VE デー(ヨーロッパ戦勝記念日)

トラファルガー広場のライオンの周りに集まるVEデーの群衆

明日、5月8日は、VEデー(Victory in Europe Day、ヨーロッパ戦勝記念日)です。今年は、75周年であるので、本来なら、あちこちで色々な催しが行われるはずのところが、新型コロナウィルスのロックダウンの影響で、予定変更、こじんまりと、おとなしいものとなりそうです。

1945年4月30日、ベルリンの戦いの最中、アドルフ・ヒトラーが自殺。ヒトラーの後を継いだカール・デーニッツは、臨時政府、フランスブルク政府を設立。当政府が、5月7日に、ナチス・ドイツの無条件降状に調印。連合軍による、ノルマンディー上陸から、実に11か月後の事です。翌日5月8日、イギリス首相のウィンストン・チャーチルによる正式なアナウンスを聞こうと、またお祭り騒ぎに参加しようと、多数の人々がロンドンへやってくる。

午後3時に、チャーチルがダウニング街10番地から、ラジオのアナウンスを行います。同アナウンスで、前日7日の午前2時41分にドイツが無条件降伏をした事、この日(8日)、更に、ベルリンで、これが批准される予定である事、このため、ヨーロッパでの戦争は公式に、夜中の12時1分に終了する事が、ラジオ及び、ロンドン中心地に備え付けられたスピーカーから流れ出て、国民はおおはしゃぎ。そして、ヨーロッパ戦勝記念日として、8日と9日の2日間、羽を伸ばしてお祭りをしよう、ただし・・・とチャーチルが続けるに、まだ、多大の苦労と努力が要求される事を忘れずに、日本はまだ降伏していないから、と。最後は、

Advance Britania! Long live the cause of freedom! God save the King!
ブリタニアよ、進め!自由の権利よ永遠なれ!神よ、王を守り給え!

でスピーチをしめくくっています。

チャーチルは、国会のハウス・オブ・コモンズ(庶民院)で、再び、同じ内容のスピーチを行い、その後、議員たちは、ハウス・オブ・コモンズの教会とされる、聖マーガレット教会へ、勝利の感謝を捧げるために向かいます。

右から、ジョージ6世、チャーチル、クウィーン・マザー、エリザベス王女(現女王)

午後5時には、バッキンガム宮殿のバルコニーで、王夫妻と二人の王女(エリザベスとマーガレット)それにチャーチルが現れ、大群衆に向かって手を振るという、最近の王室関係の行事でも、よく見かける光景が展開されます。

VEデーのスピーチ放送中のジョージ6世

国王ジョージ6世も、ラジオで、チャーチルと同じような旨の放送を行っています。この放送を最初から最後まで聞きましたが、映画「英国王のスピーチ」(The King's Speech)で描かれていた通り、ゆっくりな喋りながらも、しっかり、どもりを克服していました。戦争中に、国民のモラルをあげるため、できるだけ外に出ていき、公的役割を果たし、スピーチを繰り返す事で、戦争が終わるころには、もうベテランの慣れっこになっていたのでしょう。

ロンドンは、夜通し、歌って踊っての大パーティーとなるのですが、この時に、エリザベスとマーガレット王女は、お供に連れられ、おしのびで、夜のロンドンへ繰り出し、群衆に混じって、どんちゃん騒ぎに参加したと言われています。これを題材にした、2015年の、「ロイヤル・ナイト 英国王女の秘密の外出」(A Royal Night Out)という、どーしょーもない映画がありました。この映画は、特に、お勧めはしませんが。


ロンドン外でも、VEデーのお祝いに、イギリスのあちらこちらの町や村で、通りにテーブルを出してのストリート・パーティーなども盛んに行われ。当時の写真の、女性のかっぽう着(エプロン)姿が、なんだか、レトロです。エプロン姿、結構好きなのですが、こちらでは、もうほとんど見かけません。75周年の今年も、こうした、ストリートパーティーなどを企画していた自治体などもあったのかもしれません。

2日のお祭り騒ぎの後、イギリス国民のムードは再び、少々暗いものになって行ったと言います。まだ続く、アジアでの日本との戦争、まったく楽にならない生活と、配給制、怒りと決意の対象となるヒトラーのドイツを無くし、連結感も緩んでいき、我慢より、政府に対する不満が増えてゆく。

そんな雰囲気の中、VEデーからほんの2か月後の、7月に行われた総選挙で、チャーチルの保守党は、クレメント・アトリー率いる労働党に大敗。戦争のカリスマ・リーダーの時代は終わった、これからは、自分たちの日常を少しでも改善してくれそうな党を、という事でしょう。よって、首相の座を退かざるを得なくなったチャーチルは、アメリカ合衆国、ソ連、イギリスの首脳が集まって、大戦後の処置を話し合うために開かれたポツダム会談(7月17日~8月2日)の途中で、クレメント・アトリーにバトンタッチすることとなります。合衆国のフランクリン・ルーズベルト大統領は、4月12日、VEデーも待たずに亡くなってしまっているので、合衆国からは新大統領のハリー・トルーマンが同会議に出席しています。

VEデーの他に、イギリスでは、VJデーというのもあります。こちらは、Victory over Japan Day(対日戦勝記念日)のこと。イギリスでは、これは、日本の終戦日と同じく8月15日で、1945年の、VJデーは、やはりお祭り騒ぎであったようです。が、最近では、さほど大掛かりな式典やストリートパーティーなどは見られません。第2次世界大戦の公式な終結は、東京湾に停泊する戦艦ミズーリ上で、日本が降伏文書に調印する9月2日となりますが、こちらも、今では、言及される事も無い感じです。何の日かと聞かれて知らない人も、ほとんどではないでしょうか。王室の人間、政治家が参列する、公式の、第1次世界大戦、第2次世界大戦、その他の戦争犠牲者を悼む追討式は、11月11日(第1次世界大戦終戦日)に一番近い日曜日に、行われています。

やはり、イギリス人にとっては、場所的に遠かった大東亜戦争より、国土が襲撃された、ナチス・ドイツとの戦争のインパクトの方が強烈であったのでしょう。(日本を相手に実際戦ったり、捕虜となった連合国兵士であれば、それは全く別の話ですが。)VEデーの時の解放感と安ど感の方がより強く、イギリス国内、またヨーロッパ各地では、この日に、心の中での戦争が終わっていたのだと思います。

よって、7月の選挙で、「Let us face the future」(未来に立ち向かおう)と、戦争を過去として、戦後の復興をスローガンにあげたアトリー労働党が勝利する事となるのでしょう。こうして、1951年の秋に再び、チャーチルが首相として返り咲くまで、アトリーの労働党内閣が、現在コロナウィルス感染阻止の最前線に立つ、イギリスの医療機関、NHS(ナショナル・ヘルス・サービス)を軸とした、戦後の「ゆりかごから墓場まで」のイギリス福祉国家を形作ることとなります。

コメント