イギリス国会議事堂内見学

ビッグ・ベンの時計塔でおなじみのイギリス国会議事堂、The Houses of Parliament。

この建物の正式名である、The Palace of Westminster(ウェストミンスター宮殿)からもわかるよう、イングランド王の宮殿として、その歴史を始めています。大昔は沼地であったこの周辺に最初に宮殿を構えたのは、カヌート王。その後、エドワード懺悔王が、旧ウェストミンスター宮殿(The Old Palace)の土台を築き、時と共に、改造、拡大されながら、王の主な宮殿、そして政治の場として使用されます。1532年に、ヘンリー8世が、メインの王の宮殿を、ここより少し北に上ったホワイトホール宮殿とセント・ジェームズ宮殿へ移動させ、王一家の居住地としての役割は、この段階で終了しているのですが、宮殿としての位置づけは、現在も続いています。

旧ウェストミンスター宮殿は、1834年10月の火災で、ウェストミンスター・ホール(Westminster Hall)のみを残し、ほぼ全焼。新しい建物の建設にあたってデザインのコンペが行われ、提出された97のデザインから選ばれたのは、チャールズ・バリー(Charles Barry )によるもの。バリーは、オーガスタス・ウェルビー・ノースモア・ピュージン(A.W.N. Pugin)の助けを借り、新ウェストミンスター宮殿の建設に携わります。一大事業のストレスたまってか、ピュージンは精神異常を起こし、一時はべドラム精神病院入りまでする羽目になり、1852年に40歳にて死去。チャールズ・バリーも、1860年に死去し、息子のエドワード・ミドルトン・バリーにより、1870年代に、やっと完成となります。一部、内部の使用はその以前から行われていたようですが。

ビッグベンのある時計塔は、議事堂北側にありますが、南側にある塔は、ヴィクトリア塔(Victoria Tower)。国会が開かれている時には、ヴィクトリア塔の上にユニオン・ジャックが掲げられます。

イギリス国会の上院(貴族院)は、House of Lords、ハウス・オブ・ローズと称され、下院(庶民院)はHouse of Commons、ハウス・オブ・コモンズ。この2つのHouse(議会)を収容することから、国会議事堂は、Houses of Westminster ハウシズ・オブ・ウェストミンスターと一般に呼ばれるわけです。上院は、非公選で終身任期のメンバーからなり、下院は、総選挙によってえらばれる約650名の国会議員(MP、 Member of Parliament)からなりたっています。上院メンバーは約900人いるというのですが、常時アクティブに議会に参加している数はずっと少ないはずです。

さて、

イギリスのEU国民投票で、衝撃のBrexitが決まった翌週の月曜日、ウェストミンスター近辺へ出かける用事があったついでに、国会議事堂内部へ入るための列がほとんど無かったのに気づき、初めて内部の一部、および、下院での討議を見学してきました。

入り口で、Commons (下院)と、Lords(上院)の討議のどちらを見学したいかと聞かれ、やはり馴染みのある「コモンズ」。だんなは、前にも見学したことがあったのですが、私は初めてですので。建物内に入るとすぐに、空港に入る時のような荷物検査と、金属探知機のゲートを通り。5分とかからず内部へ入りました。これが、コモンズで、水曜日に行われるPMQs (Prime Minister's Questions、首相質疑応答)であったり、重要な討議がある際には、見学の列ももっと長くなって時間がかかるのでしょうが。

Westminster Hall
荷物検査、身体検査を無事通過して、最初に足を踏み込むのが、旧宮殿で唯一火災を生き延び、チャールズ・バリーの新しい建物の一部として組み入れられた、ウェストミンスター・ホール。ウィリアム・ルーファスによる1097~99年に宮殿内に作られたグレート・ホールを基盤とし、リチャード2世が、1394~1399年に建築したものです。ハマービームと呼ばれる、巨大木造天井で知られています。

かつては、裁判が行われた場所でもあり、ここで裁判にかけられた人物の中には、イングランドを相手に戦ったスコットランドの英雄ウィリアム・ウォレス、ヘンリー8世の首長令に沈黙を保ったトマス・モア、国会を爆破しようとしたガイ・フォークス、オリバー・クロムウェルの議会派に負け処刑となったチャールズ1世などがいます。床にいくつか、こうした過去の裁判を記念するプラークがはめられていました。

