アルプスの少女ハイジ

口笛はなぜ~、遠くまで聞こえるの?
あの雲はなぜ~、わた~しを待ってるの?
おし~えて、おじ~さん、おし~えて、おじ~さん
おしえて~、アルムのもみの木よ~

「アルプスの少女ハイジ」アニメ版も、「フランダースの犬」同様、主題歌は知っていたのに、なぜか見たことは一度も無いテレビ番組でした。この主題歌も、「あの雲はなぜ・・・」の部分は、「あの山はなぜ、朝陽を待ってるの?」だと、長い間勘違いしていました。が、これは、私の詩の方が、本当の歌詞よりいいじゃないか、と勝手に思ってます。子供時代に、日本語に翻訳された本は読んだ事はあり、ストーリーは、わりと良く覚えていました。おじいさんの小屋のすぐそばに立つ3本のもみの木と、団地内にあった我が家の棟の前に立っていた3本の背の高い松の木と重ね合わせたりもして。よい香りの干草のベッドで、窓から星空を見ながら床に就く生活にも憧れ、ハイジがペーターのおばあさんのために溜め込んだ白パンは、学校給食に出されていた、ふにゃふにゃの食パンよりうまそうだと思い。

スイスはヒルツェル出身のヨハンナ・スピリ作「ハイジ(Heidi)」の原作はドイツ語で書かれ、1880年出版。一部と二部に別れており、一部は、「ハイジの勉学と旅の年月」二部は「ハイジが学んだことの実績」とそれぞれ題されています。この英語翻訳版を最近読みましたが、そのキリスト教色の強さに、ちょっとびっくりしました。19世紀ヨーロッパの作品ですから、子供にモラルを教えるには、やはりキリスト教を通して・・・であったのでしょう。訳者と編集者が、日本の子供にはわかりにくいと思ったためか、私が日本語で読んだものは、原作を忠実に訳したわけでなく、宗教面が、かなり省かれていたのではないかと思います。

あらすじは、

第一部
5歳のハイジは、1歳で孤児になってから、母方の祖母と、叔母デーテにひきとられていたが、祖母が亡くなり、デーテがドイツのフランクフルトに職を見つけた都合で、マイエンフェルト付近のデルフリ村から山を登った小屋に住む、ハイジの父方の祖父に預けられる。村人からは、アルムおじさんとして知られ、人間社会から離れ一人生活する偏屈の噂のある祖父の元に、いきなり現れたデーテは、「私は、十分義務を果たした、今度はあんたの番だ。」と、有無を言わさずハイジを置いていく。こうして始まる山小屋でのハイジとおじいさんの生活。ヤギ飼いの少年ペーターや、ヤギ達ともすぐに仲良くなり、村からおじいさんの小屋へ上る途中にあるペーターの小屋に住む、目の見えないペーターのおばあさんも、ハイジの明るいおしゃべりに慰められる。

美しい自然の中で、幸せに時は過ぎ、8歳になったハイジとおじいさんの元へ、再び現れたデーテ。今度は、勤め先の知り合いの家庭が一人娘の遊び相手を探している、ハイジが調度よいと、嫌がるハイジを、フランクフルトへ連れて行く。フランクフルトのゼーゼマン家へ引き取られたハイジは、そこで、4歳年上の病弱で車椅子でしか動けないクララと仲良くなる。が、家政婦長のロッテンマイヤーはハイジに厳しくあたる上、物質的には満ち足りた生活であるものの、山も森も見えない生活になじめず、食欲も元気もなくしていく。家庭教師についても、アルファベットもなかなか覚えられない。

