楽しい映画「くまのパディントン」とパディントン展示会

クリスマスに向けてのファミリー映画という事で、マイケル・ボンド作の「くまのパディントン」(A Bear Called Paddington)を映画化した「Paddington」(パディントン)が封切りになったので、さっそく見に行って来ました。だんなが、「え、パディントンは、パス!」と言うので、一人で映画館へ。だんなは、年を経るにつれての私の幼児化傾向が気になる様子。それにしても、何年ぶりでしょね、ひとりで映画館なんて。こういう映画は、子供を連れずに、大人だけで見に行くと、チケットを買う時に、バツが悪い思いをします。映画館のそばの学校に通う12歳の、友達の子供を借りて一緒に行こうかな、という考えも頭を過ぎったのですが、何もそこまでする事ないか、と思い直しました。恥と外聞捨てて、行って良かった。とても楽しかった。

マイケル・ボンドの第一作目「くまのパディントン」出版は1958年。それこそ、「イミテーション・ゲーム」のアラン・チューリングが死亡した、ほんの4年後なのです。元BBCのカメラマンであったマイケル・ボンド氏は、1956年にロンドンの大手デパート、セルフリッジズで、ひとつだけ棚に残っていたくまのぬいぐるみを、奥さんのプレゼントとして購入。このぬいぐるみと、家の近くのパディントン駅からインスピレーションを得て執筆。戦時中に、パディントン駅などのロンドンの各駅から田舎へと疎開して行った子供たちの様に、くまのパディントンは、くたびれたスーツケースをひとつだけ持ち、首から「このくまの面倒を見てやってください。ありがとうございます。」の札をさげて登場。

原作は、戦時中の疎開の子供たちのイメージの他にも、デパートに軍の放出品コーナーがあるなど、時代を思わせるものがあります。また、パディントンのホスト・ファミリーとなるブラウン家が住んでいるポートベロー・ロード、ノッティング・ヒル・ゲイト付近の家などは、この頃は、一般の中流家庭でも手に入る値段であったのが、今や、こんな家を新しく買って住もうと思ったら、超大金持ちでないとまず無理。だから、現在であれば、ブラウン家なども、ロンドンから電車で1時間の郊外に住んでます、などという話になっていたかもしれない。(原作については、以前の記事、こちらまで。)

それでも、わりと上手に、時代を現在にアップデートして作ってありました。少々、昔よりシニカルになっている社会を反映してか、駅でパディントンを見かけたブラウン氏は、原作では自分から近ずいて助けようとするのに、映画では、やっかいになりそうだと無視して素通りしようとする。娘のジュディーも、原作の良い子ではなくて、ムーディーな反抗期のティーンエージャー。また、彼女が第2外国語として習っているのは、中国語なんですよね。昔ならフランス語あたりなんでしょうが。昨今、将来役に立つかも、と中国を習う良家の子女、増えているようです。

パディントンのおじさんとおばさんが、暗黒のペルー(Darkest Peru)へやって来たイギリスの探検家と知り合い、彼から英語とイギリスの習慣を学び、マーマレードの存在を知る・・・という過程が、最初白黒で展開されますが、これは、ピクサー・スタジオの「カールじいさんの空飛ぶ家」(英語の題名:Up)からちょいとヒントを得たかなという気もしました。この探検家・科学者は、本来なら暗黒のペルーから、くまの標本を持ち帰り、名を成すつもりでいたのが、パディントンのおじとおばと仲良くなってしまったため、そのまま手ぶらで帰国。熊たちを守るため、彼らの居場所を知らせる事も拒否し、学会から背を向けられてしまう。父が、金と名誉で家族を幸せにすることよりも、くまの方を大切にした・・・と根に持ちながら大人になる探検家の娘が、ロンドンの自然史博物館の長となるニコール・キッドマン演じるミリセント。彼女は、パディントンがロンドンにやって来たのを知り、捕まえ、殺し、標本にして博物館のコレクションに加えようと企むわけです。こちらは、「101匹わんちゃん」のクルエラ・デ・ビルがインスピレーションか。

おじさんが大地震で死んでしまい、おばさんが老くまホームへ入り、パディントンはひとり、ペルーからライフボートに隠れて、ロンドンにやって来るのです。ひとまず、ブラウン家に引き取られた後、パディントンは、ミリセントに命を狙われ、追われる事となるわけです。映画は、新しい家族とおうちを求めるパディントンと、パディントンを通して、会話のある暖かい家庭の築きなおしをするブラウン家を、ほろりとさせながら、おセンチになりすぎず、ユーモアを混ぜ、心地よく描いていると思います。実際のところ、もし、パディントンが人間であれば、不法移民としてペルーへ送り返されてしまうかもしれませんし、不法移民をかくまったかどで、ブラウン家も起訴されてしまう可能性もあるんですけれどね。

