チップス先生、さようなら

ジェイムス・ヒルトンの小説、「Goodbye, Mr. Chips」(チップス先生、さいようなら)を、当時34歳のロバート・ドーナット主演で、映画化されたものを最近見ました。

このDVDのカバーから見てももわかるように、1939年と、かなり古い映画です。ロバート・ドーナットは、この映画で、「風と共に去りぬ」のクラーク・ゲーブルをやぶって、アカデミー主演男優賞受賞。1969年に、ピーター・オトゥール主演でミュージカル映画にもなっているようですが、こちらの方は、原作から、少し離れ、時代設定なども変えてあるようです。

イングランド伝統のパブリック・スクールという設定のブルックフィールド・スクールで1870年から58年間ラテン語教師として教鞭を取ったチッピング氏(愛称チップス)。映画の初めで、83歳の彼は、やかんのかかる暖炉の前でうたた寝をしながら、過去の学校での出来事を回顧。

1870年に、若く希望に満ちてブルックフィールドにやって来たチップス。恥ずかしがり屋で、生徒とのコミュニュケーションが上手く取れず、気がつくと、時が経ち、くたびれた中年教師となり、昇進もままならず。

そんなチップスを、同僚のドイツ語教師だったオーストリア人マックスが、休暇中に、自分の祖国オーストリアを一緒に旅行しようと、強引に連れ出す。旅先で、チップスは、女友達と自転車旅行をしていたイギリス女性、キャシーと出会い、2人は瞬く間に恋におち結婚。明るく社交的なキャシーに助けられ、チップスは、生徒との交流と教える事を心から楽しむ教師へと変身。日曜の午後には、生徒を呼んでのティーパーティーも恒例となる。

ところが、幸せな日々もつかの間、キャシーは、エープリールフールの日、お産で、赤ん坊共々死亡。チップスは大ショックを受けながらも、キャシーに教えられた事を忘れずに、ブルックフィールドで、再婚もせずに教え続ける。

年月の経過が、生徒間や、教師間の会話のトピックでわかります。
「フランスとプロシア、どっちが勝つと思う?」
とか
「HGウェルズという人物の本だよ。」
「聞いたこと無い名前だな。」
「新人だよ。あまりにも空想的過ぎて、たいした作家にはならんね。」
とか
「うちに、電話を入れたよ。」
とか
「ヴィクトリア女王の葬式に行って来た。」
「(女王でなくて)王が国家の主だなんて、変な気分だな。」
(現エリザベス2世が亡くなって、チャールズ皇太子が王になった時、私もきっとこう感じるでしょう。)

そして、チップスが1914年に引退した日の夜、
「何かニュースはあったかね?」
「特に何も。オーストリアのデュークがどこだかで暗殺されたくらいで。」
・・・この事件は、当然、第一次世界大戦へとつながるわけで、学校の高学年の生徒、卒業生、教師達、ついには校長までが前線へと向かい、チップスは瞬く間に引退から呼び戻され、戦争が終わるまで、臨時で校長を務めて欲しいと頼まれる。

第1次世界大戦勃発当時のイギリスは、戦争賛成派多数で、若者も中年も、志願する事が愛国的との風潮。戦争は狂気の沙汰と感じるチップスは、「自分はまだ16だが、早く戦場へ行ける年になりたい。」と言う生徒に、複雑な心境を見せる。

映画が作られた当時は、まだ、第1次大戦の傷跡も記憶に新しいところ。また、映画公開は、1939年5月という事なので、同年9月に第2次世界大戦へ突入し、再びヨーロッパが戦場と化し、ひどい事になろうとは、わかっていなかったわけです。第1次大戦があまりに悲惨なものだったため、第2次大戦前は、ヒトラーに懐疑心を抱きながらも、再び戦争は要らない、流血は出来る限り避けたいという風潮が一般で、それも原作と、映画に反映されているかもしれません。

第一次大戦中の授業の1シーンに、ドイツのツェッペリンによる爆撃で、学校の建物が振動する中、チップスは、ジュリアス・シーザーの戦記の一部を生徒に読ませるというのがありました。「ドイツ人は、戦闘沙汰に余念がない・・・」の一節に生徒たちは大笑い。チップスも、「こんな死語(ラテン語)でも、現在に相通じるものがあるだろう。」これにまた、生徒は爆笑。