やさしいクララのおばあさんの訪問の際に、字を読めるようになったら、美しい絵本をあげると約束されると、あっという間にアルファベットを覚えるハイジ。また、ハイジが元気が無いのに気付いたおばあさんに、「人に言えない悩みは、神様にお祈りするように」と言われ、祈りをはじめる。が、ハイジのホームシックはとまらず、また、ロッテンマイヤーに、泣いたら、大切にしている本を取り上げると脅かされ、悲しみを内にこめ、そのうちに夢遊病者となり、夜、家の中を徘徊するようになる。家内の者達は、館に幽霊が出たと恐れるが、ゼーゼマン氏と友人の医師が、幽霊の正体はハイジだと発見し、医師は、即行で、ハイジの健康のために、おじいさんのもとへ送り返すようにゼーゼマン氏に忠告。

山小屋にもどったハイジは、また健康で幸せな生活へ。字が読めるようになったので、ペーターのおばあさんにお祈りの本を読んであげることもできるようになり、また、おじいさんは、ハイジの影響で神への愛に目覚め、今までの態度を改心し、日曜日にハイジと共に、村の教会へ行き、村人達に暖かく迎えられる。雪で道が閉ざされる冬の間は、ハイジが学校に行けるよう、村に住むこともはじめる。

第二部

クララは、ハイジを尋ねてスイスに行きたくて仕方が無いが、健康が悪化して、医師の忠告で、先延ばしとなってしまう。また、医師は、一人娘をなくしてしまい、意気消沈気味。ゼーゼマン氏は、そこで、医師が休暇を取って、ハイジを尋ねて山へ行き、クララに、その様子を報告してくれるよう頼む。山を訪れた医師。自分が山へ帰ってこれるきっかけをつくってくれたお医者様が来た、とハイジに大喜びで迎えられ心温まる。医師は、おじいさんともうまが合い。ハイジとの会話と美しい山の風景の中、娘を亡くした打撃から、少し元気になってフランクフルトへもどる。

翌夏、ついに、ラガーツの温泉を経由して、クララとおばあさんがやってくる。おじいさんの提言で、クララは1ヶ月ほど、ハイジと一緒に山にとどまる事が決まり、おばあさんは、山を降り、一人ラガーツへ戻る。山の空気と、美しい景色に、食欲が出て、毎日元気になっていくクララ。クララにハイジがとられてしまったと、嫉妬したペーターは、ある日、車椅子がなければ、クララは、滞在を続ける事ができず、フランクフルトに帰るのではと、誰も見ていない時、小屋の外に置いてあった車椅子を坂道から突き落とす。車椅子は急斜面を村まで転がり落ち、ばらばらに解体。おじいさんは、クララを抱えて、ハイジと共に、ペーターがいつもヤギ達を放牧させる高台へ連れて行き、自分は、そのまま、車椅子の行く方を探しに山を降りていく。その間、ハイジは、少し離れた場所に、一面に咲き誇る花をクララに見せたく、ペーターと自分の間でクララを支え、一歩一歩進むようクララを励まし、ついにクララは、歩けるようになる。そして、数日の歩きの練習の後、おばあさんに山へ来てくれるようにと手紙を出す。

やって来たおばあさんは、孫娘が歩くのを見て大喜び。すぐ後、暇が取れたゼーゼマン氏も、訪れ、娘が普通の体にもどったのに感無量。おじいさんに、どうやって恩を返せばいいかと尋ねると、おじいさんは、自分が死んだ後、行く当ての無いハイジが赤の他人の間で働くことにならないように、面倒を見てやって欲しいと頼む。また、ハイジが自分の娘のように可愛くなった医師は、引退し、デルフリ村にフランクフルトから移り住み、ハイジの親代わりのような存在となる。