この映画、映像等級審査の結果、レイティングが、どんな年齢の子供が見てもOKよ!の「U」ではなくて、大人のガイダンスを必要とする「PG」と判断されてしまった事が話題になっていましたが、その原因として、イロっぽい部分がある、子供がまねをして危ない部分がある、などの他、ニコール・キッドマンのミリセントが怖すぎる・・・というのがあったのだとか。今の女優さんで、私、ニコール・キッドマンの顔が一番好きですね。特に、あの眼力。ただ、グレン・クローズが怖かった「101匹わんちゃん」が「U」だったのに、どーしてこれは、「PG」なんじゃ?という製作側の不満はあったようです。

映画のパディントンは、本物の熊の形相をしているのですが、これも、私は、わりと気に入りました。というか、最近の3Dアニメタイプのものが使用されなくて、良かったなと思っています。アナ姫など、私は、どことなく気味悪くて、キャラクターとして愛着がもてないのです。まあ、パディントンも、コンピューターで作ってあるのですが、リアル感があるのがいい。声も、下手に子供の声を使っていないところが良かったです。ちなみに声は、「ブライト・スター いちばん美しい恋の詩」で、詩人ジョン・キーツ、「007 スカイフォール」で若者のQを演じたベン・ウィショー。最初はコリン・ファースが予定されていたようですが、彼の声では、あまりにも、おっさんすぎたようで、交代となったと。

映画内、時に、イギリス風の表現やジョークが出てきますが、一番、失笑したのが、ブラウン家の隣に住む、意地悪なカリーさんが、ミリセントに惚れ、「Waste not, want not(無駄をしなければ、要る物なし)、だからね。」と、その辺に捨ててあった枯れかかった花束を渡すところ。このフレーズは、どケチで有名なヨークシャー出身のうちのだんなもしょっちゅう口にします。「Waste not, want not!」と言いながら、レストランで私や友達が残した食べ物を、がぼがぼっと、全部平らげたりします。また、ミリセントが、クマは近所迷惑になるという話をしながら、「あちこちでピクニックをするし・・・」などというくだりは「テディーベアのピクニック」という歌にかけて言っている台詞でしょうし。

ロンドンの地下鉄で、パディントンが初めてエスカレーターに乗る際には、「Dogs must be carried.(犬を連れて入る人は)犬を抱えて下さい」の掲示を読み、必ず犬を抱えなければならないと解釈して、他人の犬を捕まえて抱えてエスカレーターに乗るという、ああ勘違い(一番上の写真)。ロンドンでは、エスカレーターでは、皆右側に立ち、左側は急いで駆け上がったり降りたりしたい人のために空けておくわけですが、パディントンの2度目の勘違いは、この「Stand on the right please. 右側に立ってください」の掲示を見て、犬を抱えたまま、右足で立つというもの。英語はわかるが、ロンドンの習慣を知らないおのぼりさん風が可愛いし、抱えている犬の表情も可笑しい。

パディントン映画化にあたっては、「メリー・ポピンズ」作家のパメラ・トラバース同様、製作側は、マイケル・ボンド氏から映画化権を得るのに、かなりの説得を要したようです。最終的にOKを出した後は、ボンド氏、パメラ・トラバースとは違って、ほとんど介入を許されず。出来上がった映画を見る前に、上記の通り、映画のレイティングが「U」でなく「PG」と発表され、「下卑た仕上がりで、見るに耐えない映画だったらどうしよう。パディントンが気の毒で、夜も眠れなくなる。」と、心配になったようですが、完成作を見た後は、その出来の良さに、とてもハッピーだそう。この結果も、パメラ・トラバースとは全く逆です。いずれにせよ、自分の作品の映画化には、ハラハラどきどきは付き物のようです。88歳のボンド氏は、映画内にカメオ出演。パディントンが、タクシーで、ブラウン家の一同と、パディントン駅からウィンザー・ガーデンズ32番へ行く途中、物珍しそうに外を眺めるパディントンにむかって、グラスを掲げるおじいさんの役。

