セント・トマス病院のオールド・オペレーション・シアター(旧手術室)

Old Operation Theatre
今回、扁桃腺摘出手術をして、つくづく思ったのは、麻酔や痛み止めのある時代に生まれてよかった・・・という事。麻酔と言うものが存在しない以前の手術たるや、考えただけで絶叫しそうです。実際、すでに体が弱っているところへ持って来て、手術の痛みのショックで死亡した人なども多いみたいですしね。

ロンドン・ブリッジでテムズ川を渡った南岸のサザック(Southwark)地区に、そんな、麻酔が無い時代の手術室が残っています。オールド・オペレーション・シアター(旧手術室)博物館(The Old Operation Theatre Museum)。

旧セント・トマス病院(St Thomas Hospital)の一部であった、セント・トマス教会内の階上という、隠れ家の様な、変わった場所にあるこの博物館ですが、かつては、このセント・トマス教会の片側にセント・トマス病院の女性の病棟があり、以前は病棟内で行われていた手術を、隔離した場所でできるよう、ここに手術室を作ったのだそうです。旧手術室が設置されたのは、1822年のこと。医学生等が、手術を見学できるよう、手術台は、ぐるりと座席に囲まれています。手術台、手術室は、英語でオペレーション・シアター(operation theatre)ですが、まさに、劇場(theatre)ののり。

当時は、裕福な人物は、手術は自宅で受けていたそうですので、こういった場所で手術を受けたのは、比較的貧しい層。1846年あたりに、エーテルなどが実験的に麻酔として使用されるようになるまで、アルコールを飲むこと意外、麻酔と呼べるものは使用されておらず、しかも、手術に麻酔を使用することが一般化するのは更に後の話。痛みは治癒の一環であると信じていた医者も一部いたとやらで、それが、麻酔の普及に時間がかかる一因ともなったようです。また、患者は、痛みの恐怖の他に、押すな押すなと、多くの人間が自分の手術を見学しているという、半見世物体験もするとあって、踏んだり蹴ったりです。

麻酔はもとより、ばい菌感染に対する知識も、予防も行われておらず、汚い環境の中、医師も手を洗う事も、マスクをする事もなく、しかも、医学生で大入り満員の部屋の中、術後の感染で死亡するケースもあったようです。あまりにも危険すぎるため、内臓、脳の手術などは、ここでは行われず、手足の切断、できものの除去などが多かったという事。患者の痛みも考慮して、医師は、いかにすばやく切断を行えるかを重視。一分以内での手足の切断というのはざらであったというのですから、かなりの早技。

博物館内には、この旧手術室の他、かつて使われていた手術用器材の展示などもあります。これが、手術の道具と言うより、大工道具か、

拷問器具のような物もありました。

また、この場所は、旧セント・トマス病院の薬剤師が、ハーブなどを乾かし貯蔵する場所(Herb Garret ハーブ・ギャレット、ハーブ貯蔵用屋根裏部屋)としても使用されており、

かつて薬用に使用されていた、ハーブの展示もあります。

オールド・オペレーション・シアター博物館のある、セント・トマス教会の外観はこんな感じで、この中に、旧手術室と博物館が入っているとは想像できないところが面白いです。

私がここを訪れたのは、5年ほど前で、同じ通りにあるシャードは、まだ建設中でした。

旧セント・トマス病院の歴史

ここで、旧手術室が付属した、セント・トマス病院について、触れておきます。

現在、セント・トマス病院と言うと、国会議事堂のテムズ川を越えた向かい側のランべス地区にありますが、その歴史が12世紀初頭まで遡る旧病院は、サザック地区にあったわけです。

もともと病院は、周辺にあった、聖アウグスチノ派のセント・メアリー・オヴェリエ(St Mary Overie)修道院の一角として12世紀初頭には設立されたと言われています。母体は修道院というのは、やはりロンドンにあった精神病院の代名詞のようなべドラムと同様。

1170年にカンタベリー大聖堂内で暗殺されたトマス・ベケットが、1173年に、早くもローマ法王から聖人として認められると、病院は、このロンドン出身の人気聖人から名を取って、セント・トマス・ホスピタル(聖トマス病院)と改名。トマス・ベケットのおかげで、一大巡礼地となったカンタベリー大聖堂へ出向く巡礼者たちは、サザックを起点として出発したとも言われます。

中世の病院の役割は、病の人間の面倒を見る事もさることながら、ホームレスの人間の世話、貧しい旅人や巡礼者たちに宿を提供し面倒をみる・・・ことなども含み、医療を施す場と言うより、世話、もてなし(hospitality ホスピタリティー)を提供する機関と言った方が的確であったようです。病院が、英語でホスピタル(hospital)と称される由縁です。

さて、修道院の一角であったため、ヘンリー8世の時代に、ここも解散されてしまい、一時的に病院も閉鎖となります。従事していた僧たちは年金をもらってお払い箱。また、トマス・ベケットは、当時の王であったヘンリー2世に歯向かった、カソリックの聖人とあって、宗教改革後のイギリスでは、好ましからぬ人物と見られ、聖人の位を取り外されます。ヘンリーの息子、エドワード6世の時代に、病院は再オープンするのですが、この際、セント・トマス病院のセント・トマスとは、トマス・ベケットではなく、キリストの使徒の聖トマス(St Thomas the Apostle)である、と指定し直されています。

病院は、18世紀初頭に、クリスファー・レンの石工長であったトマス・カートライトの設計により、立て直され、旧手術室のあるセント・トマス教会も、彼の設計によるものです。上述通り、教会内の階上は、病院の薬とハーブの保管場所として使用され、1822年に、手術室が設置されます。

1859年に、フローレンス・ナイチンゲールは、この周辺に看護婦学校を設置、やがて、彼女は、セント・トマス病院を現在の場所(ランべス地区)へ移動させるのに一役買い、1862年、病院は、ランべスの地の建物が完成するまで、仮の場所に移動し、旧セント・トマス病院は、教会を残し、ほとんどが取り壊しとなります。教会内部のハーブ・ギャレットへと続く天井部は塞がれてしまい、手術室も、ハーブ・ギャレットも、長い間、世間から忘れられた存在となるのです。新セント・トマス病院がランべスにオープンするのは、1871年。いまや、大都市ロンドンの一等地に建つ大型病院で、当時から比べて、ぐっとハイテク、規模的にもかなり大きくなっています。ナイチンゲールとの関わりから、すぐわきには、フローレンス・ナイチンゲール博物館もあり。

さて、忘れ去られていた旧手術室とハーブ・ギャレットは旧病院取り壊しの約100年後、1959年に再発見。まさに、タイム・カプセルです。博物館として生まれ変わった現在、ちょっと風変わりな観光地となっています。ロンドンへ観光へやって来たら、シャードを眺めた後、ぜひ、足を運んで見て下さい。

当博物館のサイトはこちら。いささか、変な訳ですが、日本語の説明書も読め、展示品の写真、英語の文献はかなり充実しています。

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