メアリー・アニングと化石たち

She sells sea-shells on the sea shore;
The shells that she sells are sea-shells I'm sure.
So if she sells sea-shells on the sea shore,
I'm sure that the shells are sea-shore shells.

彼女は浜辺で貝殻を売る
彼女が売る殻は、貝殻に違いない
だから、彼女が浜辺で貝殻を売るのなら
その殻は、浜辺の貝殻に違いない

おなじみ英語の早口言葉です。これは、19世紀はじめに、イングランドはドーセット州の村ライム・レジス(Lyme Regis)の海岸線で、数々の恐竜の化石を発掘した有名な化石ハンターであるメアリー・アニング(Mary Anning 1799-1847)の事である、と言われています。

前回の記事に書いた、クリスタルパレス公園に設置されている、ヴィクトリア時代に作られた恐竜たちのひとつに、上の写真中央のイクチオサウルス(Ichthyosaurus 魚竜)がありました。その名は、魚トカゲの意味で、骨組みが、魚とトカゲの中間にあたるため。

1811年に、この恐竜の頭の部分の骨の化石を、最初に発見したのが、メアリー・アニングの兄のジョセフ。翌年、13歳であったメアリーは、同じイクチオサウルスの首の部分の骨を発見し、これを発掘。現在では、イクチオサウルスは、クリスタル・パレス・パークのものよりも、もっとイルカに似た恐竜であったとわかっていますが、これが、掘り起こされた時は、地元の人々には、ワニと呼ばれていたようで、模型も、ワニ風になっています。なお、模型では目玉はパイナップルの輪切りの様に、ぎょろっとしていますが、これは、皮膚の下の目の構造を見せてあるものだそうで、実際の外観の目は、もっと小さめ。

彼女は、1832年に、最初のものよりも、もっと完璧な形をしたイクチオサウルスを発見。その他、1823年、世界初のプレシオサウルス(Plesiosaurus 首長竜)も掘り当てています。こちらは、上のクリスタルパレス公園の写真内左手の恐竜です。

メアリー・アニングが発見したイクチオサウルスとプレシオサウルスの化石は両方、ロンドンの自然史博物館(Natural History Museum)でお目にかかれますので、さっそく、それを見るためだけに、当館に足を運びました。

自然史博物館内のこのケースに収められているのが、メアリー・アニング発見のイクチオサウルス2体。ちょとガラス越しに撮った写真で見難いですが。下がメアリー幼少の頃の発掘のもの。

最初に発見されたイクチオサウルスのクロースアップ。パイナップル風目玉が良くわかります。

こちらは、やはりメアリー・アニング発掘のプレシオサウルス。

ライム・レジスの貧しい家具職人の娘であったメアリー・アニング。赤ん坊の時、雷に打たれながらも生き延びるという経験の持ち主。父は家具作りはともあれ、海岸線で化石収集することに熱意を燃やし、メアリーも幼い頃から父と共に海岸でアンモナイトなどの化石を拾い集め、それを綺麗に処理した後、店の前のテーブルに並べ、観光客などに売り,、家計の足しにしていました。早口言葉の「She sells sea-shells ・・・」もここから来たのでしょうか。

1810年に父を亡くし、あとに残された母と、メアリーと兄ジョセフの生活は、ますます、厳しいものとなり、化石集めに頼る事となります。そして、翌年、最初のイクチオサウルスの発見とあいなるわけです。

地質学、生物学などが盛んにになってきた時勢での、今まで見た事も無いような生き物の化石の発見に、科学者を含む、多くの人物が、ライム・レジスの海岸線、及び、彼女が、化石を丹念に清掃し磨き上げるワークショップを訪れるようになります。徐々に科学の文献や研究書にも、彼女の名前が言及されるほどの名声を得。それでも、アンモナイトなどのこつぶ化石を店先で売る他、時折の大きな恐竜の骨の発見で、まあまあ収入を上げることができても、アニング家の生活はなかなか大変だったようです。

ライム・レジスに訪れ、情報や標本の収集に、彼女の力を借りた人物の中には、彼女に経済的援助の手を伸ばす者も出てきます。たとえば、1820年に、自分の化石コレクションをオークションで売り、儲けた全額400ポンドを、まるまるアニング家に与えたトーマス・バーチ。400ポンドは当時にしては、かなりの大金。また、彼女が生活に困らないように地質学会を初めとする、科学協会の会員達からの援助で、彼女の死の9年前から、毎年定期収入を与えられるようにもなります。こうした助けにより、アニング家は居住を、洪水などの被害も時々受けていた以前の低い土地にある家から、もっと高台の大きな通りに面した、前面に化石を売る店を設けた家へと引越しが可能になり、全く化石を掘り当てられない期間も生活をできる状態にはなったようです。

