ああ、白血病!
うちのだんなは酒もたばこもやりません。頑丈で食いしん坊なので、常時体重はやや平均をオーバー気味。それでも時折のフィッシュ・アンド・チップス以外、ジャンク・フードにはほとんど手を出さない食生活も良好な人。テニスとサイクリング大好き。若い頃こったスカッシュでひざが時々痛む以外は、10年以上も家庭医にも行かないような人でした。
8月に入ってから首のリンパが腫れて、元気が出ない、と言っており、医者に行ったらと促しても、「サイクリングに行けば治る」「2,3日様子みる」と、そうなんです、男性はなかなか医者に行かないのです。そのうち、庭や野原で、イギリスの貧弱な蚊に何箇所か腕や足を刺され、そのさされた部分が、数日後、紫色に変色してあざのようになっている・・・。これは、やっぱりどこかおかしいんじゃないか、とやっと病院で血液検査。翌朝早く、病院より電話で「血液に異常あります。すぐ来てください。」
病院へ着くと、血液課のコンサルタント(専門医)が出てきて、挨拶をされました。いきなり、最初からコンサルタントが登場した段階で、私は、「これは重病かもしれない」と思ったのです。「急性骨髄性白血病(Acute Myeloid Leukaemia、通称AML)です。明日、入院してください。今週中にはキモセラピー(Chemotherapy:化学療法)を始める必要があります。」アースナル・フットボール・クラブのマネージャーのアーソン・ヴェンガー氏にそっくりのこのコンサルタントの顔をぼうっとながめながら、私は頭は空っぽ、言葉も出ませんでした。後で、他の人たちにも言われました。「他の人ならわかるけど、あの人が?あんなに元気そうだったのに。」白血病とは、そういう病気なのかもしれません。老人に限らず、子供も若者も中年も壮年も、いきなり・・・かかるのです。
宝くじの1等賞は自分は、まず、当たることがないと思う。けれど、どこかで誰かが大金を当てているわけで。白血病にかかるのも、災害に巻き込まれるのも、自分には起きることはないと、思っていたのは昨日まで。だんなは、宝くじではなく、不運くじをひいてしまいました。
以前までは病気の話は苦手、病院へ出入りするのも嫌い、闘病記などは読むのも嫌で避けてしまっていた私です。こういう人はわりといると思います。健康体の人間の無意識の拒否反応で、ある意味では自然な反応と言えるかもしれません。
その日、だんなの服をスーツケースにパックしている際も、これは何かの冗談じゃないか、という気がして。当の本人は、私より、のんびりと、普段と変わらない面持ち。事の重大さをわかっちょるのか、この人は!夜も、私は目がぱっちりし、一睡も出来なかったのに、だんなは、いびきをかいて寝ていた・・・。
翌日も、病院へ出発前、鼻歌しながら庭の芝刈りと、雨どいのそうじ。彼曰く、「人間はいつか死ぬんだから、自分は死ぬのなんか怖くない。本当にこりゃだめだとわかったら、自分がいなくなっても困らないように、色々手配しておくから。」
病院はロンドンで、私達が其々働いていた場所の、テムズ川を挟んで向こう側(南岸)にあります。昔は、お昼休み、オフィスの近くの日本の弁当屋で弁当を買って、広場のベンチなどに座って一緒に食べたりしたこともありました。この日も、病院へ赴く前のお昼に、「もうしばらく食べられないから」と寿司弁当を買って、ベンチでぱくつき。そばに足の悪いびっこをひいたハトが飛んでくると、「あ、こいつ、足が悪い。かわいそうだ。」と米粒を手でほぐして投げてやっていました。図体の大きいお人よしです。そんな様子をながめていて、知り合った頃の事なども思い出して、柄にもなく、ホロリとしました。
指定された病棟の窓からは、ロンドン・アイやテレコム・タワーなどが望めました。「これがホテルなら、この景色で、高い金取られそうだね。」と話しながら、ベッド際の小さなロッカーに私物と洋服を詰め込みました。次から次へと、医者、看護師が現れ、血液検査、血圧、体温、云々を取っていきます。ロンドンを反映して、それが皆、違う国籍の人間。病院に働く人たちの国籍だけで、世界地図が塗りつぶせそうな感じです。