ハイジが、神様にお祈りをするようにと、最初に教えられるのは、クララのおばあさんからです。恩知らずだと思われるのが怖くて、ゼーゼマン家の人たちの誰にも、山のおうちに帰りたいと言えず、心に思い石が乗ったように感じるハイジは、神様に毎晩お祈りをするようになる。けれど、やがて、お祈りが利かないと、おばあさんに「フランクフルト中の人たちが皆、お祈りをしているのだから、神様はそれを全部聞けるわけがない。」ともらすのですが、それはもっともな疑問。聖徳太子ですら一度に10人の話しか聞けなかったのだから。私も、子供のときに、同じような事を思ったものです。神様では無いけれど、「サンタクロースがなぜ、世界中の子供達全ての欲しい物がわかるんだろうか。日本語も喋れるのかな。」と。おばあさん、ハイジの懐疑心に答えて、神様は人間とは違うから、全てわかるのだと。また、ハイジの願いを今かなえてくれないのは、まだ願いをかなえるのに良い時がきていないからだと諭すのです。そして、神を信じることをやめ、背を向けてしまうと、本当に苦しくて助けが必要なときに、どんなに泣いても助けは来ない。だから、神の許しを乞い、再び神の元にもどるようにしなければならんのです、と。ハイジは、このクララのおばあさまから伝授された、神を信じて祈りを捧げる、という教訓を、山にもどってから、まずは暗い過去があるおじいさんに、そして、傷心の医師に繰り返し、2人の生活を向上させる。

おじいさんの暗い過去・・・は、裕福な農家に生まれながら、若い頃、いろいろ旅をして回り、酒や賭博で、財産を吹っ飛ばしてしまい、両親は絶望し、死亡。文無しとなったおじいさんは、傭兵としてナポリへ行く。しばらくたった後、息子を連れて故郷の村へ再び現れるが、村人たちの冷たい態度に怒り、デルフリ村へ移り住む。息子は大工となり、デーテの姉と結婚。円満夫婦だったが、息子は大工仕事中の事故で死亡し、妻もそのショックで立て続けに死亡。幼いハイジが残されることになる。村人達はアルムおじさんの過去の罪に罰が当たったのだと噂。アルムおじさんは、傭兵時代は、喧嘩で人殺しをしたという噂もある。怒ったじいさん、人間とその社会に愛想を尽かし、山上に住むようになる・・・というもの。

「神を忘れたものは、神に忘れ去られる」とぽつりと言うおじいさんに、ハイジは、「それは違う」と、クララのおばあさんからもらった本の中から、お気に入りの話をおじいさに読んで聞かせるのです。この話は、新約聖書中の「放蕩息子の帰還」。キリストが、無くした物を再び見出す事がどんなに喜ばしいか、また、罪人が改心して正しい道に戻る事がどんなにめでたいか、という事を説くのに語った話です。・・・父から財産を分けてもらい、放浪の旅へ出て財産を使い果たした放蕩息子。貧困の中、ぶたに餌をやり生活するようになり、ぶたと同じものを食べて飢えをしのぐ始末となる。やがて、後悔し、父の元へもどり、「罪を犯してごめんなさい」と謝り、「あなたの息子と呼ばれる価値が無いので、召使としてでも雇って下さい」と頼む。父は大喜びし、死んだ息子が蘇った、失ったものを取り戻した、と息子に良い着物を着せ、靴をはかせ、ご馳走をして祝った・・・。だから、神様は、罪を犯したものでも、謝ってお祈りを捧げれば、きっと許して、喜んで受け入れてくれる、とハイジに言われ、おじいさんは、その夜、涙を流しながらお祈りし、翌日曜日に、村の教会へ出向くこととなるのです。

そうそう、おじいさんが、車椅子のクララの扱いが上手なのは、傭兵時代に、負傷したキャプテンの面倒を見たことがあるからだという説明がありましたっけ。

ハイジが良い子なら、ペーターは、根性悪しではないものの、だめな子ちゃんの代表選手。子供読者に、ペーターのやったような事をしちゃだめですよ・・・という戒めのためのキャラクターの感があります。そして、物語に、ちょっとお笑い要素を加えるのに役立っているような。食いしん坊で、勉強は嫌い、学校をずる休み、また、お医者さんにもクララにもやきもちを焼き、ついには、車椅子突き落とし事件に至るのです。

