日記ノススメ

思い返せば、去年の今頃は、調度、コロナ感染が広がりつつある日本へ到着し、1か月ほどの滞在をしました。マスクが売り切れで入手できず大騒ぎをしていた時分で、ガーゼのハンカチを折ってゴムを付け、なんとも不格好で巨大な即席マスクで、顔の半分を覆うという犯罪者のような姿で、電車に乗り、比較的近郊で、毎日の様に、梅見に出かけていましたっけ。その後のイギリスでの生活と比べ、あの日本での日々は自由だった・・・そんな事を、日本の母親と電話で喋っていると、「もう1年。早いわねえ。階段を転げ落ちるように早い。」

この「階段を転げ落ちるように」という、あまり詩的でない比喩が、普段から道で転んだり、階段から落ちて、骨折でもしないようにと、つま先からでなく、かかとから着地して歩くように気を付けているという老人の言葉らしく、無性に可笑しかったのですが、それはさておき。母親と話をするたびに、あまり変わりのないような彼女の生活ぶりと、ロックダウンのイギリスのそれを比べ、違う惑星に住んでいるような気さえ起こります。

日本がコロナで大騒ぎをしていた1年前、イギリスは対岸の火事とのんきに何もしていなかった。もっと近いイタリアでもコロナ騒ぎが始まった当初も、平気でイタリアのスキーリゾートへ行く人もいた。私が日本から戻った時に乗ったロンドンの地下鉄や、住む町へ帰る電車の中で、マスク姿は一人も見ず、ごほごほ、口も押えず咳をしている人もおり、恐怖を感じて、半分息を止めていたのを思い出します。

そうして、イギリスに戻ってから、すぐ、それまでの無策の結果、野放し状態に感染が広がり、それを抑えるため、3月24‘日から1回目の全国的ロックダウン。イギリスの開けては閉め、開けては閉めの、拉致のあかないコロナ対策のはじまり、はじまり。

1回目のロックダウンが緩和されたのが、約3か月後の6月15日。のど元過ぎればで、夏に羽を広げた結果、9月には再び広がりを見せた感染は、当初政府が予定していた、局地的に対策を取るという、モグラ叩き方法ではおさえきれず、ついに、第2回全国的ロックダウンが、11月5日から行われました。とにかくクリスマス前までには何とかしたいと始めたものの、クリスマス前とクリスマスホリデー中の規制緩和の影響と、ケント州で発生した変異ウィルスのため、感染はまた火の粉のように舞い上がり、現在は、今年(2021年)1月6日に始まったロックダウンナンバー3のただ中。これが、いつ緩和されるか、今のところわかりません。この間、ついにコロナ死者が10万人を上回るという、誇れれない記録も達成しています。いまや、政府は、大急ぎで展開している、国民のワクチン接種が、功を成してくれると期待をかけるのみ。南アでの変種ウィルスがイギリスの各地で発生していて、それに対する現ワクチンの効用が、ここ数日すったもんだと議論されています。

旦那の事情で、わが家は去年の春からずっとシールディング(健康リスクのある人間が自ら、家に籠り外に出ない)状態。私がロンドンへ行ったのは、あの帰国の際、ヒースロー空港から戻った時が最後となり、以来、交通機関も一切使用していません。散歩に出かけても、家の周辺や、町の目抜き通りに行って戻る程度。だんなに至っては、わが家のある通りから、さらに遠距離に足を延ばしたのは、去年4月から、ほんの数回のみで、前回は2週間前に第1回のワクチン接種のために、町の家庭医まで歩いて行っていましたが、これが彼にとって、過去1年での最長の遠出でした!要は、約1年間、彼は、庭以外での戸外をほとんど経験していない。根本的にお宅なのか、「やる事や読むものは、いっぱいある」と蟄居をさほど苦にしていないようです。私も、そりゃ、行きたい場所はあるし、人にも会いたい、遠くのハイキングにも出かけたいですが、このままじゃ気が狂う、というほど、家に長時間いる事が苦手ではありません。まあ、一生このままじゃないだろう、出かけられる日が来る、という頭があるので、こうしていられるというのもありますが。