白血病・・・20年ほど前は、ほとんど死にいたる病の感がありました。日本にいた時の昔の知り合いの一人に、白血病にかかっている男性に惚れ、結婚、彼は瞬く間に亡くなる、というドラマのあった女性がいました。彼女、今は米の男性と再婚し、米のウェストコーストに住んでいます。私が最初にイギリスに来てステイしている間に起こった事で、帰国してすぐ、彼女からの電話で、事の顛末を聞かされ、びっくりしたのでした。「彼、死んじゃったのよ。He's goneよ。お互いすごく好きで、死ぬかもしれないとわかって結婚したから、それは、それでいいのよ。」からっとした彼女の元気な声は、いまだ記憶に強く、尊敬の念を抱いたのを覚えています。
先日、たまたま、テレビに出ていたオペラ歌手のホセ・カレラスも、40歳の時、白血病と診断され、助かる見込みは10のうち1つ・・・と言われたとか。「ラブ・ストーリー」も確か白血病の話だったでしょうか。見たことのない映画ですが、これを機会に見てみようか・・・。
コンサルタントに言われました。「白血病は重病です、でも、現在は、治ることが可能な(curable)病気です。」「He's goneよ。」と言うしかなかった彼女の頃に比べれば、現在、完治の可能性は、かなり大きくなったようです。
治療開始前に、コンサルタントと別の若手医師、白血病専門の看護婦さんと私達で面談し、だんなは、研究目的も兼ねて、場合によっては、新薬を使った治療のトライアルに参加することを承諾しサインしました。私は、完全に効くというお墨付きの無い新薬のトライアルにいささかの不安があり、実験ハムスターの様なものじゃないか・・・と不安もあったのですが、だんなは、「何らかの理由で、前のものより良いと考えて開発されているものだし、医学の進歩も必要だろうし。」と平気のへいざ。確かに、今と20年前の生存率の違いは、こういうトライアル無しでは、考えられなかったわけでしょう。それでも、自分の連れ合いの事となると「確実なものだけでお願いします。」と言いたくなるエゴが出てきてしまう私に、だんなは、「大丈夫、大丈夫。つまんない事で心配することないから。」と。
血液は、骨髄の内部で作られます。何かの要因で、骨髄内で、正常な白血球が作られなくなり、未成長の白血球(ルキミア、または、ブラスト・セルと呼ばれるもの)で骨髄がいっぱいになり、正常な血球の成長を妨げるようになります。そのうち、ブラスト・セルは、血管内に流れ出す。ブラスト・セルは、正常な血球が行う通常の役目を果たすことができず、よって、ちょっとした傷も治らない(ただの虫刺されが紫にはれる)、血が出ると固まりにくい、軽い打撲ですぐあざになる、貧血症状をおこす、息切れがする、という症状が出ます。
治療のキモセラピーの目的は、このブラスト・セルを皆殺しにすること。ただ、その過程、異常血球のみならず、正常なものも殺してしまうため、普通の人間なら、事も無い様な、外からのばい菌やバクテリヤに対し、体が無防備状態で、感染しやすく、集中治療室に運び込まれるケースなどもあります。以前、看護婦さんの一人が、あやまって、このキモセラピーの薬品を自分の手にかけてしまい、皮膚は瞬く間に焼け、骨まで出るような大変な事があったという話を聞きました。そこまで強烈な薬品を体内に注入するわけです。重病に対する、究極の治療というところでしょうか。治療がつらく、途中でまいる人もいるというのもわかります。キモセラピーの後は、骨髄内に残ったステム・セル(幹細胞)が、徐々に新しく正常な血球を作りはじめます。
急性骨髄性白血病の内の、更に、どのタイプかを調べるため、骨髄のサンプルもとりました。このサンプルを取る作業がまた、かなりまいるもののようです。足の付け根の後ろあたりに、太い注射器を挿入し骨に突き刺す。だんなに言わせると、「自分の骨に何かが入り込む、その圧迫感がものすごかった。」そして、その2,3日後も、しばらくは、「おしりを他人に思いっきりけられた感じ」だったと。
治療スケジュールは、はじめ、キモセラピーを10日間、その後、骨髄の血球が増えるまでの2、3週間ほど病院で養生(この間、最初のころ感染の危険あり)。そして、良好なら1週間から10日ほど家でのんびりすることが許され、これを1サイクルとして、悪い白血球が認められなくなるまで、同じ事を3,4回繰り返します。
看護婦さんの一人に聞かされた話では、以前、16歳の女の子が同じ病気で入院。おおみそかの夜には、彼女が、外が良く見えるよう、少し高くした椅子を窓際に用意して、テムズ沿いの花火を楽しんだとの事。彼女は無事、完全寛解(レミッション remission、悪い白血球が認められない状態)に辿り着き、約6ヶ月の闘病生活後、退院。1年以内で再発の可能性が高いといいますが、3年、何事もなく過ごせば、完治と思ってよいとか。16歳の女の子が我慢した治療、頑丈なおじさんもがんばって乗り切ってもらわないと。