ドーセットの海岸線の化石が眠る崖は、悪天候の後等、崩れ落ちる危険があり、一番上の肖像画にメアリーと一緒に描かれている愛犬トレーは、崖崩れの犠牲となるのです。悪天候の後が、特に、新しくむき出しになった崖の面で、今まで隠れていたものが目に付く可能性があがるため、まだ不安定な崖の下などを、歩き回る事も多々。トレーが土砂で死んだ際、メアリーは、わずか1メートルくらいの距離で難を免れたようです。

一生、ドーセットの海岸を化石を求めて歩き回り、47歳にて乳がんで死亡。

「真珠の耳飾の少女」の作家であるトレーシー・シュヴァリエ(Tracy Chevalier)の著作の中に、「Remarkable Creatuers」(すばらしき創造物)というタイトルの本がありますが、これは、ライム・レジスを舞台にした、メアリー・アニングと、彼女を影で援助したエリザベス・フィルポット(Elizabeth Philpot)の話です。ところどころ著者の創造をまじえ、大体は事実を元に書かれていますが、とても面白かった。

中流階級出身で、持参金があまりなく、しかも不美人であったため、結婚の見込みの無いエリザベス・フィルポットは、弁護士の兄の結婚と同時に、他の未婚の姉妹二人と共に、ロンドンの実家を去る必要が出、3人は都落ちして、ライム・レジスの小さなコテージに移り住む事となるのです。ここで、ハイミスとして暮らすには、何か生きがいを持たないと・・・と彼女がはじめるのが化石、特に魚の化石の収集。そうして、まだ当時は子供だったメアリー・アニングと知り合い、階級は違うものの、同じものへの情熱で意気投合。共に海岸で、泥まみれになり化石を探すうち、友情が育っていくのです。階級的に上で、教育も受けているエリザベスが、最初に発見されたイクチオサウルスの切り出しの手配や、販売の交渉の手助けをする様子も描かれています。

当時は、中流以上の婦人が、道を一人で歩く事などがタブーとされていたなど、今の世から考えると、女性には社会の拘束も色々ありました。エリザベスは、そんなタブーも、化石収集などのヘンな趣味を持つハイミス女性としての外からの偏見も、徐々に気にならなくなり、精神的に自由になっていく。一方、メアリーは、幼い頃は、一日の糧を得るのにも一苦労、石炭を沢山燃やす事もできない貧困の日々でありながら、化石に燃やす情熱は誰にも劣らない。フィルポット家は中流でも、比較的貧しい方という事になっているのですが、アニング家に比べれば非常に快適な生活。働かずとも食うに困らず、燃やす石炭は沢山、召使もいる。そして、メアリーには生活の糧である化石も、エリザベスには自分のためのコレクション。

それでも、裕福なエリザベスが、メアリーの幼い頃から蓄積した化石に関する知識と、良い標本を発見するカン、そして、著名科学者たちから、彼女が注目を受け始めるのに、羨望を感じたりもするのです。アマデウスで、サリエリがモーツアルトに感じる嫉妬に似たものでしょうか。事実は定かでないもの、小説内では、メアリーは、トーマス・バーチに恋をして関係を持ち、愛犬トレーも彼からの贈り物として描かれていますが、やはりトーマス・バーチに対して、恋愛感情を持っていたエリザベスがそれにも嫉妬し、それが原因の言い争いで、二人は一時疎遠になるものです。

が、メアリーが新しく彫り上げたプレシオサウルスの化石を、フランスの著名科学者ジョルジュ・キュヴィエ(Georges Cuvier)が、「この化石は、実在した生物にしては首が長すぎるので、発掘者が偽造したものである」としていちゃもんをつけた事に、エリザベスは激怒。「プレシオサウルスは発掘されたままの状態で、工作を受けていない」とメアリーの信憑性を弁護するために、エリザベスは自ら、ロンドンの地質学会に乗り込み、2人の友情は元に戻りめでたしめでたしとなるのです。女性ご法度の地質学会に、エリザベスが乗り込むシーンも、女性読者としては、「ようやった!」と意気高揚するのですが、もしかしたら作者の創造かもしれません。本は、一生独身を通した二人が、連れ立って、静かに、海岸で化石を求めてさまようイメージで終わっています。

女性としてのタブーや、それぞれの階級にミスフィットする人間への社会からの偏見、また、階級や地位が低い事から時に無視されたり、ただの召使の様に扱われるなど、数々のハンディキャップを乗り越えた、リマーカブル・クリーチャーズ(すばらしき創造物たち)は、恐竜を指すと共に、自然史の歴史にしっかりと足跡を残した彼女らの事でもあるのでしょう。

また、当時はキリスト教が社会の根本に流れる時代。地球の歴史は6000年と、キリスト教会では信じられていたのに、それに相反する事実が、次々と化石や地質の研究から現れてくるわけです。神が作った創造物の中に、何故に死滅してしまったものがいるのか、何故、神はそんな事をしたのか・・・。これは、かなり論議を呼ぶ、時の重大問題だったという背景も、登場人物たちの会話の中に、興味深く描かれていました。

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