しぶりです。ブログを読んで、思わず頷いてしまいました(笑)。このコロナというインパクトは、人との付き合い方を変えるいい機会だったかもという想いです。勿論とても仲良しで、気が合っていた(と信じこんでいた)友人と、疎遠になってしまうという悲しい事実もありましたが…。人間力が試される期間でもあったかと考えています。

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    1. お久しぶりですね。お元気そうで何よりです。

      ロックダウン中、親しい人たちとハグができないと、ニュースなどで嘆く人がとてもたくさんいたのを、それがそこまでつらいことなのか、と私は不思議でしたが、女性コメディアンの一人が、「私はハグやら、見かけだけのそういうジェスチャーを示すのがすごく嫌だから、ロックダウンで解放された気分になった」と言っているのを聞き、イギリスでも、本心はこういう人も結構いたのかもしれません。

      残るべき友人は残るんですよ、きっと。

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