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2月, 2011の投稿を表示しています

春の予感

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「春の予感」という南沙織が歌った曲がありました。化粧無しでも綺麗だろうな、という顔立ちで、英語もぺらぺら、というシンシアには、昔、ちょいと憧れたものです。彼女の歌う「春の予感」のビデオは こちら 。作詞作曲の尾崎亜美の歌うビデオもあったのですが、私は、シンシアの声の方が好きなので。懐かしいです。 春の予感、そんな気分 いつもと違うでしょう・・・ と、本日は、この曲を鼻唄してしまう暖かい日でした。 イギリスで、春に咲き出す花の順序として、まず、スノードロップ、そしてクロッカス、ダファデル(水仙)、それから、ヒヤシンス(屋外用)、チューリップ・・・というのが一般的な感じですが、今年は、去年に引き続き、また12月の寒さのせいで、スノードロップの開花が遅れたという話が出ていました。今は、あちらこちらに咲きそろい、クロッカスと時期を同じくして咲いています。 この他、うちの庭で、春早くこの時期に、ピンク色の明るい花を咲かせてくれるありがたい植物は、上の写真のBergenia(ベルゲニア)で、イギリスでの俗名は、Elephant's Ear(象の耳)。日本では、ヒマラヤユキノシタと呼ばれているようです。丈夫な、常緑のグラウンドカバーとして大活躍のこの植物、木や茂みの下の日当たりの悪いところでも、比較的良く育ってくれるのも助かります。英語の属名の由来は、楕円形の象の耳の様な、大きな葉からきています。 あまり、このヒマラヤユキノシタの花を切り花にするという話は聞かないのですが、私は好きで、咲き出してしばらく経ち、花の茎が長くなったところで、幾つか切り取って部屋に飾るのが毎年恒例です。 みつばちも徐々に見かけるようになりました。ヒマラヤユキノシタの花の周りにも、数匹見かけ、 クロッカスの中にも、はち達はつどい。すでに後ろの足には花粉の玉をつけています。 あ、バンブルビー(マルハナバチ)もやって来た。冬眠からさめた女王でしょうか。新しいシーズンにむけて、巣を作る前の、エネルギー補給?たくさん、飲んで行ってね。 春の予感に、てんとう虫も目を覚まし、葉の上を歩いていました! ヒマラヤユキノシタは沢山咲いているので、切花にしても、はち達の分はちゃんと残っているのでご心配なく。早く、庭のダファデルも開花して、昆虫達の食事どころも増えると良いですが。 鮮やかな色で、今も目を楽しませてくれて...

ラドヤード・キプリングのジャングル・ブック

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ジャングル・ブック・・・と言うと、どうしてもディズニーのアニメが真っ先に頭に浮かんでしまうのですが、原作である、ラドヤード・キプリング(Rudyard Kipling)著、1894年出版の「ジャングル・ブック」(The Jungle book)を子供時代に読んだという人はどれくらいいるのでしょうか。 私も、この原作を読んだのは、白状してしまうと、つい最近。この本が、狼に育てられた少年モーグリの話だけでなく、他に4編の動物達の物語が入った短編小説集だと、今更気づいた次第です。 モーグリの冒険を語った3つの短編の他、人間の訪れない平和な海岸を求める白アザラシの話、一緒に住む白人家族を守るため、コブラと戦う小さなマングースの話、そして象たちの真夜中のダンスを目撃する象飼いの少年の話、インドの軍隊の駐屯地で夜中会話をする人間に仕える動物達の話、が含まれています。白アザラシの話以外は、キプリングが、生まれて幼少時代を過ごし、大人になってからもしばらく生活したインドが舞台。エキゾチックな風景を想像しながら、お話としては、どれも楽しく読みました。 さて、原作のモーグリの話の内容をざっと書くと、 ジャングルの嫌われ者、虎のシア・カーンが人間の村を襲った際、村からよちよち逃げ出した人間の赤ん坊が、狼夫婦の住むほろ穴へ現れる。狼夫婦は、この子を「蛙のモーグリ」と名づけ、自分達の子供と共に育てる事に。 狼としてジャングルで生きるには、狼の群れに仲間として認められる事が必要。そこで夫婦は、モーグリを、長老狼アキーラが司る狼の会合へ連れて行く。何匹かの若者狼達が不服を唱える中、アキーラは、モーグリを群れの一員とするには、育ての親となる狼夫婦以外に2人(2匹)が、モーグリを支持する事が必要だと、支持者を促す。一匹目の支持者は、狼ではないものの、子狼達に「ジャングルの掟」を教える役を果たしているため、狼の会合に参加を許されている熊のバルー。2匹目は、これまた狼ではなく、幼い頃人間に育てられた黒豹のバギーラ。バギーラは、自分は狼で無いので、贈り物として、殺したての雄牛を一頭、群れに捧げる事で、モーグリが狼の群れに受け入れられる事を確保。以来、この2匹が、モーグリの大切なジャングルの師、そして友となるわけです。 なにせ、ヴィクトリア朝の人の書いたものですから、子供のしつけと規...