考えて見れば、エリザベス1世のお気に入りであったウォルター・ローリーなどは、女王の死後、ロンドン塔に幽閉され、搭の壁に区切られた空のみを見ながら、10年以上も過ごしたわけで。その期間、何冊も本を書いたり、化学実験をとり行ったりと、色々それなりに気を紛らわす事をしながら。

ただ、毎日、家にいることを余儀なくされると、1日が次の日に溶けていき、記憶の中で合体し、区別がつかなくなり、一体その間に何をしたのやら、わからなくなるという事も考えられます。だから、というわけではないですが、去年の春のロックダウンが始まってからずっとつけ続けて来た日記を、今も続けています。日記というものは、私の今までの人生で、2,3か月以上続いた試しは無かったので、これは快挙。1日1ページ使ってたくさん書こうとか、面白いことを書こうとか、気負いすぎて、力尽きていたのかもしれません。

大体書くのは、1日に、5,6行。とにかくお出かけをしていないので、一般に考えられるような、一大イベントなんぞは無く、どんな本を読んだとか、どんな映画を見たとか、その日起こった世界の大ニュースとその感想とか、庭の鳥の事、花の事、散歩の時に目についた事、だんなとの記憶に残るやりとり、挙句の果てには、今日の昼間の月はやけにくっきり明るいとか・・・そんな他愛のない事ばかりですが。

オスカー・ワイルド作、「真面目が肝心」(The Importance of Being Earnest)という戯曲の中で、グウェンドリン・フェアファックスというお年頃のおませ女性の台詞に、

I never travel without my diary. One should always have something sensational to read in the train.

私は、いつも日記を持って歩いているのよ。だって、人は、電車の中などで、センセーショナルな読み物が、必要ですもの。

というのがあります。

また、大昔の日記などは、その時代を知る大切な歴史文献とも化し、この国では日記魔だったビクトリア女王のものなどが有名ですね。最近は、彼女の日記もオンラインで読めます(こちら)。また更に時代遡ると、17世紀に、ロンドン大火などを、ルポルタージュのように記録したサミュエル・ピープスや、同時代人のジョン・イーブリンの日記なども頭に浮かびます。日本では、永井家風の「断腸亭日乗」なんてのがありました。

今の私の日記はセンセーショナルのまるで反対の代物ですし、何年たっても歴史的価値が上がるとも思えませんけど、日記をつけ、その日にやった事を思い起こし、綴るという行為で、ある一日が、他の日日とは違う、というのを認識できているような気がします。

なんか、この蟄居中にテーマがあってもいいかと、夏ごろから、過去、おざなりにしていた日本の歴史の勉強もぼちぼち始めました。現状の私は、日本の歴史よりイギリスの歴史の方に詳しいような状態ですから、なんとか、この知識のアンバランスを改善させたい。また、著作権の切れている、日本の大正、昭和時代の文学なども読み進んでいます。その点では、青空文庫さんと、インターネットというものに感謝せねば。

昨日、一昨日と雪が積もり、今も粉雪が舞っています。雪が積もった!これぞ、今の私の生活にとっては画期的イベントで、昨日は、わりとまだ人出が少ない朝の早い時間に、近くの教会を遠景にした雪景色を眺めに行きました。3年前の、「The Beast from the East」(東方からの野獣)と命名された大雪以来の光景です。

更に、昨日の午後には、庭で雪だるまを作りました。托鉢僧風雪だるまにしたかったのですが、頭にかぶらせる笠が無いので、ツタの冠をのせると、森の精の長老風か。

外部からの刺激と言うのは、慣れていくもので、刺激を浴びるように受けていると、更に強い物へと進んでいき、とめどを知らず、やがては何もかも陳腐なものと化してしまう事があります。逆に、非常に行動範囲が限られた今、小さなことでも一大イベントと化すのです。お昼にはピザを焼こうと決めた朝は、妙に、午前中はそれが楽しみだなんて、くだらない経験もしています。まあ、悪いことではないでしょう。私にも、夏が来るまでには、1回目のワクチン接種のお誘いが来ると思いますが、蟄居はまだ当分続く気配ですので。

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