ウェスト・インディア・ドックとカナリー・ワーフ

7つの海を制覇した、海洋帝国イギリス。その船が、更に遠くへ遠くへと、未開の地へ進むにつれ、世界のあちこちからロンドンに流れ込んでくる物資も増えていきます。

18世紀末にもなると、既存した、テムズ川沿いのロンドンの埠頭は満杯状態。多くの船が、積荷を降ろす事もできず、長期にわたり、テムズ川上で立ち往生となる事、しばしば。この立ち往生期間が、3ヶ月近くなってしまう事などもあったようで、商人たちには頭の痛いところ。かてて加えて、混雑による衝突、また、比較的水が浅い事による、船底の損傷などにより、船と積荷への被害も多く、よって、保険料も上昇。

特に、ラム酒を乗せた、西インド諸島関係の商人たちは、ラム酒を税関へ通す期限が30日と定められており、それを越すと、税関に没収される、という事実も伴い、新しい埠頭の設立を政府へ促すのです。そして、ようやく1802年に、ロンドン中心地より、少し東へ行った、アイル・オブ・ドッグス(Isle of Dogs)北部に建設されたのが、ウェスト・インディア・ドックス(West India Docks)。当初は、ラム酒、砂糖、コーヒー、スパイス等の西インド諸島の産物が、主にこの地で荷揚げされる事となります。

さて、ウェスト・インディア・ドックス内の南の部分が、カナリー・ワーフ(Canary Wharf)と呼ばれるのですが、その名称の理由は・・・1935年に、ウェスト・インディア・ドックス南部のラム・キーと称されたラム酒荷上げ場所で火災が発生。周辺施設とラム酒を貯蔵していた倉庫も炎上。火災4年後、この場は、西インド諸島とは反対方向の、カナリー諸島から輸入されてきた果物を荷上げ、収容する場所と変わり、ドックの脇には、新しい倉庫が建設され、倉庫の壁には、カナリー諸島から取った、「カナリー・ワーフ」の文字が書かれ、その名が定着します。そして、カナリー諸島の果物とは関係なくなった今でも、ここはカナリーワーフと呼ばれ続けているわけです。

1980年に、ウェスト・インディア・ドックスが、最終的にその役目を終えた後、カナリー・ワーフ周辺は、場所が手狭になってきたロンドンのシティーに変わるビジネスエリアとして開発される事となります。1992年に、一番最初にオープンしたビルが、頭にピラミッドを乗せた様なカナリー・ワーフ・タワー(現在の名称はワン・カナダ・スクエア One Canada Square)。シャードができるまでは、イギリスで一番高いビルでしたね、たしか。今でも、カナリー・ワーフのスカイラインを独特のものにしてるのが、このビルの頭のピラミッドでしょう。

地下鉄ジュビリー・ラインが延長され、カナリー・ワーフ駅ができあがるのは、1999年。え、まだそんなものか、という感じですね。慣れてしまうと、長い間、ずっとこの場所にあった気分になりますが。

ビルの間を走るのは、ドックランズ・ライト・レールウェイ(DLR)。足の便も本当に良くなったのです。

ランチ時のカナリー・ワーフのオフィス街は、活気あふれ。レストラン、軽食店の数も多く、戸外でサンドイッチをぱくつける、ちょっとした緑地もあり、仕事をする環境としては、悪くない気がします。

狭い歩道の脇を、車とちゃりが、ぶんぶん飛びかうシティー内より、リラックスして歩きやすいですし。

カナリー・ワーフの北東部には、新ビリングスゲイト魚市場(Billingsgate Fish Market)が居を構えています。上の写真で、水上を渡る通路の背後に、いくつか鉄の柱の様なものが突き出ているのが、かすかに見えますが、これがビリングスゲイト・フィッシュ・マーケットの屋根です。

また、カナリーワーフの北西、ウェスト・インディア・キー(West India Quay)にあるのが、ドックランズの歴史を知れるMuseum of London Docklands(ロンドン・ドックランズ博物館)。この博物館の入っている建物自体が、時代物なのです。1800年から1804年にかけて、ウェスト・インディア・ドックスの建設と共に作られた倉庫の一部が使用されており、何でも、この一連の倉庫は、イギリス内に既存する昔の倉庫の中で、一番古い物の一つなのだそうです。内部には、19世紀のロンドンのドックランズの通りを再現したコーナーもあります。

歴史と超モダンが、いい感じで共存している場所です。

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