愛妃に捧げる記念碑、チャリング・クロス

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ロンドン、チャリング・クロス駅。駅の前に建つ、尖塔の上に十字架を掲げた記念碑は、しばらくの間お色直しのため、工事中の覆いがかかっていましたが、先日通りかかった時は、きれいに出来上がっていました。13世紀に、エドワード1世の愛妃、エレノーア(エリナー)が亡くなった後に作られた十字架の記念碑である、エレノーア・クロスを、19世紀に作り直したものです。 ロンドンは、現在のシティー(ロンドン東部)から徐々に広がっていった都市なので、かつては、この周辺は、チャリングと呼ばれた村。1290年、リンカン周辺に滞在中に亡くなったエレノーア妃の遺体は、12日間かけて、リンカンから、ロンドンのウェストミンスター・アベイへ埋葬されるべく、運ばれます。エドワード1世の命により、その遺体を運ぶ一行が泊まった12の場所に、1291年から1294年の間に、12の記念碑、エレノーア・クロスが建てられます。最終の停泊地、チャリングに建てられた十字架の記念碑が・・・チャリング・クロス。 参考までに、この全ての12地点は、出発地のLincolnから、Grantham、Stamford、Geddington、Hardingstone、Stony Stratford、Woburn、Dunstable、St Albans、Waltham、Westcheap、終点の Charing。 エレノーアは、スペインのカスティーリャ王国のお姫様で、イングランドのエドワード1世とは、カスティーリャ王国が、当時のイングランド領のガスコーニュ地方を侵略する恐れを無くすための、政略結婚。にもかかわらず、仲むつまじい夫婦だったようです。結婚した時、エドワードは15歳、エレノーアは9歳。36年間の結婚生活のうち、エレノーアは、エドワードの十字軍遠征などにも付いて行き、一緒に過ごす事も多かったようで、熱病で亡くなった時も、エドワードと共に、リンカンへ移動の道中。いつも、出来る限りそばにいてくれた奥さんに、いきなり死なれて、エドワード1世も、がっくりきたのでしょう。 オリジナルの、エレノーア・クロス(チャリングクロス)は、現在馬にまたがるチャールズ1世像が立つ場所(現トラファルガー広場の南、ホワイトホール北端)にあったのですが、イギリス内戦時代、1647年に、王制を嫌う議会の命により取り壊されます。絵は、このオリジナ...

チョコレートを溶かす水のように

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メキシコも含めたラテンアメリカの数カ国で飲むホットチョコレートは、水を沸騰させ、その中に、ミルクチョコレートのかたまりを落として溶かすのだそうです。 "como agua para chocolate"「チョコレートを溶かす水のように」という表現は、ここから来ていて、情熱や官能の高まった気分、また、胸の中でふつふつと燃え上がる怒りをを現すのだとか。ふーむ。色気より食い気派なので、こんな話を聞いても、「おいしそーね。」という気が先立ちますが。私は、時にミルクを沸かして、ダークチョコレートを落として飲んだりします。 さて、直訳では、「チョコレートを溶かす水のように」というタイトルのこの映画は、メキシコの女流作家ラウラ・エスキヴェル(監督の以前の奥さんだそうです)の同名の小説が原作です。南米独特のマジカル・リアリズムあふれる不思議な世界。私もそうですが、ガブリエル・ガルシア・マルケスの小説などが好きな人には楽しい映画だと思います。日本語のタイトルは、「赤い薔薇ソースの伝説」、英語タイトルは、もう少し原作に忠実な「Like Water for Chocolate」。 時代は20世紀初頭、メキシコ革命の頃。アメリカとの国境も程近いメキシコにて。主人公のティタは料理が好き。美青年ペドロと愛し合っているけれども、母が、末娘のティタは親の面倒を見るべきだ、と結婚を許さず、ペドロは、仕方なく、姉と結婚する事に。結婚後も、ティタをずっと思い続けるのですが。 家の事を支配する母親の下で、思うように行かぬ人生の中、ティタの胸に湧き上がる行き場の無い情熱と怒りと悲しみのはけ口は、料理。ティタの調理したものを食べた者達は、料理のときにティタが抱いていたのと同じ感情を経験します。数々の不思議な出来事も楽しく、美しいお料理は目の保養。 面白かったのですが、ただひとつ、個人的な文句は、ペドロ役の役者さんの顔が濃すぎて、好みでなかったために、ティタの彼への情熱が理解できなかった事。それに、お姉さんと結婚した後、ちゃんとやる事はやって、子供も作っちゃってる彼の信念の無さも、なんとなく魅力ないし。私だったら、やさしくしてくれたお医者様と結婚するな・・・と思いましたが。 それにしても、飲食物と愛の関係は深いのですねと再確認。「ママ・ミーアの作った美味しい料理を...