イングランドが謀反人と見たウィリアム・ウォレスが立った場所。

こちらは、チャールズ1世が立った場所。

このウェストミンスター・ホールを歩き抜け、階段を上ったところにある南側の窓は、1941年5月、ドイツ空軍の爆撃で破損していますが、ウェストミンスター・ホール自体は、この2度目の危機も、生き残ります。同日、下院もドイツの爆撃を受け、こちらは焼失。消防隊が、19世紀の下院の建物より、中世からの歴史を持つウェストミンスター・ホールを、優先して消火活動に当たったためとされています。両方助けられる状況でなかったでしょうから、賢い選択。さて、この階段を上り、左手へ曲がると、今度は、

St. Stephen's Hall
セント・スティーブンズ・ホール(St. Stephen's Hall)。旧宮殿では、この場所が、かつて下院での討議が行われた場所でありました。廊下をちょっと広くしたような、こじんまりした場所なのですが、ここで、過去の歴史的な討論が繰り広げられたのです。ここを通過してたどり着くのが、

Central Lobby
セントラル・ロビー(Central Lobby)。Lobbyという英語は、日本語で、(玄関)広間、ロビーと訳されますが、動詞で「(政治家に圧力をかけるための)ロビー活動をする」の意味もあります。後者の意味は、語源辞典によると、1790年代のアメリカで、立法議会の建物の玄関ロビーで、政治家たちへ影響を与えるために一般人が集まったことに由来するという事です。政治家たちが出たり入ったりする、このセントラル・ロビーでも、国会議員に面談の予約なしで、直接捕まえ、話をすることができるというのです。セントラル・ロビーから左(北)へ行くと下院、右(南)へ行くと上院へと続きます。私たちは、下院へ行くので左へ。

下院での討議を見学するギャラリーでは、カメラや携帯は禁止で入る前に没収されます。上の写真は、内部で渡された日本語案内書に載っていたもの。下院の座席総数は、国会議員の数より少ない437席。緊迫した雰囲気になるように、わざと必要より小さめに設計されたようです。

中央の奥に議長席がありますが、議長の右側(上の写真で見た場合は左側)が政府を構成する与党側、左側(写真の右側)に野党側。議長席の前には、書記官の座る場所。更にその前の卓上の両側に箱のようなものが2つと、マイクが2つ置かれていますが、ここが、与野党の政党幹部(frontbencher、フロントベンチャー)の発言者が、それぞれ立ち上がって発言をする場所(despatch box、ディスパッチ・ボックス)です。平議員(backbencher、バックベンチャー)は通常、自分の座っている席の前で立っての発言。ディスパッチ・ボックスのある机の端には、メイス(職杖)と呼ばれる、こん棒のようなものが置かれますが、メイスは君主(現エリザベス2世)の権威を示します。両陣営の座席の前の床に赤線が引いてありますが、この2本の赤線の間は、大体、2本の剣を横に並べたくらいの距離があるそうで、議論が熱して、両陣営が、剣を抜いてちゃんちゃんばらばらとならないように、お互いの剣が交わらないくらいの距離を開けるという、かなり古風な取り計らい。

私たちが入った時の討論は、たしか、地方自治体メンバーの出費に関わる質疑応答で、参加していた国会議員は、ほんの数人のみでした。聞いていてさほど面白いものではなかったですが、ニュースで大々的に取り上げられる事項の方がまれで、日々、一般人は気にかけないような、こういった小さな事項が多く討論されているのだな、と改めて納得。討議内容が重要項目であったりすると、当然、座席もいっぱになり、立っている議員も出、前述のとおり、ギャラリーでの見学希望者も多くなるので、入場口に列ができ、入れない可能性などもあるわけです。

前述の通り、下院は、戦時中の爆撃で破壊されており、1945~50年に再築されています。

Committee Room
20分ほど、下院ギャラリーで見学した後、委員会が開かれる部屋もひとつ覗いてきました。議会内での討論の他にも、数ある委員会で、法案を細部にわたり調査したり、ある事項に関する情報収集をしたりと、全政党参加での会議が行われおり、こうした委員会のための部屋がいくつも設けられているのです。議場に比べ、こちらは、もっと普通の会議室風ですが。だんなは、以前、2回ほど、興味のある議題が話し合われる時に、のこのこ国会議事堂へ出かけて行き、こうした一室に座って、委員会での討論を聞いて来ていました。その気と、興味があれば、一般人も、覗きに行けるという点では、イギリスの国会は、かなりオープンドアなのです。

