エフィー・グレイの二つの結婚

エフィー・グレイ(Euphemia Gray、通称"Effie" )は、ヴィクトリア朝の画家ジョン・エヴァレット・ミレー(John Everett Millais)の奥さんだった人です。また、彼女は、ミレーと結婚する前に、有名な美術批評家、思想家、または新進気鋭の芸術家たちのパトロンでもあったジョン・ラスキン(John Ruskin)に嫁いだ事でも知られています。スコットランド出身のエフィーは、結婚前、ラスキンの祖父が自殺をしたというスコットランドにある館に住んでいたのだそうです。

非常にすぐれた批評家であるとされ、ターナー、そして、ミレーを含むラファエル前派の画家たちを高く評価、奨励、援助したジョン・ラスキンですが、人間的には、かなり欠陥があった人のようです。美しくつるっとした、彫刻での女性のヌードばかり見てきたため、女性の体というのは、そういうつるっとしたものと、思い込んでいたのでしょうか、エフィーとの結婚初夜に、彼女の陰毛(!)を見て大ショックを受けてしまう。彫刻とはまるで違う、本物の大人の女性の体に拒否反応を起こしてしまったのか、以後、6年間の結婚生活の間、エフィーの体に触れる事も無く、夫婦間のエッチも一切なしで過ごすこととなります。彼の芸術に関する見解は、「自然と現実に忠実であれ」であったのにですが、普通の大人の女性の体の現実を受け入れられない人間の口から、こういうえらそーな説教されたくないですね。だんなに、拒絶され、更には、冷たくあしらわれるエフィーは、不幸な毎日。虚弱となり、精神も病んでいきます。

1853年、ラスキンと親しくなっていた、ラファエル前派の1人であった、ジョン・エヴァレット・ミレーは、ラスキンに招かれて、スコットランドのコテージに、ラスキン夫婦と共に滞在。この際、ミレーは、本人からの依頼で、ジョン・ラスキンの肖像に着手しています。スコットランド滞在中、ミレーは、エフィーのやさしい性格に惹かれ、別のラファエル前派の画家ウィリアム・ホルマン・ハントへの手紙に「ラスキン夫人は、この世で一番愛らしい女性」としたためています。エフィーはエフィーで、むすっとした自分のだんなに比べ、背が高く、活発で明るいミレーに惹かれていったようです。ミレーは、エフィーに絵のレッスンをしたり、エフィーの不幸な結婚生活にも気がついたか、同情もつのりつのって行き。同情するって事は、恋した証拠、なんて言いますからね。一番上に載せた絵は、このスコットランド滞在中に、ミレーが針仕事をするエフィーを描いた、油絵のスケッチ。最初は、ラスキンへのプレゼントにするつもりであったのを、記念に自分で保持した絵だそうです。ミレーは、スコットランドを去ってロンドンに戻った後、エフィーの母に、エフィーの健康状態を憂う手紙も送っています。

当時、女性が男性を離縁するという事はかなり難しい事であったのですが、エフィーは相談相手として慕っていたエリザベス・イーストレイク夫人(王立芸術院の会長チャールズ・イーストレイクの妻であり、自らも美術歴史家でもあった人物)に自分の正常ならぬ結婚の裏幕を伝え、助言を受け、弁護士を通して、ジョン・ラスキンは不能であるため、真の結婚生活は成り立たない、よって、結婚を無効であると申請。かなり、勇気がいる決断だったと思いますが、もう、絶えられないほど嫌だったのでしょう。

この美術批評界の寵児のプライベート・ライフの暴露は、勃発したばかりのクリミア戦争のニュースも吹っ飛ばすほどの、一大スキャンダルとなります。この際に、エフィーは、処女であることを証明するため、医者の検査を受けています。両者を其々支持する友人たちは、相手側を非難して喧々囂々の論争を戦わせたようですが、1854年7月に、勝利はエフィーに微笑んで、ラスキンとの結婚は無効と宣言されます。そのため、エフィーは、翌年1855年7月に、めでたく、ミレーと結婚。二人は、後の40年間を仲むつまじく暮らすことと成ります。設けた子女は計8人。

ミレーは、この騒動の最中、なかなか筆が進まなかったものの、ジョン・ラスキンの肖像(上)は、一応、仕上げています。ラスキンは、この肖像をかなり気に入ったようで、ちゃんと支払いもしており、以前と同じような友人関係を続けようと促すものの、ミレーは、この後、ラスキンとの交友を絶ちます。

