イミテーションゲームとアラン・チューリング

コンピューターの先駆けを考案したとされるイギリスの数学者アラン・チューリング(Alan Turing)を主人公とした「The Imitation Game」(イミテーションゲーム エニグマと天才数学者の秘密)を映画館に見に行きました。アラン・チューリング役は話題のべネディクト・カンバーバッチ。べネディクト・カンバーバッチでは、少々かっこよすぎはしないか、とも思ったのですが、お宅風、数学の天才のイメージをわりといい感じで出していました。

第2次世界大戦中、ドイツ軍が、伝達のためのコード(暗号)を打ち出すために使用したのが、エニグマ・マシン。タイプライター風のこのエニグマからはじき出される、一見意味不明の暗号をやぶり、ドイツ軍の作戦を知る事は、チャーチル率いる戦時内閣にとって、重要課題となります。そこで、政府は、数学者、クロスワードパズルの名人、チェスの名人、暗号破りの名人、その他もろもろを、バッキンガムシャー州のブレッチリー・パーク(Bletchley Park)に一同に集めるのです。そして、戦時中はステーションXと称された、ブレッチリー・パークは、こうした人物達を使っての、コードブレーキング(暗号破り)活動の拠点となります。ステーションXで、働く者は、すべて、自分がどんな活動をしているかについては、近親者にも一切沈黙を守る事を約束する証書にサイン。戦争が終わっても、長い間、70年代半ばに暴露本が出るまで、皆、戦時中に何をしていたかについては、口をつぐんできたのです。このステーションXでの、エニグマの暗号破りの最大の貢献者の一人が、アラン・チューリング。

若くしてケンブリッジ大教授となっていた彼は、戦前から、ユニバーサル・マシンとして、コンピューターの先駆けとなるマシンの創造に興味を持っていた人物。エニグマとのバトルに、ボムと呼ばれたコードブレーキング・マシンを作り(このマシンは、映画内では、彼が少年時代に心を寄せた親友の名を取ってクリストファーと呼ばれていました)、マンパワーで行うと非常に時間のかかる暗号破りを、比較的短時間で行うようにしたのです。エニグマは、ドイツ軍が、24時間おきに、設定を変えるので、設定変更後に受信し始めた暗号の内容を、比較的短時間で破る事は必至。

映画を見る前に、戦時中のブレッチリー・パークに関するドキュメンタリーを見ましたが、共に働いていたコードブレーカーの一人が、アラン・チューリングについてこんな事を言っていました。
「彼は天才だった。いわゆるインテリと、天才の違いは・・・インテリは、たとえば、アイデアを聞いて、なるほど、いい考えだ、などと感じても、最終的に、これは、俺でも考え付けたな、と思う。ところが、アラン・チューリングの様な天才は、こんな発想は、自分では到底できないと思うような、独創的な考え方をする。」

天才であった分、かなり変な人であったようで、花粉症に悩まされた花粉の季節は、ガスマスクをつけた異様な姿で、ちゃりに乗ったり、頭脳が自分より、かなり劣ると感じる人間とは、話をしたがらず、そういった人物との会話を避けるため、廊下を、常時うつむいて歩いたり。カニの様に妙な横歩きをしていたという話もあります。また、ブレッチリー・パーク内で、愛用していたマグカップが無くなるのが嫌なので、ラジエーターに、自分のマグカップを鎖でつなぐという事もし。身だしなみは気にせず、洋服もよれよれ。映画内で、彼が、マラソンをしている様子を見せていましたが、マラソンは、オリンピック選手に近い走りぶりだったようです。そして、当時イギリスでは違法とされた、同性愛者であったわけです。

エニグマの暗号を解けていなかったら、戦争は2年は長引き、そのために、更に多くの人命が失われたであろうとされています。こういう暗号を解くにあたって、何度も繰り返されるフレーズというのは、とても有用な鍵となるという事です。ドイツ軍が、そうとは知らずに、エニグマ解読への足がかりを与えてしまったフレーズのひとつが、映画内でも取り上げられていた「ハイル・ヒトラー」。数多くの暗号で書かれたメッセージがハイル・ヒトラーで終わっていれば、それは、確かに、やりやすいかも!