さすがに、建築から約150年経っている建物ですので、国会議事堂内、あちこちボロが来ていて、廊下なども一部、ぼろホテルの風体。配線や配管などがむき出しになっている場所もあり。国会を閉鎖、移動させることなく、少しずつ修繕作業を行っているようですが、多額と時間がかかりそうです。いっそのこと、どこかのさびれた地方都市に、一時的に国会を移動させて、一気に直してしまえばいいと思うのですが。それか、国会をロンドン外に永久に移動させてしまい、ここは博物館にでもした方が安上がりではないかと・・・。それでなくとも、政治家は、地方の貧民の生活ぶりや心配事を理解していないなどという批判もあるのだから、議会を丸ごと、貧しい地域に移動させるのは、いい事の気がしますがね。まあ、国会議員たちの大半は、ロンドンを離れるの嫌でしょうし、こうした歴史的建物の中で討論できるというのが、国会職務の魅力のひとつになっているのでしょう。

今回、私たちの訪問の様に、下院、上院をギャラリーで見学するための入場の他に、一般観光客は、国会が開催されていない土曜日、夏休み、クリスマス、イースターなどの休暇中に、有料のオーディオ・ツアー、ガイド・ツアーで内部見学が可能です。

国会議事堂の通りを隔てた向かいの広場、パーラメント・スクエアでは、よく政治デモや、ラリーが行われていますが、この日、催されていたのは、現労働党首であるジェレミー・コービンを支援するラリー。

Brexitの結果で、保守党のみならず、野党労働党も、真っ二つの勢力争いにもつれ込んでいます。ジェレミー・コービンは、かなり左寄りで、マルクス主義者、共産主義に近いなどと言われることもある人。EU在留のスタンスであった労働党であるものの、コービン自身は、以前、「自分はEUのファンではない」ともらしたこともあり、在留キャンペーンにはかなりの半腰で、ほとんど姿を見なかったのです。デイヴィッド・キャメロンと同じ舞台に上がるのが嫌だ、などと、つまらない理屈で、政党を問わず、一致団結しての在留キャンペーンにも嫌々ながら、の感じがありました。典型的労働党支持者が、多くEU離脱に投票したのは、彼のリーダーシップの欠如によるものであり、更には、これからの不安定な時期に、リーダーがこれでは、次の総選挙での勝ち目もないと、彼の辞任を迫る労働党国会議員は大勢。シャドウ・キャビネット(影の内閣、野党内閣)のメンバーが次々と、コ―ビンのリーダーシップに反旗を翻して辞任する中、頑なに、踏みとどまろうとするコービン。何でも、彼は、国会を離れた草の根ルートでの労働党メンバーには、人気なのだそうで、この日のラリーも、そうした草の根労働党メンバーが巻き起こしたもの。私も、コ―ビンが労働党首に留まる限り、この国、ずっと保守党政権が続くと思うんですが。

パーラメント・スクエアの一角には、先月殺害されたジョー・コックスMPへ捧げられたろうそくや花束がまだ残っていました。党首の態度とは裏腹に、EU在留に積極的であった彼女。国民にショックを与えたこのニュースも、Brexitとそれに伴う、政治の混とんの中、あまりにも次々と色々な事が起こっているので、可愛そうですが、すでに、半分忘れかけられている感があります。

今日は、ウィンブルドンの男子シングルス決勝日(アンディ・マリー対ミロシュ・ラオニッチ)でもあり、UEFAサッカー欧州選手権(ユーロ2016)のフランス対ポルトガルの決勝の日。さすがに、これは両方見ようと思っていますが、ウィンブルドンなどのイベントも、今回は、イギリス政治のどたばた悲喜劇に気を取られ、通年に比べ、前半は特に、ほとんど観戦せず、気が付くと最終日を迎えている・・・。来月にはオリンピックもあるなどという事も、しばらく頭から消えていました。

パーラメント・スクエアに、ビッグベンを見つめるように立っているのはチャーチルの像。チャーチルの名言のひとつに、こんなのがあります。

Democracy is the worst form of Government except all those other forms that have been tried from time to time.

民主主義とは、国を統治するにあたって最悪の体系だ。過去、時折、試されてきた、他のすべての統治体系を考慮しなければ。

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