ダイド・エリザベス・ベルとウィリアム・マレー

Dido Elizabeth Belle(ダイド・エリザベス・ベル 1761-1804年)は、イギリス海軍のキャプテン、ジョン・リンゼイが西インド諸島で、黒人奴隷の女性に産ませた私生児。リンゼイは、この混血の娘を、幼いうち、イギリスへ連れて行き、自分の叔父にあたる第1代マンスフィールド伯爵、ウィリアム・マレー(William Murray)の館(ロンドンは、ハムステッドにあるケンウッドハウス)を訪れ、子供のいない叔父夫婦に、彼女の養育を託すのです。

すでに、ウィリアム・マレーと妻エリザベスは、やはり甥であるデイヴィッド・マレーの娘、エリザベス・マレーを、エリザベスの母が死んだ後、預かり育てており、ダイドは、エリザベスと共に、大叔父、ウイリアム・マレーの保護下、同じ屋根の下で教育を受け、2人は、姉妹の様に仲良く育っていく事ととなります。エリザベスの父は、その後再婚し、ウィリアム・マレー亡き後、第2代マンスフィールド伯爵として家をつぐ身。

ダイドとエリザベスを描いた上の絵は、まだ奴隷制の時代、黒人と白人である2人を、同等に描いてあるという点で、珍しいものだそうです。家族メンバーだけの集まりでは、ダイドとエリザベスは、ほぼ同等に扱われていたようですが、来客の際は、ダイドは、客との正式な夕食などの同席は許されず、食事後の、ややくだけたコーヒータイムになってから初めて、客に紹介されるなど、多少、当時の社会の偏見と習慣を意識した扱いは受けることもあったようです。黒人の血が入って入る上、私生児でもありましたから。いずれにしても、若い頃から、奴隷制度というものには、批判的であったウィリアム・マレーは、彼なりに、そして時代を考えると、異例なほど、ダイドを、大切に愛情を持って育てた様です。彼の遺書には、自分の死後、彼女の立場に不明な点が無い様に「(奴隷の母から生まれたものの)ダイドは、自由な人間であると」明記されているそうです。

さて、このウィリアム・マレーという人物は、スコットランド出身で、当時イギリスで一番と言われたウェストミンスター・スクールで教育を受けた後、オックスフォード大で学び、その後法律家の道へ。有力政治家の娘、エリザベスと結婚。やがて、高等法院主席判事(Lord Chief Justice of  the King's Bench)の座に着き、イギリスで最も影響力のある人間の一人でもあった人物。徐々にイギリス国内で、奴隷制廃止を唄う人物が現れてきた中、彼は、主席判事として、黒人奴隷に関わる、1772年の「サマセット事件」において、奴隷制の廃止への足がかりとなる判決を行った事で有名です。

この「サマセット事件」のあらましをざっと書くと、黒人奴隷ジェームズ・サマセットは、イギリスにつれてこられた後、再び、ジャマイカへ奴隷として輸送されるため、船に乗せようとする主人から脱出したものの捕まってしまう。奴隷廃止運動のリーダー格であったグランビル・シャープは、ジェームズ・サマセットの人身保護礼状を獲得し、彼のイギリス国内での自由、乗船を拒否する権利を求めて、裁判へ。ウィリアム・マレーが下した判決は、サマセットとグランビル・シャープ側に勝利をもたらすものとなります。

It is so odious, that nothing can be suffered to support it, but positive law. Whatever inconveniences, therefore, may follow from the decision, I cannot say this case is allowed or approved by the law of England; and therefore the black must be discharged.

