フェン

大学の町ケンブリッジ北部から、リンカンシャー州ボストン辺りまで続く湿地帯、The Fens (ザ・フェンズ、またはフェンランド)。

葦で覆われていたこの地の土壌は主にライム(石灰)が混じった、ピート(泥炭)。かつて、この地に住んだ人々は、魚、うなぎ、水鳥を糧とし、豊富にあった葦は、住処の屋根をふくのに使われ。ぐちょぐちょぐっちょりのフェンに生きた、いにしえのフェンマン達の足には、あひるのような水かきがついていた、などという伝説も流れています。

泥地への侵入の難しさから、この辺りは、11世紀のノルマン人征服の際、イングランド内で一番最後に征服された土地でもあります。

多くのミネラルを含む、フェンの肥沃な土地の灌漑は、遡る事、ローマ時代から、何度か試みられたようですが、17世紀、オランダ人の技師(Cornelius Vermuyden)による灌漑により、初めて、大々的に、周辺一帯を農地として使用することが可能となります。アマ、麻、オーツ、小麦などを育て始め、ロンドンのマーケットへ連れて行く前に、ここで家畜を放牧してたらふく食べて太らせ。ところが、そんな喜びもつかの間、灌漑後しばらく経つと、ピートが大幅に乾燥し、土地が、がくんと低くなってしまう・・・という予期せぬ事が起こり、ついには、土地が、川や水路より低くなり、1700年までには、せっかく作った農耕地は、再び沼地と化してしまったのでした。あーあ。

その後、水揚げのため、風車を設置するなど苦肉の努力をしながら、なかなからちあかず、19世紀に蒸気水揚げポンプの導入でやっと、フェンランドは、農耕地として確立され、現在は、イギリスの重要な穀物野菜の生産地です。

こうした灌漑と農地化をまぬがれた場所はごくわずか。昔ながらの沼地の風景を見るには、ナショナル・トラスト管理の、ウィッケン・フェン(Wicken Fen)へ行きましょう。ケンブリッジからは北東へ約27キロ。

ウィッケン・フェンは、ヴィクトリア朝の昆虫学者たちが、わずか残った手の加えられていない土地を、フェン独特の生態維持のため、1899年に、ナショナル・トラストに寄贈することにより、生き残った、イギリス初の自然保護地域です。ナショナル・トラストの冊子によると、8000種以上の植物、野鳥、とんぼの生息地。

敷地内には、野鳥の多い自然保護地域によくみられる、野鳥観察小屋(ハイド)がいくつか立っています。ハイドは、大体が上の写真のような形をしていますが、

こんな、ちょっと変わった、わらぶき屋根の背の高いものがあったので、入ってみることにしました。崩れ落ちそうな、危なげなはしごをよじ登って、内部へはいると、

こんな感じです。野鳥を怖がらせないように、姿を隠して、細い窓から外を覗くようになっているわけです。

午後もかなり遅い時間に辿り着いたので、敷地内で出会ったのは、近くに住んでいるので、何度も来ているという、望遠鏡を抱えたカップルだけでした。

いにしえの風景に沈んでいく陽は、少々物悲しげで美しく。snipe(スナイプ、シギ科の鳥)が、頭上を横ぎり、その奇妙な泣き声が響く中、足に水かきのついているフェンマンが、葦の間に隠れて、こちらを覗いていても、不思議で無い気がしたのです。

*写真は全て、ウィッケン・フェン内で取ったものです。

ちなみに、ケンブリッジ周辺は、ハイテク産業盛んですが、米のシリコン・バレーに対抗して、こちらは、時にシリコン・フェンと呼ばれています。

また、これも余談となりますが、狙撃、狙い撃ちをするの意味の単語、snipeは、このシギ科の鳥の名から由来しています。比較的、姿を見るのが稀で、打ち落としにくい鳥であったことから来た言葉のようです。更には、軍事用語で、射撃の腕が良い狙撃者、スナイパー(sniper)も、ここから派生した言葉だという事です。

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