かがり火の丘

Beacon(ビーコン)とは、日本語で「篝火(かがり火)」と訳されています。この「篝火」という言葉の、篝というのは鉄製の籠を指すそうで、この中で、夜の照明に燃やした火が篝火なのだそうです。ビーコンの和訳を、辞書で調べる前は、日本語訳は、篝火でも、松明でも良いのかな、と思っていたのですが、日本語の「松明」という言葉は、篝火のように、籠の中で燃やすものではなく、手に持って運ぶ火を指すそうなので、英語では、torch(トーチ)の訳語に当たる言葉となります。今の今まで、私は、篝火と松明の違いを知らなかった!人生一生勉強です、はい。

さて、過去、島国イギリスの海岸線近くの高台には、ビーコンを掲げる場所が多くありました。これは、海峡を渡って、敵船が近づいて来るのが目撃されると、それを知らせるために、このビーコンに火をともし、「敵が来るぞ~!」を伝達する手段などに使用されていたため。よって、いまだ、Beacon Hill(ビーコン・ヒル、かがり火の丘)という名のついた土地は、いくつか残っており、ほとんどの場合はレプリカでしょうが、実際に、鉄製の篝が、まだ立っている場所もあります。

我が家から一番近くにあるビーコンは、河口を見下ろす小さな丘の上。1588年8月の、エリザベス1世による、スペイン無敵艦隊撃退の400周年を記念して、1988年に、実際にビーコンが古くから存在した場所に、新しく立て直されたものです。セレモニー用に、ほんの時たま、灯されるのみで、普段は、こうして、玉いれ競争の籠よろしく、何気なく立っているだけです。

イギリスのビーコンというと、どうしても、無敵艦隊や、その他、大陸ヨーロッパからの襲撃に対しての海岸線の土地での、伝達のイメージが強いのですが、同じ島国なのに、日本では、海岸線の高台に、篝が立っている光景は、あまり見たことが無いな、とふと思いました。日本語の「篝火」という言葉のかもし出すイメージは、鵜飼だとか、能だとか、武家屋敷の門の前に立って燃える炎の様子。

日本の海岸線が、他国から襲撃を受けたというのも、第2次世界大戦前は、蒙古襲来くらいしか、頭に浮かびません。鎖国が可能だったのも、近年にいたるまで、軍船に乗ってやってくる招かれざる客が、比較的少なかったせいではないか、などとも思い。一方、イギリスは、昔から、ローマ人、バイキング、アングロ・サクソン、ノルマン人、その後は、スペイン、フランス、オランダなども、次々、軍船を送って、イギリスの海岸線を襲撃しようとしてきたわけなので、海岸線防御と言うのは、国の長にとっては、わりと大切な事態だったのでしょう。ビーコンの他にも、ナポレオン戦争時代の、防御用のマーテロー塔(martello tower)なども、海岸線に残っています(マーテロー塔の写真は、過去の記事まで。こちら。)。

ペリーの黒船来訪の前の、日本での、他国に対する海岸線防御のなごりというのも、やはり、私は、出くわした記憶が無いのです。九州には、蒙古襲来時代の、元寇防塁(げんこうぼうるい)という石で築かれた防塁は残っているそうですが。

ビーコンの立つ丘の斜面は農地で、小麦が順調に育っています。「プラム・クリークの土手で」のように、イナゴに食われることは、まず無いでしょうから、無事収穫できることでしょう。

麦畑の真ん中の道を歩いていくと、農家の家。これが結構、立派な家でした。のんびりした風景の中、敵国の進入を心配する必要も無く、散歩を楽しみました。

今の時代の戦争は、爆弾ひとつ落とされて終わりでしょうから、篝火で、敵が来る連絡をするなどと、悠長な事をしている時間も無いでしょうし。

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