ロマネスコで無限を食べる

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この火星人が食べるような妙な形の野菜は、ロマネスコ・ブロッコリー(Romanesco broccoli)。あまり見かけないのですが、たまたま、マーケットの野菜の屋台で売られていたので買ってきました。 ブロッコリー、カリフラワーと同じくアブラナ属の植物。ロマネスコはビタミンC豊富だということで、調理法も、長時間煮たり焼いたりせず、ささっと手早く、が良いそうです。生でどんな味がするかと、そのまま少しもぎとって、かりっと食べてみると、キャベツ風味。キャベツも親戚ですから。ちなみに、ブロッコリーは、癌や白血病に良い食べ物だ、という噂を聞いて、だんなが白血病になって以来、よく買って、食べさせています。 ブロッコリー自体は、18世紀前半にイタリアからイギリスに導入された野菜。他のヨーロッパ諸国へも、同時期に、やはりイタリアから導入された模様です。イタリア語でブッロッコは、「小枝」の意味があるようですが、そこから来た名前なのか、ブロッコリーの小房は、小木か枝に見えなくも無い。このロマネスコも、房を縦にスライスすると、形の良い木のシルエットになります。 それにしても、この見事な幾何学形、自然の産物とは思えないのです。最近、日本の友人が、メールで、中世イタリアの数学者、フィボナッチ(Fibonacci)の螺旋の話を書いてきて、「耳、銀河の渦巻き、濡れた髪を振り上げたときの水滴の軌跡も、みな、フィボナッチの螺旋になるんだって」という下りを読み、頭に浮かんだのが、この野菜。これを見て、「まるで人工のようだ」などという感想を持ちながら、実際のところ、人工物の方が、自然の模倣でしょうか。 だんなに言わせると、「ロマネスコは、フラクタル(Fractal)の良い例でもあるんじゃないか。」だそうです。フラクタルは、去年亡くなったフランスの数学者、ブノワ・マンデルブロ(Benoit Mandelbrot)による概念。簡単に書くと、「図形、物の形の全体と部分は相似している。物の形の一部は、その全体の形を小規模に繰り返したもの。」 確かに、ロマネスコの一房一房を見ると、螺旋を描く全体の野菜を小型にしたもの。そして、フラクタルの概念によると、一房の中に、更に小さい螺旋形が隠されており、その中には更なる螺旋形があり・・・と目で見える範囲では限りあるものの、無限の螺旋形がこの野菜の中にあるという事になります。...

イギリスのポークパイ

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時々、近くの肉屋で作って売っているポークパイを買ってきて、軽食にします。 ポークパイは、中世の時代から驚くほど変わっていないとされる食べ物のひとつ。イギリスに来た当時は、「こんなもの食えん。」などと毛嫌いしていましたが、最近は、美味しいと思うようになりました。これも慣れというものでしょうか。その名の通り、パイの中身は、ほとんど豚肉。あとは塩、コショウ、ハーブ少々(特にセージ)。 ポークパイと言うと、レスタシャー州のメルトン・モウブレイ(Melton Mowbray)で作られるメルトン・モウブレイ・ポークパイが特に有名です。何でも、メルトン・モウブレイのものは、型にいれずに焼くので、パイのわきがぽっこりと膨れて、円錐形というより、まるぽっちゃな形になるのが特徴のようです。メルトン・マウブレイはスーパーでも購入できますが、私は、肉屋特製ポークパイに満足なので、あまりこれを買うことはないです。 写真でも見れるよう、パイの蓋になっている上皮の真ん中に、小さな穴が開いていますが、パイが焼きあがり、まだほくほくのうちに、この穴から、ストック(煮出し汁)を注ぎ込む事で、パイが冷めた後、ストックが、肉を覆うようにしてゼリー状に固まります。暖めず、そのまま食します。 料理をしたくない時の軽食にもってこいなので、私は特に自分でポークパイを作る野心はありませんが、参考まで、メルトン・モウブレイ風ポークパイのレシピは こちら (英語)まで。 ***** さて、ポークパイと言うと、英語では、「嘘」の意味で使われる事が往々にしてあります。東ロンドンっ子が使う俗語の、コックニー・ライムに由来する用法です。コックニー・ライムでは、ある言葉の代り(たとえば、嘘:Lies ライズ)に、それと同じ韻を踏む言葉(ここではライズと同じ韻のポークパイズ Pork Pies または、ポーキーパイズPorkie Pies)を用いる。さらにややこしい事には、今では、「嘘」というと、コックニー・ライムでは、ポーキーパイズの後ろのパイズを抜かして、ただ単にポーキーと呼ぶのが一般的な感じです。 He is always telling Porkies. (奴はいつも嘘ばかりついてる。) そのほか、アップルズ・アンド・ペアーズ Apples and Pears(リンゴと梨)がステアーズS...