ダイアナの死20周年

1997年8月31日のダイアナ妃、プリンセス・オブ・ウェールズの死から、もう20年も経ちましたか、早いものです。同年の春には、若かりしトニー・ブレアが、労働党を大勝利に収め首相となったばかりで、国のムードは、希望に満ちて、明るいものがありました。彼女もトニー・ブレアに、自分の公人としての価値を見出してくれる人が登場した、と世界をまたにかけた、チャリティー活動などのキャンペーンに更なる力を入れだした矢先だった気がします。

ダイアナの死に関連するドキュメンタリーなどもいくつかテレビでかかっていました。20年も経つと、さすがに、心の整理も済んでいるのか、かつては、母が死んだときの事は聞かないで欲しいなどと言っていた王子たちも、当時の気持ちを語っていました。15歳の少年だった息子のウィリアム王子は、葬儀の際に、公の目の前で、母親の棺の後をついて歩くのが、義務とは言え、やはり、苦痛であったようで、うつむきながら、そのころはまだあった前髪の下に、顔と表情を隠す気持ちで歩いた、などとインタヴューで言っていました。その彼も、今は、2児のパパで、若禿のため、隠れられる前髪も無くなっているわけです。やはり、インタヴューで、母を死に追いやったパパラッチたちが、車が衝突した後も、ケガをして車内にいる瀕死の母を助けようともせず、写真を撮り続けた・・・というのが、今も一部のメディアに対する不信感につながっているようです。それはそうでしょう。

以前、ケンジントン宮殿観光の記事で書いたように、私は当時、彼女が住んでいたケンジントン宮殿近郊のノッティングヒルに住んでいたため、彼女の死後、何度かケンジントン・ガーデンズを歩くごとに、山と積まれた花束の数が増えていき、その香りがむせるようだったのを今でもよく覚えています。私は、ウィリアム王子とは違って、髪の毛はまだ沢山ありますが、当時の自分の生活を思い返すと、状況の変化も大きく、思えば遠くへ来たもんだと感じます・・・。

数年前に、2000年生まれの姪っ子がイギリスに遊びに来た際、セント・ポール寺院の前を通った時、「チャールズとダイアナが結婚した場所だよ。」と教えると、「ダイアナって誰?」と言われ、世代のギャップに衝撃を受けたのです。自分が、大変な過去の人になった気がしました。姪には、ちゃんと、ユーチューブであとから、ダイアナの結婚式と、ダイアナの葬儀のビデオを見せたので、今は、ダイアナが誰かは、知っているのですが。

ダイアナのパリでの事故死の後の顛末は、2006年の映画、「クィーン」に大変よく描写されています。

今年は、春からすでに、ダイアナ妃記念の年という事で、ケンジントン宮殿のサンクン・ガーデンでは、彼女のイメージ色、白で統一した植え込みなどをやっており、3月に訪れた時は、ガーデナーたちが、白いチューリップなどを植えていたと記憶します。

また、宮殿内では、ファッション・アイコンとしてのダイアナのドレスを展示する特別展も行われており、私は、年間、無料で入れるカードを持っているので、これで入場。宮殿内の他の部分には、難なく入れたのですが、このダイアナ・ドレス展入り口には、行列ができていて、中に入るまでちょっと並びました。圧倒的に女性が多かったです。

ダイアナ妃は、お勉強があまりできなかったというのは有名で、16歳の時に、こちらの学生が受けるOレベルと呼ばれる試験を、2回受けたにかかわらず、受けた科目全部落ちてしまったという話です。当時のOレベルは、現在のものより、難しかったなどとは言われますが、2回受けて、それでもひとつも受からないというのは、やっぱり、学問に向いていなかったのでしょう。でも、当時のイギリス王室は、学問はさておき、妃には、家が良く、見栄えが良く、過去に男歴がないことを大切としたのでしょうね。また、世継ぎを生むのが義務であるので、若くて健康なことも重要。

本当に好きな女性とは結婚できないからと言って、趣味も、性格も合わないダイアナでいいのか、と気持ちが決まらないチャールズ皇太子は、世継ぎを作る必要性からのプレッシャーで、結婚に踏み切った感じです。ダイアナ妃は、結婚の1年後にウィリアム王子を生み、その2年後には、ハリー王子も生み、世継ぎと、万が一の場合の予備の世継ぎもしっかり生んで、あっという間に、要求されていた義務は果たしたのですが、その後のすったもんだの離婚問題は、結婚に至ったバックグラウンドを考えると、当然の成り行きではあったのでしょう。自分なりの幸せと役割を探す彼女と、王室の旧体制との衝突、その後の離婚の影響、彼女の突然の死と、それに対する国民の反応で、英国王室の過去のいただけない体質と、物の見方が多少なりとも変わったのであれば、それは不幸中の幸い。

さて、そんなこんなで、若くして王室に嫁いだ彼女の、最初の頃のドレスというのは、まだ、子供のお姫様人形の着せ替えドレス風。

レースとリボンをたくさん使った、全体的ふわふわイメージで、あか抜けないものがありました。髪型も、かわいこちゃんカットでしたしね、最初の頃は。

時が経つにつれ、これがだんだん、シンプルで洗練されたものになっていく。ジョン・トラボルタと踊ったドレスとして有名なトラボルタ・ドレスも展示されていました。

こんなのもシックなドレスですね。このドレスを着る彼女の写真の髪型もナチュラル風。

チャリティー活動なども盛んとなってくると、仕事着的、スーツ風のものも登場し。

時間順に、彼女のドレスを見ていると、夢見がちの世間知らず、王子様と結婚するわ、とおとぎ話を夢見て結婚し、ふわふわドレスでデビューした女の子が、常にある公の目と批判、おとぎ話とは程遠い、スポットライトの後ろの実生活にもまれ、自分を探しての試行錯誤で、徐々に洗練され、大人になっていく過程を追えます。一人の女性の変わりゆく洋服をながめながら、子供時代から今までの人生振を振り返り、別な意味で、どういう人生が欲しいのか、どういう人間になりたいのか、試行錯誤してきた自分も思い出され。


ダイアナのファンであろうとなかろうと、同時代を、同じ国で生き、社会の一部にいつも彼女の存在があった人間にとっては、彼女は、もう思い出のタペストリーの一糸に無意識のうちに織り込まれている感覚があります。また、更には、20年前に終焉した彼女のストーリーを思い起こしながら、その後20年の自分のストーリーにも思いをはせる機会となりました。

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