それ(奴隷制)は、あまりにも酷いものであるため、実定法以外には、その様な制度を正当化できる術は、一切無いであろう。この判決後に、どのような不都合が起ころうとも、イングランドの法が、その様な事を許し、是認すると判断する事はできない。よって、当黒人は、解放されるべきである。

そして、更には、1783年に、マレーが関わるのが、ゾング号事件。アフリカ奴隷を乗せてジャマイカへと向かった奴隷船のゾング号。目的地を間違えて通り越してしまい、さまよううち、船内の水が不足となる。船員達は、そこで健康な奴隷と乗組員を守るというたてまえで、病気で弱っている132人のアフリカ奴隷を、海へ投げ入れ殺す。最終的に、ジャマイカへたどり着いた後、船旅の記録簿は、なぜかミステリアスに紛失。船のキャプテンも、すぐ死亡。後に、ゾング号の船主は、この132人の奴隷の損失価格を、保険で請求。保険業者は、支払いを拒否。そこで、船主が、保険業者を相手どって、リバプールにて訴訟を起こし、保険業者は、金の支払いをすべきだとの判決がおりる。ゾング号のキャプテンおよび、乗組員が、すでに病気で弱り、価値のなくなった奴隷たちを、海に投げ込み殺す事で、せめて、保険金を儲けようという意図があったとし、この最初の判決に不満を持った保険業者は、事件をウィリアム・マレーの元へ持っていく・・・。マレーは、保険業者側に同意。

ゾング号事件は、一般庶民の間でもスキャンダルを引き起こし、奴隷制廃止支持者の上昇に繋がります。(この事件をテーマにしたターナーの絵は、過去の記事を参照ください。こちら。)

さて、このウィリアム・マレー(マンスフィールド伯爵)が育てた、奴隷の血の入る、ダイド・エリザベス・ベルを主人公とした、「ベル」という映画をDVDで見ました。行った事のあるケンウッド・ハウスも出てくるとあって、公開時に映画館へ行こうという気もあったのですが、気がつくと終わっていたので。この映画は、どうやら、日本公開されていないみたいなのですが、今年中に、日本でもDVDは出るようです。

あらすじ

マンスフィールド伯爵の庇護の下に、すくすく育ち、お年頃になったダイドとエリザベス。エリザベスは、婿さん探しのために、社交界デビュー。紳士は、ダイドの様な背景の女性を、妻にとろうとは考慮しないであろうと、マンスフィールド伯爵夫妻は、ダイドの結婚は無いものとみていたのですが、エリザベスより先にプロポーズを受けるダイド。いったんは、喜んで承諾したものの、許婚の兄が彼女に見せる下劣な態度と、許婚の母の自分を見下した態度に、自分を恥と感じる家に嫁ぎたくないと、やがて婚約破棄。

同時に、地元ハムステッドの牧師の息子で、法律を学ぶジョン・ダヴィニエと知り合うダイド。彼から「ゾング号事件」の顛末と、その判決を大叔父が近々行うという事を知るのです。そして、この事件を船主の敗北に持って行き、黒人を人間としてではなく貨物として扱う社会を変えたいという心意気高いダヴィニエを、ダイドはだんだん好きになるのです。そして、もちろんダヴィニエもダイドに惚れてしまい。

ダイドは、「ゾング号事件」に大叔父がどんな判決を下すかに心を取られながら、また、大叔父が、エリザベスと自分を一緒に肖像画に描かせようと言う計画にも、いささか、心落ち着かないものがあり。というのも、ケンウッドハウス内には、白人の主人の横や下にちょこんと黒人の召使が挿入されている絵があり、自分とエリザベスの絵も、そんな風に描かれてしまうのでは・・・という心配。

肖像画ができあがり、自分とエリザベスが同等に描かれているのを見、「ゾング号事件」判定でも、黒人を人間としてみた判決をして欲しいと大叔父に頼むダイド。船主側に過ちがあると判定を下した後、ウィリアム・マレーは、ダイドとダヴィニエの将来の結婚を許す決断をし、ダヴィニエが、法律家になれるよう手助けをする約束をして、めでたし、めでたし。

映画の中では、肌の色による人間の差別と自由の有無と同時に、当時の女性の運は、どれだけ、親からの持参金と遺産、良い婿さんを探す事ができるかにかかっていたという、女性の自由の無さにも触れています。死んだ父から遺産を受け、結婚せずとも生活できる立場となったダイドにむかって、遺産も無く、よって、持参金も少なく、必死の婿さん探しをするエリザベスが漏らす言葉が、

