愛妃に捧げる記念碑、チャリング・クロス

ロンドン、チャリング・クロス駅。駅の前に建つ、尖塔の上に十字架を掲げた記念碑は、しばらくの間お色直しのため、工事中の覆いがかかっていましたが、先日通りかかった時は、きれいに出来上がっていました。13世紀に、エドワード1世の愛妃、エレノーア(エリナー)が亡くなった後に作られた十字架の記念碑である、エレノーア・クロスを、19世紀に作り直したものです。

ロンドンは、現在のシティー(ロンドン東部)から徐々に広がっていった都市なので、かつては、この周辺は、チャリングと呼ばれた村。1290年、リンカン周辺に滞在中に亡くなったエレノーア妃の遺体は、12日間かけて、リンカンから、ロンドンのウェストミンスター・アベイへ埋葬されるべく、運ばれます。エドワード1世の命により、その遺体を運ぶ一行が泊まった12の場所に、1291年から1294年の間に、12の記念碑、エレノーア・クロスが建てられます。最終の停泊地、チャリングに建てられた十字架の記念碑が・・・チャリング・クロス。

参考までに、この全ての12地点は、出発地のLincolnから、Grantham、Stamford、Geddington、Hardingstone、Stony Stratford、Woburn、Dunstable、St Albans、Waltham、Westcheap、終点の Charing。

エレノーアは、スペインのカスティーリャ王国のお姫様で、イングランドのエドワード1世とは、カスティーリャ王国が、当時のイングランド領のガスコーニュ地方を侵略する恐れを無くすための、政略結婚。にもかかわらず、仲むつまじい夫婦だったようです。結婚した時、エドワードは15歳、エレノーアは9歳。36年間の結婚生活のうち、エレノーアは、エドワードの十字軍遠征などにも付いて行き、一緒に過ごす事も多かったようで、熱病で亡くなった時も、エドワードと共に、リンカンへ移動の道中。いつも、出来る限りそばにいてくれた奥さんに、いきなり死なれて、エドワード1世も、がっくりきたのでしょう。

オリジナルの、エレノーア・クロス(チャリングクロス)は、現在馬にまたがるチャールズ1世像が立つ場所(現トラファルガー広場の南、ホワイトホール北端)にあったのですが、イギリス内戦時代、1647年に、王制を嫌う議会の命により取り壊されます。絵は、このオリジナルが描かれている、16世紀のチャリング・クロスの風景です。

ちなみに、現在、ここに立つ、チャールズ1世の像は、すでに、内戦以前に作製してあり、内戦、共和制の間は、隠してあったものを、王政復古後の、1675年に、現在の場所に設置されます。

このチャールズ1世像のある場所が、ロンドンのへそとして、ロンドンからの距離を計る際の基準として使われているという事。例えば、ロンドンからオックスフォードまでxxマイル、と言った際の「ロンドン」は、ここから計るわけですか。とすると・・・距離を測るためのオックスフォードの中心はどこだろう・・・オックスフォードだけでなく、他の地方都市の中心はどうやって決まっているんだろう・・・と、それもまた気になり始めました。

トラファルガー広場を背景に取った、チャールズ1世の像。ネルソン提督と一緒に、チーズ。

同じ像を、今度はホワイトホールとビッグベンを眺めるように取ってみました。自分が処刑された場所を眺める格好です。

さて、現在のチャリング・クロス駅前のエレノーア・クロスのレプリカは、1865年に、作られたものです。すでに、昔の場所が、チャールズ1世に取られてしまったので、ちょっとだけ東へ移動したんですね。12の記念碑のうち、まだ、本物が立っている場所はGeddington、Hardingstone、Walthamの3つのみ。

政権を握るものの見解によって、記念碑の類も打ち壊されては、また、違う政権の台頭で立て直され。一度は壊したものを、「ああ、壊さなきゃ良かった」と作り直し。市民が勝ち得た革命だ、などというエジプトで、「昔の王家の忌まわしい記憶じゃ」とピラミッドを打ち崩す事はまずないでしょうが。大切な観光収入の稼ぎ手ですから。

*上に載せた、16世紀チャリング・クロスの風景の絵は、British History のサイトより拝借しました。

コメント

  1. こんばんは
    今日は風の強い一日でした。風も冷たかったです。
    エドワードは十字軍のころの王様でしょうか?そして、チャールズはピューリタン革命で処刑された王ですね。革命はその当時とは比べられないくらい国民を突き動かす力になってますね。エジプトはどうなるんでしょう。王侯貴族のいる国々では人ごとではないように思います。アラブの王様だけでなく、、。ちょっと物騒なことになりはしないかと心配になってます。

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  2. エドワードも若い頃、9回目の十字軍に参加しているようですね。十字軍と言うとどうしても、3回目に参加した獅子心王リチャード1世が最初に頭に浮かびがちです。エドワードはスコットランド制覇に意欲を燃やして「Hammer of the Scots」と呼ばれた王様です。かなり大きな人だったようです。
    サウジあたりが革命騒ぎになったら、石油価格大上昇になってしまうでしょうね。

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