映画内の音楽ですが、パディントンが道を行く時、映画のところどころで、カリプソ・バンドがいきなり出現して、パディントンのムードにあった歌をかなでるのです。カリプソというのは、パディントンの原作が出た当時に、ノッティング・ヒル周辺に移り住んできたカリブ海の国々からの移民の間で奏でられた音楽だそうなのです。やはり、移民で同じエリアに移り住んだパディントンには、もってこいの音楽で、なかなか気の利いた取り計らいです。映画の一番最後に流れた曲が、そんな新しい住民の心境にぴったりな、「London is the place for me」(ロンドンは、ボクにしっくりいく町)。この歌が頭を流れる中、映画館の外へ踏み出しました。一度来ると、みんな、ロンドンが好きになる。私もそうでしたから。大昔、始めてきたとき、私はここが大好きだ、帰りたくないと思った。ロンドン不動産の高騰などの、有難くない事も、最終的にはその結果なのですよね。磁石に吸い寄せられるように、世界中から、人と不動産投資を含む投資も集まって来る。最近は、アメリカの映画スターまで、ロンドンで家探しですから。でも、それが、昔ながらのロンドンっ子や、低賃金で働く人、その辺の伝統的な小さな店がロンドン中心部に存在できないという事情につながってきている。なんとも、複雑な気分にもさせられました。

なんでも、マイケル・ボンド氏は、以前に比べ、人間が閉鎖的で無作法になった現代のロンドンよりも、今ではパリの方が好きで、パリで作品を書く時間も増えているのだそうです。ロンドンは、入ってくるお金でぴかぴかになっているものの、魂を失ってるちゅーことでしょうか。1970年代ずっと、ノッティング・ヒル・ゲイトに住んでいた私の知り合いも言ってました。「70年代なんかは、皆、人が親切でフレンドリーだったよ、この辺も。ドアを開けて外に出ると、いつも、誰かに呼び止められて立ち話になっていた。いまじゃ、自分以外の人間に関心の無い、薄っぺらで、気取ったやつらばかりだ。」

さて、映画鑑賞は、空いているだろうと、初回の放映を見に行きました。終わった後のランチは、ケチって、外のベンチでサンドイッチのご飯をしましたが、夏の間は、ランチを取るオフィスワーカーでいっぱいの公園も、からんとし、数人の観光客と、落ち葉を集めるガーデナーたちが働くのみ。パディントンが、帽子の中に常に隠し持っているマーマレードサンドイッチを食べようとする度に、おこぼれもらおうと出現するロンドンのハトたちの群れも、このうら寂しい天気で、めずらしく、周辺には一羽も舞い降りてきませんでした。よかった、よかった。

ついでに、その後、ロンドン博物館(Museum of London)へ趣きました。

11月4日から12月末まで、ロンドンのいたるところに、50のパディントン像が置かれています。これらパティントン像は、皆、帽子をかざしたポーズは同じものの、其々、別の有名人によってデザインされた洋服や風体をしています。ロンドン博物館の入り口にも、このひとつが立っていました。これは、ベネディクト・カンバーバッチのデザインによる、シャーロック・ベアで、ホームズ風のコートと帽子を身につけたパディントン。当博物館に訪れたのは、映画にちなんで一時的に設置されている、パディントンがらみの展示物コーナー(無料)を覗くためでしたが、同時に、現在シャーロック・ホームズ関係の展覧会(こちらは有料だと思います)も行われているので、シャーロック・ベアがここに設置されたのでしょう。パディントンとホームズ、いまだ、ロンドンにとっては、大切な二大稼ぎ手ですわな。

50の像は、オークションにかけられ、売り上げは、子供保護のための慈善団体へ寄付される予定。

さて、ロンドン博物館のパディントン展示会は、ほんの小さな一角にありました。映画のパディントンはコンピューター・グラフィックですが、それを作成する際のモデルになった、トレードマークの赤い帽子と青いダッフルコートも展示さてています。布の質感なども、これを元に出したのだそうです。

第一作「くまのパディントン」1958年の初版。これは、出版の少し前に生まれたボンド氏の娘さんの所持品。初代の白黒のイラストは、ペギー・フォートナム(Peggy Fortnum)によるもの。

昔はタイプライターで書いてたわけですからね。私もタイプライター持っていたな、そういえば。リボン変えや間違った時の修正は面倒でしたが、なんか、こう、作家というイメージにしっくりいくんですよね、PCよりも。

ブラウン一家の住んだとされる架空の住所、32Windsor Gardensあてに、パディントンへのファンレターが海外から舞い込む事も多く、場合によっては、ただ、「ロンドンのパディントンへ」としか書いていないものもあるそうですが、すべて、最終的にはマイケル・ボンド氏に転送されているようです。そんな海外からの封筒も3つほど展示されていました。ホームズが住んだとされるベーカー街に手紙が行くのと同じです。

可愛いもの好きの日本からの品もふたつ展示されてましたよ。のむヨーグルトと三井銀行のカード。そうでしたね、三井銀行、パディントン使ってました。

という事で、一日、パディントンをテーマに行動し、家路に着きました。日が暮れるのも早く、うすら寒い中、パディントン風ダッフルコートあってもいいな、などと思いながら。

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