戦争が終わった後、チャーチルは、ブレッチリー・パークの戦時中の書類、マシンを含む、その他すべての焼却と破壊を命じます。エニグマの暗号をイギリスが破ったという事実は、長い間秘密事項であり、戦後も数カ国で使われ続けたエニグマの暗号で、他国の思惑を盗み聞きし続ける必要性もあったと言います。特に、ソ連を初めとする共産圏との冷戦に突入しますので。

戦後、アラン・チューリングは、コンピューターの作成をめざして、学問の世界に戻るのですが、1952年、たまたま知り合った若い男性を家に招き、関係を作ってしまい、この若い男の知り合いが、チューリング宅にどろぼうに入る、という事件が発生。最初はどろぼう事件で調査を始めた警察ですが、アラン・チューリングが、違法であった同性愛行為をした事が発覚し、チューリングはわいせつ罪で逮捕。ホモっ気を無くすため、女性ホルモンを1年取り続けることを約束し、投獄は免れます。

映画は、この事件で起訴され、心身ともに、ぼろぼろになったチューリングを、ブレッチリー時代に親しくし、一時は婚約までもした、キーラ・ナイトリー演じるジョーン・クラークに励まされるシーンで終わっています。ですから、見る側は、この事件発覚により、アラン・チューリングは絶望し自殺した・・・ような印象を受けてしまうのです。

実際は、事件後、アラン・チューリングは、2年ほど、それなりに普通の日々を送り続けたようなのです。1996年に作られたBBCのテレビドラマで、デレック・ジャコビがアラン・チューリングを演じた「Breaking the Code」(ブレーキング・ザ・コード)を見ると、なぜ、イギリス政府が、アラン・チューリングを、セキュリティーへのリスクと感じ初めたのか、そして、彼の動向を常に知ろうとしたのかが、わかります。ちなみに、デレック・ジャコビは、べネディクト・カンバーバッチよりも、どもりを強調して演技しています。又、彼の同性愛嗜好の強さが、映画より前面に出ています。

女性ホルモンを1年取ったところで、当然、チューリングの同性愛が治るわけ無く、ホルモンの影響は、胸が大きくなってしまっただけ。そして、今度は、同性愛が違法でないノルウェーへ遊びに出かけて、知り合った男性と関係を作ったりなどするのです。

冷戦中のソ連と近いノルウェーなどを旅行して、カジュアルな愛人を作ったりすると、その愛人がソ連のスパイである可能性もあるだろうし、また、外国をふらふらしている時に誘拐されて、ソ連へ連れて行かれてしまうという可能性もあるわけです。当時のケンブリッジ大学教授陣の中には、ソビエト・スパイ何人かいたようですし。通常言われているように、彼はホモだから糾弾された、というよりも、そういった彼の生活ぶりが、国家機密を守ろうとする側から見ると危険に見えたのでしょう。また、戦時中、アメリカの国家機密にも触れていたチューリングの動向に、アメリカも少々、危機感を示していたようです。もし、彼が、同性愛者でなくても、その辺で知りあった素性のわからない美女や、北欧の美女と、ベッドインしているタイプの人間であれば、同じような扱いを受けたかもしれません。実際、ドラマの中で言っていたよう、もし彼が、セキュリュティーチェックをしっかり受けた100%信頼の置ける男性とステディーの関係だったら、さほどの不信感を買わなかったんじゃないかという気もします。

ともあれ、当時の同性愛行為で、投獄、それが嫌なら利きもしないホルモン治療と言うのは、確かにひどい話です、今から見ると。時代は少し遡りますが、オスカー・ワイルドなども、そのために、不幸になってしまった人ですし。