クララの車椅子が崩壊してしまったのを見た後、ぺーターは、自分のした事が怖くなり、フランクフルトから警察官がやってきて、高価な車椅子を壊した罪で逮捕投獄されるのでは、とひやひやの数日を過ごすのです。そして、山を登って来たゼーゼマン氏に、道を聞かれた際、氏を警官と勘違いし、あわてて逃げようとして、山の斜面から、車椅子同様、村までころころ転がり落ち、痛い目にあう、という情け無い結果となる。車椅子を壊した罪をクララのおばあさんに白状したペーターに、おばあさんいわく、「悪いことをする人間は、他の誰もそんなことを知らないと思うのだけれど、神は、全てを見て知っている。そして、神は、普段は眠っている、罪人の心の中の番人を目覚めさせる。この番人は手に持った針で、ちくちくと罪人の心を痛めつけ、罪人は常に、自分の罪がばれてしまう、と心配しながら、心の安らぎ無く日々を送るようになる。」良心の呵責というやつですね。そして、ペーターが罪を告白した今は、それは過ぎた事にしましょうと、「フランクフルトから来た私達の思い出に何かプレゼントをしてあげましょう、何がいい?」と聞かれ、頭がぐるぐるして決められないペーターは、「1ペニー!」と答え、大人たちの失笑を買うのです。おばあさんは、ペーターに、以後ずっと、毎週1ペニーをあげるという約束をする。めでたや、めでたや!

ペーターがクララにやきもちを焼いたというくだりは、覚えていたのですが、車椅子突き落とし事件はまったく記憶に無かったのは、この逸話も、私の読んだ日本語翻訳本からは、削られていたのかもしれません。なぜでしょうね。

クララのおばあさんの存在は、大人の読者に、子供の教育は、ロッテンマイヤーの様に、小言を並べて、頭からしかりつけ、厳格に対処するよりも、こうやって、やさしく説明をしながらしましょう、という模範にもなっているのでしょう。そして、モラル教育の基本は、そう、神様は見てるんだと、というキリスト教です。人間の善悪は、他人が見ていない時の行動でわかることが多い、よって、神様は人間の行動を何でも知っている、という考えは、モラルを教えるにあたって、非常に有益であるのはわかります。

さて、大切な食べ物の話をちょっとしましょうかね。山の住人達は、いつもヤギのミルクと、チーズとバターとパンばかり食べていて、時々肉は食べるものの、野菜は一切食べている気配がない。ヤギのミルクの栄養値が高いとは言え、野菜食べないでいいんかね、と余計な心配もしました。ペーターのおばあさんが食べたがった白パンも、粗い粒入りのパンより栄養価は低いんじゃないかという気もするし。クララは、最初は、ヤギのミルクに少々たじろぐものの、すぐに大好きになり「砂糖とシナモン」の味と表現されていますが、ヤギのミルク、わりと臭いとクセがありますよね。久しぶりに買って飲んでみようかな。ヤギは、飼ってみたい動物のひとつです。いつも肝油を取らされていたクララは、フランクフルトでは、食事を無理やり食べていて、全てが肝油の味がしていたのが、山の空気を吸いながらの食事は美味しいと、元気な子になっていくのです。また、貧しいペーターの家では、肉をほとんど食べたことがないので、クララがフランクフルトから巨大ソーセージを送ると、それを見て、びっくり仰天、大喜び。このころから、フランクフルトはやっぱりソーセージか。

ハイジは、アニメの主題歌「おしえて」の通り、色々な事を、周りの人間に質問するのです。「夕方、空が燃え上がるのは何故?」最初は、ペーターに聞いたこの質問、説明やおしゃべりが苦手な彼は、もごもごと、「それはそういうもんだからさ。」と答えただけだったので、おじいさんに繰り返し聞くと、返ってきた答えは、「お日様が、山が夜の間自分のことを覚えていてくれるように、沈む前に、一番美しい色を使った光のショーを披露するんだ。」子供に、何故、何故攻撃をかけられた時に、こういう返事できれば、たいしたもんです。

ここで使用した写真は、ヤギ以外は、全て、スイスのザース・フェーで取ったものです。スイスには、雪の季節にしか行ったことがないので、いつかスイスの夏の山と草原を歩いてみたいものだな、と思っています。

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