学校のチャペルで、次々と入る、過去の生徒達や教師達の訃報を生徒達に伝えるチップスは、ドイツ側で戦って死亡したマックスの名も、敵陣営なのに関わらず読み上げる。最愛の奥さんと知り合うきっかけを作ってくれた大切な友だったわけなので。チップスを、一部、古めかしい頭が固いところもありながら、体制に縛られない人間性のある人物として描きたかったのでしょう。

伝統的パブリック・スクールと言う設定なので、名家の家庭の息子達が何代にも渡り、この学校に送り込まれます。特に、コリー家の息子は、チップスが教えた期間、何代かに渡って同じ子役によって演じられており、チップスの長いキャリアの中の一本の途絶えぬ糸の様な存在。83歳のチップスが、暖炉の前のうたた寝と回想から覚めたところで、学校の一日目のため、おどおどとチップス宅のドアを叩くのも、このコリー家の息子。チップスにお茶とケーキをご馳走になり、多少の元気が出た彼が、去り際に言うセリフが、「チップス先生、さようなら。(Goodbye, Mr.Chips)」

時代設定に興味があったのと、また、死や不幸が散りばめられたストーリーの中にもある楽観性が良かったです。古いな、と感じたのは、この時代は、まだ体罰などもあって、悪い事をするとおしりを鞭で叩かれていた事。教鞭という言葉が文字通りの意味を持っていて。今、そんな事したら、生徒の親から、訴えられますから。

さて、チップスが教えた、このラテン語というもの・・・現在、私立学校、また、ある一部のグラマースクール(公立の選別学校)で教えるのみ。それを、ラテン語は大切な教養であり、一般公立学校も、教えるべきだ、のような議論が最近、巻き起こっているようです。

英語以外の現代言語すら一切喋れないという若者も多いのに、死語のラテン語を万人に強制するのは時間の無駄じゃないかと思うのですが。生物、医学専攻の場合は役立つのでしょうが、絶対必要な科目とは思えない。趣味で勉強するならいいけれど、国内統一の教育カリキュラムに組み込むのは疑問です。チップス先生、ごめんなさい。

原題:Goodbye Mr. Chips
監督:Sam Wood
言語:英語
1939年

コメント

  1. 高校時代、親しかった友人が初デートで見てきたと言っていたのが「チップス先生...」でした。たぶんミュージカルバージョンのほうでしょう。彼女の恋ははかなく消え、そのせいか悲しい映画のように思っていました。私はたぶん見ていないと思います。この内容でミュージカルだとどうなのでしょう。見るのなら古いもののほうが良さそうですね。

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  2. 映画も本も、一生で見たり読んだりできるものの数は限られてしまうので、最近は、古典となっているものか、新作でも、評判が良く、古典になりそうなものに手を出しがちです。ハリウッドとは別に、イギリス国内で名作と思われていても、まだ見ていない作品も沢山あるし。
    ミュージカル版は見ていないのでなんとも言えないですが、こちらの方が、原作には忠実という話です。

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  3. こんばんは
    チップス先生はピーターオトールとペトラクラークのミュージカル映画で私のお気に入りです。原作も読みました。すごくイギリス的だと思います。堅物の古典教師、パブリックスクールの厳格な教育、イタリアの遺跡への旅、少年たちの無邪気さ、そこにイギリス人の美徳と美意識を感じたのですが、、。とても良かったです。
    今もあんな学校はあるんでしょうね。
    娘は何を考えてか、大学でラテン語を第二外国語に選んで、2年間勉強しました。気に入ってたようです。
    先生がだったかな?

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  4. この映画には、イタリアの遺跡への旅は出てきませんでした。「風と共に去りぬ」がいまだ人気映画なのに、こちらは、今はあまり話題にされないのが不思議です。ミュージカル版もそのうちに見てみます。
    大学の第2外国語がラテンと言うのも面白いですね。私も、植物のラテン名は覚えたい気がします。こちらでラテン語を話すというと、大体において裕福な家庭で、パブリックスクール出身が多い気がします。ワーキングクラスでラテン語喋る人は、おそらくあまりいないと思います。

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