アルフリストンは小さな宝石

イーストサセックス州の海岸線から少々内陸に入ったサウスダウンズと称される一帯にあるアルフリストン(Alfriston)は、それは可愛らしい村であります。イングランドの昔ながらの村を想像すると、こういう感じになる、という見本のような場所。英語で言うと、リトル・ジェム(little gem、小さな宝石)と表現したくなる、そんな村です。

前回の記事に書いたよう、夜も9時半を回り、日が沈み始めた頃にイーストボーンを出発。海岸線を離れ、くねくねした緑に包まれた狭い道路を走りぬけ、アルフリストンに予約してあったホテルにチェックインした時には、すでにイギリスの長い夏の日もとっぷり暮れ、村を見て回るのは、翌朝までおあずけ。

宿泊したホテルは、写真左手に映る、ハーフティンバーの建物、スター・ホテル(The Star)。これは、何でも、イングランドで一番古い宿のひとつだという話ですが、こういう「一番古い・・・」というのは、証明しにくいですから、話半分で聞いときましょう。ただ、古い事には間違いなく、オリジナルが作られたのは13世紀半ばで、当時は、坊さん達が営んでおり、チチェスターにある聖リチャードの聖堂を拝むため旅する巡礼者達が、その道中に泊まった宿だったそうです。現在建っているのは、16世紀に建て直されたもの。

アルフリストンは、海外からの物品の密輸なども盛んに行われた場所であったそうです。スターの外に飾ってある赤いライオンの船首像(上写真右手)は、1690年のビーチーヘッドの海戦中、イギリス海峡で沈没したオランダ戦闘船のものだと思われているようで、それが海岸線へ流れ着いたのを密輸者たちが、アルフリストンまで運んできたという、いわくの代物。当時のイギリスの王様はオランダから来たウィリアム3世、ビーチーヘッドの戦いは、イギリスとオランダが連合でフランスと戦い、敗れた海戦。ライオン君、ぱっと見ると、オランダというより、中華街に置いたら似合いそうな気もします。

そんな歴史ある宿に泊まる・・・と思いきや、部屋は、この古い建物の裏に繋がっている、新しく建てられた部分に収まっています。まあ、朝食込みで、お値段お手ごろだったし、部屋もわりとゆったりめで、清潔。快適に過ごしたので、文句は言いません。そんな事情を知らない人たちには「イングランドで一番古い宿に泊まったのじゃ。」と自慢もできます。

ちなみに建物の正面玄関からはいってすぐのラウンジはこんな感じです。

さて、翌朝の宿での朝食。自分で勝手に取って食べるシリアルやクロワッサン、フルーツサラダなどのコールド・ビュッフェの他に、注文して作ってくれるメニューもあったので、もちろん、イングリッシュ・ブレックファーストを注文しました。各テーブルには、お上品に、小さなジャム瓶などもセットしてありましたが、こちらは、この辺で作ったジャム・・・というわけでなく、有名なエセックス州のチップトリー・ジャムでした。

給仕をしてくれたのは、まだ、かなり若い、感じのいいお兄さんで、アクセントから、おそらく、東欧系と察します。東欧から、仕事を求めてイギリスへやって来る人はかなりいますが、アルフリストンも例外ではない様子。彼らは、昨今のイギリスの若者よりも、やる気もあり、時間厳守で、教育もしっかりできている事が多いので、経営者側は、イギリス人より、東欧系を好んで雇ったりもするようです。大体、朝食サービス等の朝早い仕事は、ずぼらなイギリス人青年を雇ったりすると、二日酔いで毎日遅刻とか、3日と続かずやめる・・・とか、雇用者泣かせの話も多いですから。ウェイター、お店のレジ、畑で野菜収穫などの低賃金の仕事から初めて、地道に、生活を向上させる、そういう東欧の若者には、がんばって欲しいものです。ただ、最近、東欧系の歯医者も増えており、いい加減な治療をして患者から訴えられるというケースも増えているという話ですので、東欧からの移民の全員が全員、真摯であるわけではないですが。

