ドクター・ジョンソンの家

ロンドンのフリート・ストリートの雑踏を離れ、迷子になりそうな小路地を入っていくと、ゴフ・スクエアー(Gough Square)という静かな広場があります。広場にぽつねんと立つのは、猫の像。猫の名は、Hodge(ホッジ)。1748年から1759年まで、この広場に面した家を借りて住んでいた、文筆家ドクター・ジョンソンこと、サミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson 1709-1784)の飼い猫です。ホッジの記念碑には、

実に良い猫であったホッジは、ゴフ・スクエアーに住んでいたサミュエル・ジョンソンの飼い猫

と書かれ、更にその下には、ドクター・ジョンソンの有名な言葉も刻まれています。

Sir, when a man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.
「ロンドンに飽きた時、人は人生に飽きている。なぜなら、ロンドンには、人生が与え得るすべての物が存在するのだから。」

ホッジの像のわきには、何故か、観光客がコインを置いて行っている模様。トレヴィの泉じゃないんですが・・・。


ホッジが見つめる、1700年建設の、サミュエル・ジョンソンが住んでいた家は、現在、ドクター・ジョンソンズ・ハウス(Dr Johnson's House、ジョンソン博士の家)として、博物館になっています。彼が、有名な英語辞書を仕上げたのは、この家の最上階の屋根裏部屋。

サミュエル・ジョンソンは、スタフォードシャー州リッチフィールドの本屋の息子として生まれ、オックスフォード大学へ進みながらも、父が破産し、金銭的問題で中退。25歳にして、未亡人であり20も年上の、エリザベス(愛称テティー)と結婚。ロンドンへ移り住んでからは、ささやかな執筆業にたづさわって生計を立て。「金銭的見返りもないのに書き物をするのは馬鹿者だけ」の言葉も残しています。生涯あまり裕福ではなく、執筆をせずに、生きて行けるようになり、生活が楽になるのは、1762年に、国から、その功績を認められ、年金をもらうようになってから。

幼児期に皮膚病の一種である瘰癧(るいれき、scrofla)にかかっています。当時は、King's Evilとも呼ばれた瘰癧を持つ人間は、王様女王様の手で触れてもらう事で、完治するなどと言われており、実際、王が患者に触れるという、ロイヤル・タッチなるセレモニーが行われていました。「そんな病人に触りたくない。」と、一切この行事をやらない王様も当然いたわけですが、チャールズ2世と、アン女王は、真面目にこの儀式を執り行っており、サミュエル・ジョンソンは、子供のころ、アン女王に触ってもらっています。彼は、この時のアン女王を「ダイヤモンドと長い黒い頭巾を身に着けた女性」として、子供心に覚えていたそうです。アン女王のパワーでも、病気は治らず、手術除去し、一生傷跡を残すこととなるのですが。

体はどーんと大きく、彼の外見は、「醜い」と称される事が多々。更には、チックで、顔や体が不定期にぴくぴく動いていたというので、初めて会ったら、ちょっとびっくりする、インパクトのある人だったでしょう。見た目も行動も、変わり者・・・のような。ドクター・ジョンソンのチックは、後の時代になってから、トゥレット障害と称される神経障害病ではなかったかと言われています。

彼の一番名高い功績は、8年で集積したという、英語辞典。その他では、実際、彼が書いた文献、エッセイの他、機知に富んだ、たくみな会話を交わすことで知られ、彼の知り合いであった、ジェームズ・ボズウェル(James Boswell)による伝記、「The Life of Samuel Johnson サミュエル・ジョンソン伝」で、その風変わりな人物像が、うかがえます。私も、彼に関しては、読んだのはボズウェルの伝記だけで、他にも、いくつかの有名な引用は知っていますが、彼による本、エッセイ類を、最初から最後まで読んだことはありません。

さて、このジョンソン博士の家の中へ、足を踏み込みました。彼が住んでいた、という曰くつきの建物でなくとも、アン女王時代に建てられた古い家として見るだけでも、なかなかいい感じです。4階まであり、外観より広々としています。

室内の装飾品や、ドクター・ジョンソンの所持品などは、ほとんど残っておらず、博物館というより、彼の時代の雰囲気を楽しむ場所。私たちが入った時は、調度アメリカ人の観光客が出て行ったばかりで、他に誰もいませんでした。よって、ゆっくり椅子に座って、部屋ごとの説明や、ドクター・ジョンソンの生活ぶり、人間関係等を書いた冊子を読み、壁にかかる、ドクター・ジョンソンの友人、知り合いたちの絵を眺め。この説明書の類がわりと充実していたので、戸外で雨が降ったりやんだりする中、閉館間際までの2時間近く、静かな時を過ごしました。

紅茶が大好きだったというサミュエル・ジョンソン。一度に、20杯の紅茶を飲んだというのを目撃している人もいるそうです。彼の友人が所有していたというティー・カップが展示されていましたが、現在のものより上品で小さめ。これで、20杯だったら、ありかなと思います。マグカップ20杯分の紅茶だと、おなかダブダブで、1分おきに、おしっこという事になりそうですが。

いずれにせよ、出る前に買った、ここからの土産は、ドクター・ジョンソンの肖像画の入ったティー・タオル。これには、

Tea's proper use is to amuse the idle, and relax the studious, and dilute the full meals of those who cannot use exercise, and will not use abstinence.

