セント・パンクラス・ガーデンズ

旧セント・パンクラス教会とセント・パンクラス・ガーデンズへの入り口
セント・パンクラス(St Pancras)と言うと、今は、ロンドン・キングスクロス駅隣接の、ユーロスター発着駅セント・パンクラス駅がすぐ頭に浮かびます。が、この駅名は、もともとは、駅の裏側(北部)にある旧セント・パンクラス教会(St Pancras Old Church)とその教区の名に由来します。

セント・パンクラス(聖パンクラス)は、4世紀のローマで、14歳にしてキリスト教を信仰していたため、首をはねられ殉教した聖人です。ちなみに、膵臓の事を、英語では,パンクスならぬ、パンクリアス(Pancreas)というのですが、タクシーの運転手をしている人と話をしていた時、「よく客に、セント・パンクリアス(聖・膵臓)駅に行ってくれと、言われる。」などと笑っていました。さほど、名の知れた聖人でないので、パンクラスだか、パンクリアスだか、ごっちゃになってしまう人も多いようです。

さて、この旧セント・バンクラス教会のかつての墓地が、今は、セント・パンクラス・ガーデンズ(St Pancras Gardens)と呼ばれる、ちょっとした、市民のための緑のオアシスになっています。前回、当ブログに書いた、イギリスの赤いテレフォン・ボックスのインスピレーションとなったジョン・ソーン(John Soane)の墓が、ここにあるので、それを見学がてら、当教会とガーデンを訪れました。

教会の起源は、ノルマン人征服以前に遡り、この辺りで一番古い教会のひとつとされています。中世に拡大された後、

現在の建物は、再び、ヴィクトリア朝、19世紀中ごろに増築改造を施されています。

墓地は、セント・パンクラス教区の埋葬地としての他にも、人口増加で、埋葬場所がぎちぎちとなってしまった、ロンドン市街地の教会の遺体の埋葬にも使用されていました(特に、トテナム・コート・ロード駅近くにあるセント・ジャイルズ・イン・ザ・フィールド教会)。また、数少ない、カソリックを埋葬できる場所でもあったため、フランス革命を逃れて来た人たちも、ここに埋葬されたそうです。貧乏人を大量に埋葬する場所もあり、無一文で死んでしまったという、ヨハン・セバスチャン・バッハの息子でやはり音楽家であったヨハン・クリスチャン・バッハもその一人。

メアリ・ウルストンクラフトと、彼女の夫、ウィリアム・ゴドウィンも、一度はここに埋葬されます。ウルストンクラフトの娘で、「フランケンシュタイン」作家のメアリー・シェリーは、この母親の墓石のそばで、後に夫となるパーシー・シェリーと駆け落ちのための待ち合わせをした、といういわくつきです。メアリー・シェリーの死後、彼女の遺言に従い、両親(ウルストンクラフトとゴドウィン)の遺体は、シェリー家の墓がある、ボーンマスのセント・ピーター教会へと、わざわざ移されたそうです。セント・ピーター教会の墓地には、こうして移動されたメアリーの両親と、メアリー・シェリー自身、パーシー・シェリーの心臓が埋葬されているので、ボーンマスにお越しの方は、訪れてみては。

さて、1860年代、セント・バンクラス駅の鉄道建設が始まり、線路が墓地の一部を突っ切る事となったため、多くの墓の掘り起こし作業が行われる事となります。この墓と骸骨堀上作業の管理という、有り難くない役目を仰せつかったのが、後に文豪となる、若かりしトーマス・ハーディー(Thomas Hardy)なのです。彼は、本格的に執筆業に専念する前の1862年から1867年の間、ロンドンで建築家見習いとして働いていましたので。

墓石に囲まれたハーディー・ツリー
ガーデン内には、ハーディー・ツリー(Hardy Tree)と呼ばれる、木があります。この木の周りは、ハーディーが毎日のように、当墓地に通っていた頃に除去された墓石が、まるで魚の鱗の様にぎっしりと寄せ集められています。ちょっと、不思議な光景。当然、ジョン・ソーンの墓の様な立派で大切なものは、手を付けられずにそのまま残りましたが。

鉄道建設、墓の掘りおこし騒動の後、生き残った部分の墓地が、1877年に、新しくガーデンとして一般に開放される事となります。

上の写真は、バーデット=クーツ記念日時計(Burdett-Coutts Memorial Sundial)と呼ばれるもので、鉄道建設のために、墓を掘り上げられてしまった人たちへの記念碑であるとのこと。当時のイギリスで最も金持ちの女性の一人で、慈善家として知られた、女男爵、アンジェラ・バーデット=クーツの資金によるもので、ガーデンのオープニングの日に、彼女が礎石を置き、2年後に完成。


というわけで、セント・パンクラス・ガーデンズは、すぐそばにある、キングス・クロスやセント・パンクラス駅の雑踏が嘘のような、平和な場所で、それなりに、興味深いものが点在し、この辺りに来たら、ちょっと足を延ばす価値のある場所です。

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