さて、朝のお散歩に村へ繰り出しますと、まず短いハイストリート(目抜き通り)にあるいくつか他の古めかしい建物が目に入ります。ハイストリートの歩道が狭く、車の通行量が少々多いのはたまに傷ですが、私達も車で来たので、仕方ない。

こちらは、やはりハーフティンバーのThe George Inn 。

こちらは、その名もずばりの、The Smugglers' Inn (スマグラーズ・イン、密輸者宿)。アルフリストンは、海岸沿いの村ではないですが、村を流れるクックミア川(River Cuckmere)を利用して、海から密輸品を運んできたのでしょう。ある意味では、あからさまに海岸にある村より、人目を忍んでの密輸はやりやすかったかもしれません。特に18世紀から19世紀初頭には、悪名高き密輸団が、この地をベースに、大活躍していたようです。

村の緑の広場まで行くと、どっしりしたセント・アンドリュー教会(St Andrew's Church)が出迎えてくれます。小さな村の教会にしてはかなり大きく、「ダウンズの大聖堂」(Cathedral of the Downs)とも称されます。

内部に入ろうとすると鍵がかかっていた、あら残念・・・というところへ、調度、鍵を持った女性登場。開けてくれたので、一緒に内部へ踏み込みました。夜間戸を開けたままだと、泥棒にやられるのだそうです。日中でも、以前一度泥棒に入られ、内部に置いてあった椅子やらテーブルやらの家具を盗まれた、と言っていました。最近の金属の価格の上昇で、教会の屋根から銅を引っ剥がして盗んでいくとか、キャンドルスティックを盗むとかの話は良く聞きますので、比較的最近の家具が盗まれる・・・というのは、被害としては浅い方ですが、こんなおとぎ話の様な村の教会でも、そんな事が起きるご時勢です。「昔は、こそ泥などでも、教会というものに対しては、尊敬と畏怖の念を持っていたのが、今はもう、尊敬(リスペクト)も何もあったものではない。」のだそうです。ただ、彼女は、「村に住む人たちは、皆、とてもやさしい」とも。

この教会の鐘は、教会の中心部にあり、鐘を鳴らす紐が屋根からぶらさがっていました。こうう中心に鐘があるというのは、わりと珍しい気がします。少なくとも、私は他で見た覚えはあまりありません。屋根はまるで、船底をひっくり返したような形をして、広々。

教会のすぐ側にあるこの建物は、14世紀に遡る、アルフリストンの牧師館(Alfriston Clergy House)。1896年、創立してまだ数ヶ月のナショナル・トラストによって購買された、最初の建物。建物にはかなりぼろがきていて、取り壊しがほぼ決まっていたものを、建物の歴史的価値に着目した地元の牧師が、保存のためのキャンペーンを行い、そこへ、ナショナル・トラストが進み出て、10ポンドで購入・・・これは、現在の3、4千ポンドくらいでしょうか。バーゲン値段です。

ナショナル・トラスト創始者の一人、オクタビア・ヒルは、この牧師館を「私達の祖先が知っていた古きイングランドの記憶をふんだんに含んだ建物」と呼んだといいます。そして、また「小さいけれども、美しい」ああ、やっぱり、リトル・ジェム。

再現された内部と庭は、一般公開されていますが、開くのが10時半からと少々遅かったため、先を急ぐ私達は、今回は内部見学はパスとなりました。

牧師館を後ろから見るとこんな感じ。垣根の脇を歩くと、庭からはハーブ系の良い香り。垣根は背が高く、びっしりと囲ってあるので、覗こうと思っても、覗けず、残念。入場料払わず、庭だけ覗こうというちょこざいな人間を相手にした作戦でしょうか。

その昔、密輸物資が、どんぶらこっこと運ばれたクックミア川沿いを、少しだけ歩いて、タイム・アウト。そろそろ出発せねばと、宿へ戻りました。ここから、帰途へ着く前の次の目的地は、少しだけ離れたウィルミントン。何をしに?巨人に会いに!・・・つづく

*この場所から南へ下った海岸沿いのビーチーヘッド、セブンシスターズ、またサウスダウンズに関しては、過去の記事「イングランドの白い崖」まで。

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