紅茶の正当な効用は、怠け者には暇つぶしになり、勤勉な者をリラックスさせる。そして、運動をしないのに食事を控えることが出来ない者の食べ物の消化を手伝う。

との、彼の言葉の引用も印刷されています。ご飯を食べ過ぎた後に紅茶を飲むのがいいかには、いささかの疑問を感じもしますが、最初の2つは当たってます。

寂しがり屋で、少々うつ病の気味だったそうで、そのせいか、一人でいるのを恐れ、社交、人といることを好み。家の中は、常に人が出たり入ったりと賑やか。また明け方近くまで、友人たちと、パブのはしごをすることも多々。

大成功の結婚関係ではなかったようですが、奥さんのテティーが、1752年に死んでしまうと、消沈して、寂しくなってしまったドクター・ジョンソンは、貧しい詩人で、友人であったアナ・ウィリアムズを家に居候させ、更に、その直後、ジャマイカの奴隷の子として産まれた10歳の黒人少年、フランシス・バーバー(Francis Barber)を引き取っています。このフランシス・バーバーには、きちんと教育を与え、バーバーは、ドクター・ジョンソンの死まで、友人兼召使的存在として、共に生活。これは、この家での情報紙を読むまで知らなかったのですが、子供のいなかったジョンソンは、死後、フランシス・バーバーに、主な遺産を残しているのです。生涯かけての奴隷制反対者でもあった人ですので。

博士の、著名な友人としては、画家のジョシュア・レイノルズ、俳優で劇場マネージャーでもあったデイビッド・ガーリックなどがいます。

最上階の屋根裏部屋が、英語辞典の集積に使われた場所。それぞれの言葉の例文を載せるべく、とにかく著名作家の作品を読みまくり、使えると思ったものは書き留め。アシスタントは一応4,5人はいたそうですが、ほぼ単独で、8年で仕上げたというのは快挙ではあります。1746年に、3年で仕上げることを目安に依頼され、この家は、辞書の出版に当たっての印刷所に近いという利点があったそうです。奥さんは、辞書の完成を見ずに死んでしまったわけですが。氏は、辞書完成の数年後、もっと家賃の安い家に引っ越して行きます。

辞書を作成中、一応は、パトロンであったチェスタートン卿から、無視され、ほとんど何の手助けもしてもらえなかった恨みからか、ジョンソンの辞書によると「Patron パトロン」の定義は、

One who countenances, supports or protects. Commonly a wretch who supports with insolence, and is repaid in flattery.
支援、支持、庇護する人物。大体の場合において、横柄な態度で庇護を行い、見返りにおべっかを受ける奴。

私がこの辞書の中で唯一知っていたのは、有名な「Oats オーツ(エンバク)」の定義。

A grain which in England generally given to horses, but in Scotland supports the people.
イングランドでは、主に馬に与えられるが、スコットランドでは人民の糧となる穀物。

また、博物館内の情報紙によると、「Computer コンピューター」という言葉が、「計算、統計を行う人物」という定義になっているとのこと。まだ、人間の脳みそに勝るものはなかったわけで。

この巨大な辞書は、館内のテーブルの上に据えられていました。とにかく、高価であったため、ベストセラーというわけにはいかず、あまり売れなかったようです。残念。こんなの一冊所有して、こうして、卓上に置いておき、気が向いたときに、ぺらぺらとめくってみたいですが、現代でも、たとえ、入手できても、高いでしょうね、きっと。

トーマス・ハーディー同様、海外で出版されたドクター・ジョンソン関係の本も、本棚に並んでおり、やはり、日本語のものもありました。

端っこが擦り切れた椅子が展示してありました。常時、座ってるとこういう事になります。うちのだんながいつも使っている椅子も、現在、こんな感じで、端っこからスポンジがはみ出している状態。これを眺めながら、だんなは、「自分が、後に首相にでもなったら、うちの椅子も、こうして展示されるようになるかもしれない。張り替えしないで、取っておこう。」と、あり得ない将来をうれしそうに妄想していました。

最上階から、階段を見下ろすと、こんな感じです。

ゴフ広場を、窓からながめていると、何度か、ウォーキング・ツアーの団体が、ホッジの像を取り囲んで、現れては消え。

十分堪能した後、秘密の隠れ場所のような、この家から外へ出て、再び、ロンドンの雑踏へと紛れ込み家路につきました。家に帰ってから紅茶を入れるのを楽しみにして。

まだまだ、飽きていないロンドン。まだまだ、人生にも飽きておらんぞ・・・と。

*ドクター・ジョンソンの他の引用を含んだ過去の記事は、「書くことについて」まで。

コメント