このスキャンダルの真偽は現在でも、取りざたされることはありますが、ミレー夫婦が幸せな結婚生活を送ったのとうって変わって、この後、ラスキンは、当時10歳であった少女と本気で恋に落ちたりしているので、やっぱり、ちょっと、性的に屈折したところがあったのだと思います。

「スキャンダル」と言うものを倦厭する者が沢山いる時代でありながら、エフィーの友人たちは、大方、彼女に忠実に、以前と同じように交友を続けたようです。が、ミレーの絵を気に入りながらも、ビクトリア女王は、頑なにエフィーと会うことを拒み、ミレーが、裕福で有名な画家となるものの、エフィーは、一切、だんなが出席する王室関係の式典やパーティーへの招待を受けず、ミレーは、これに、かなり心を痛めていたようです。最後が近づいた病床のミレーへの、「何か私に出来ることはないか?」というビクトリア女王からの伝言に、ミレーは、「エフィーに会ってやって下さい。」ビクトリア女王は、それに答え、即座に、エフィーに謁見を許したそうです。この時には、エフィーもすでに、体の具合を悪くして、目もかなり弱っていたそうですが。ミレーは、1896年8月に死去。エフィーは翌年12月に亡くなっています。

ジョン・エヴァレット・ミレーは、波乱万丈とは言いがたい、比較的平穏な生涯を送った画家の印象があり、そのためか、つまらない画家と思われる事もある気がします。自分の耳を切り落としてしまうような、貧しく悩める画家の方が、芸術的評価が高いという現代の傾向も不思議なものです。それでも、なかなかロマンチックな結婚生活を送った人で、生涯通して、奥さんが本当に好きだったんでしょう。エフィーは、スキャンダルを起こしてでも、結婚無効に踏み切った甲斐は十分あったので、そういう意味では、めでたし、めでたし。また、結婚後の彼の絵は、往々にして、センチメンタルだとか、大衆の嗜好に合わせて妥協しているなどとの批判や、若い頃は、反体制として始まったラファエル前派のメンバーでありながら、やがては、妥協し、自ら体制の一部になったという批判もありますが、私は、彼の絵、好きですね。ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティや、ハント、それに金属的な冷たい感じのするバーン・ジョーンズの絵より、ずっと気に入っています。

という事で、エフィーがラスキンと結婚し、ミレーとの出会いの後に、ラスキン家を去るまでの彼女の人生を描いた映画「Effie Gray」(エフィー・グレイ)を見ました。わりと、賛否両論の映画だったようですが、私は、エフィーが体験した、愛情の無い拘束的生活がひしひし伝わる、いい映画だと思います。スキャンダルを引き起こすとわかっていて、結婚無効を求めた気持ちがわかるのです。本当にこんな状況だったら、私だって、同じ行動に出る。

ちなみに、この映画公開時のポスターとDVDの写真に、ミレー作の有名な「オフィーリア」の絵が使用されていたのですが、「オフィーリア」のモデルはエフィーではなく、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの後の妻、エリザベス・シダルですので、あらかじめ。ただ、狂って溺死するオフィーリアの様に、ラスキンのもとで、逃れなれない窒息しそうな生活を送ったエフィーの存在を表すイメージとしては合っています。

ラスキンが、本物の女性の裸体に幻滅し、エフィーとエッチができなかった、という話は有名で、かなり前から知っていましたが、この映画で、彼の両親の異様なまでの、息子への執着もわかり、ますます、こんな家に嫁いだら大変じゃ、と感じます。一時的に、ラスキンが仕事でヴェニスに出かけた際には、怖い義理の両親から離れられて多少羽を伸ばすことができるのですが、それもつかの間。ラスキンはラスキンで、常に、じめじめと、エフィーの性格を陰に批判し、感情的いじめも行い、体調を崩す事が多かった上、神経がやられたエフィーは、髪の毛が一部抜け、禿もできてしまう。

肖像の依頼を受けたジョン・エヴァレット・ミレーと、ラスキン夫婦が、スコットランドのコテージで過ごす間に、ミレーとエフィーの間に育っていく情愛も、上手に描かれているし、ミレーが、自分を支援してくれている人物でありながらも、非人間的なところのあるラスキンの態度に、徐々に反感が募ると共に、エフィーへの同情と愛情も強くなる過程も、信憑性があります。

最後にラスキン家を馬車で去るエフィーの姿には、ほーっとさせられます。

エフィーの相談役のエリザベス・イーストレイク夫人を演じたエマ・トンプソンが、脚本も手がけているようです。人がほとんどいないヴェニスの風景なども魅力的でした。

原題:Effie Gray
監督:Richard Laxton
言語:英語
2014年

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