Aren't you quietly relieved that you shan't be at the caprice of some silly sir and his fortune? The rest of us haven't a choice. Not a chance of inheritance if we have brothers, and forbidden from any activity that allows us to support ourselves. We are but their property.
ダイドは、どこぞのつまらないサー誰々の気まぐれと、そのお金に頼る必要が無いから、内心ほっとしてるのじゃないの?私なんかは、ほかに選択の余地がないもの。男兄弟がいたら、遺産などもらえないし、自分自身で生計を立てるための事に従事するのも許されない。私達は、ただの男性の所有物よ。

エリザベスの父は、マンスフィールド伯爵の位を継ぐ身であっても、2番目の妻との間にも子供がいますから、こういう発言になったのでしょう。

やはり同時期の社会を描いたジェーン・オースティンの小説なども、とにかく将来の安定を与えてくれる婿さん探しが、一大テーマですしね。そして、願わくば、お金もあり、心もやさしい、ミスター・ダーシーの様な人物と、愛のある結婚を・・・というのが、比較的遺産の少ない女性たちの夢。

このエリザベスの言葉が気になっていたダイドが、ダヴィニエに
Must not a lady marry, even if she is financially secure? For who is she without a husband of consequence? It seems silly - like a free negro who begs for a master.
女性は、経済的必要が無くとも、結婚相手を探すべきなのよね。だって、結婚していない女性など、何の社会的地位もないわ。馬鹿げた話だけれど・・・自由を与えられた黒人奴隷が、自ら主人を乞い求めるみたいに。

対してダヴィニエは、
Well, unless she marries her equal. Her true equal. A man who respects her.
その女性が彼女の同等の人物と結婚しない限りは。彼女の本当の同等な人物・・・つまり、彼女を尊敬する人物と。

「あなたを尊敬する同等の人物はおいらだよー!」と口説いてるわけですよね、要は。

映画のストーリーとは離れて、ダイド・エリザベス・ベルがどういう人物であったのか、はっきりとした記述はあまり残らず、不明な点は多いようです。ですから、映画のシナリオは、かなり想像力を利かせています。実際に、ゾング号事件に、ダイドがどれだけ関わったのかも、全くわからないみたいですし。映画の中では、彼女の方がエリザベスより、思慮深く、より洗練されていて、ピアノなども上手、に描かれていました。そりゃ、ヒロインですからね。ただし、幼馴染エリザベスと同じような教育を受けていたのは確かのようで、ウィリアム・マレーが、ダイドの手描きの文字が綺麗なため、手紙の記述を頼んだりしていたようです。なので、大叔父が、どんな裁判に携わっているかなど、わりと良く知っていた可能性はあるという事。また、「サマセット事件」も「ゾング号事件」も、法律家として、自分の感情を入れずに、法の観点のみで判断を下す必要性はあったものの、ダイドの存在が、最終判定に多少の影響もあったかもしれません。

1793年に、大叔父が87歳で死去した5ヵ月後に、ダイドが結婚したジョン・ダヴィニエは、実際、ハムステッドの牧師の息子ではあったものの、映画の中の様な法律家ではなかったという事。結婚後、ダイドは3児を儲けて、41歳で死去。ケンウッドハウスを去ってからのダイドの結婚生活の記録は、それ以外は不明。

いずれにしても、奴隷制というものがイギリス内でどう判断されるかの分岐点の時に、たまたま、高等法院主席判事が、黒人奴隷の血をひいたダイドを育てた、というのは、偶然、というか、ほんとうに物語の様な事実です。映画も、ストーリに多少の創造が入っているとは言え、私は、結構気に入りました。マンスフィールド伯爵家メンバーの、人間関係も、信憑性があるように、上手く描かれていて。

ちなみに、ダイドとエリザベスの肖像は、現在はマンスフィールド伯爵家のスコットランドの邸宅スコーン・パレスにかかっているという事。私がケンウッドハウスを訪れた時には、ポスターまがいの、この絵のコピーが飾ってありました。

原題:Belle
監督:Amma Asante
言語:英語
2013年

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