1954年のアラン・チューリングの死は、青酸による自殺とされています。ベッドで死体が発見され、枕もとのテーブルにあったのは、食べかけのリンゴ。映画館で見たという「白雪姫」の死をまねて、リンゴに青酸を付けて自殺したようです。テレビドラマのラストで、チューリングの母が、「息子はしょっちゅう、薬物をいじり、手も洗わないタイプだから、自殺ではない。自殺をするタイプではない。事故だ。」と自分に言い聞かせるように何度か言っていました。本当に自殺かわからない・・・。もう、今では、何の証明も不可能でしょうけれど。王子様に起こされる夢を見ながら、リンゴをかじっての自殺。天才の人生の最後としては、かなり演出が利いています。

2009年、イギリス政府は、当時のアラン・チューリングの扱いに対して謝罪。2013年には、エリザベス女王からの、チューリングの逮捕に対する恩赦。そして、この映画でアラン・チューリングは、戦時中のヒーロー、そしてコンピューター開発の先駆者であるという認識は、歴史事実となった感じはあります。

映画内のキーラ・ナイトリー演じるジョーン・クラークの、アラン・チューリングの人生に占める重要性が、実際よりも強調されすぎているという批判があるようです。また、平凡な容姿であったという実物より、綺麗過ぎるそうで。これは、映画作成側、ボックスオフィスに人員導入するというのが最大目的なので、賢くありながら、とても美しい、という設定を使ったのでしょうね。キーラ・ナイトリーが、映画で始めて登場するシーンは、それにしても、あまりにも、くさすぎたな~。映画館の中で、だんなと「So corny!」(くさーい!)とささやきあってしまいましたもの。

また、物語を盛り上げるために、色々他にも事実にそぐわない部分はあるようです。マシン(ボム)の作成も、アラン・チューリングが一人で、機械技師の様に作り上げたわけではなく、外の業者に出したようですしね。最初の頃の同僚との対峙も、あそこまでドラマチックなものではなかったのではないでしょうか。
 
歴史、伝記物については、いつも思うのですが、すべてを鵜呑みにしないで、半分はお芝居と思いながら見るのが良いのでしょう。「イミテーション・ゲーム」も、観客受けのために挿入された様な、いくつかのCornyなシーンに目をつぶれば、面白く、最後は、じーんとくるものありました。べネディクト・カンバーバッチは、すでにアカデミー主演男優賞を取るのではと噂されているようですし、チューリングの子供時代をやった子も、上手かったです。日本では、すでに公開されているかわかりませんが、映画館に出向いて、損はないです。

コメント

  1. 夫のために一番安い英語雑誌TIMEをとっているのですが、最新号の表紙は彼(アラン=ベネディクト)で映画のことなど取り上げられていました。それこそタイムリー^^ 日本ではまだ公開されていないように思います。べネディクト・カンバーバッチはシャーロックで人気ですね。初めて見たのは「戦争の馬」だったかと。

    返信削除
    返信
    1. 私、シャーロック見たこと無いんですよ。日本の友達から、子供がはまって見ていると聞かされ、へー日本でも放映してるのかと思ったのです。ちょっと、金星人みたいな、不思議な顔してますよね、彼。モンゴメリー将軍(モンティー)率いるアフリカでの戦いでも、ステーションXからの情報がかなり役立ったようです。

      削除
    2. シャーロックはインターネットの無料配信で見ました。TVでもNHKが放映したみたいです。ロンドンの今が見られて「あ、これはMiniさんがいつか書いていた場所」などと楽しめました。夫はBasil Rathboneのが好きでダウンロードしたのを時々見ています。

      削除
    3. カンバーバッチのシャーロック、そのうち、遅ればせながら追いかけ鑑賞してみます。冬はそういう事するのにいい時期ですし。Basil Rathboneのも見た記憶がないですし。調べたら、この人、1892年に生まれてる!「緋色の研究」が1887年なので、まさに時代の人ではありますね。私がバジルという名を聞くと、まず最初に思い出すのは、トーキーのホテルを舞台にしたコメディーの「フォルティ・タワーズ」かな。

      削除

コメントを投稿