不運くじあったってから約1ヶ月経とうとしています。私も、病院に足を入れるのに、すでに慣れてきました。そこで働く人、入院して、退院していく人たち、其々の人間模様や、彼らの人生も興味深く思えるようになり。
病室でも普段は、わいわい、ぎゃーぎゃーと、相変わらずのお喋りで、病人を相手にしている気になりません。医師には、病院から遠くまで行き過ぎない限り、外で歩くことも奨励されているので、天気の良い日は、テムズのほとりなどをそぞろ歩き。
現在は、正常白血球が0の状態。昨日は、何かのばい菌をもらってしまったのか、私が病室に入ると、顔は真っ白、それこそ木の葉のように、がちがちとつま先から頭まで震わせて「寒い。」と。熱は39度8分。看護婦さんは、大急ぎで、抗生物質を直接血管の中に注入。震えは瞬く間にとまり。昨夜の夕食は吐いてしまったそうですが、輸血、点滴をして、今は熱も下がり、元気も出てきた様子。だんなは、健康なときは、まめに献血をした人ですが、受け手になってみて、その有難さはひしひしです。とりあえず、集中治療室は避けられ、ほっと一息。さきほどは、何事もなかったように、携帯の向こうでしゃべりまくっていました。(病院で携帯が使えるのは、本当に助かります。顔を合わせていないときに、一番心配になるので。)
とりあえずは、正常白血球の数が早く増えてくれるのを待ち、一回目の休憩に家に一時帰って来れるのもそろそろかな・・・と。
昨夜は、気温が4度まで下がりました。空気は冷たいながら好天の今日の午後は、病院通いを休んで、しばらく野放しにしてあった花壇の一大整理をします。だんなが戻ってくるまで、ひまわりが、がんばって咲いてくれているでしょうか。
8月に入ってから首のリンパが腫れて、元気が出ない、と言っており、医者に行ったらと促しても、「サイクリングに行けば治る」「2,3日様子みる」と、そうなんです、男性はなかなか医者に行かないのです。そのうち、庭や野原で、イギリスの貧弱な蚊に何箇所か腕や足を刺され、そのさされた部分が、数日後、紫色に変色してあざのようになっている・・・。これは、やっぱりどこかおかしいんじゃないか、とやっと病院で血液検査。翌朝早く、病院より電話で「血液に異常あります。すぐ来てください。」
病院へ着くと、血液課のコンサルタント(専門医)が出てきて、挨拶をされました。いきなり、最初からコンサルタントが登場した段階で、私は、「これは重病かもしれない」と思ったのです。「急性骨髄性白血病(Acute Myeloid Leukaemia、通称AML)です。明日、入院してください。今週中にはキモセラピー(Chemotherapy:化学療法)を始める必要があります。」アースナル・フットボール・クラブのマネージャーのアーソン・ヴェンガー氏にそっくりのこのコンサルタントの顔をぼうっとながめながら、私は頭は空っぽ、言葉も出ませんでした。後で、他の人たちにも言われました。「他の人ならわかるけど、あの人が?あんなに元気そうだったのに。」白血病とは、そういう病気なのかもしれません。老人に限らず、子供も若者も中年も壮年も、いきなり・・・かかるのです。
宝くじの1等賞は自分は、まず、当たることがないと思う。けれど、どこかで誰かが大金を当てているわけで。白血病にかかるのも、災害に巻き込まれるのも、自分には起きることはないと、思っていたのは昨日まで。だんなは、宝くじではなく、不運くじをひいてしまいました。
以前までは病気の話は苦手、病院へ出入りするのも嫌い、闘病記などは読むのも嫌で避けてしまっていた私です。こういう人はわりといると思います。健康体の人間の無意識の拒否反応で、ある意味では自然な反応と言えるかもしれません。
その日、だんなの服をスーツケースにパックしている際も、これは何かの冗談じゃないか、という気がして。当の本人は、私より、のんびりと、普段と変わらない面持ち。事の重大さをわかっちょるのか、この人は!夜も、私は目がぱっちりし、一睡も出来なかったのに、だんなは、いびきをかいて寝ていた・・・。
翌日も、病院へ出発前、鼻歌しながら庭の芝刈りと、雨どいのそうじ。彼曰く、「人間はいつか死ぬんだから、自分は死ぬのなんか怖くない。本当にこりゃだめだとわかったら、自分がいなくなっても困らないように、色々手配しておくから。」
病院はロンドンで、私達が其々働いていた場所の、テムズ川を挟んで向こう側(南岸)にあります。昔は、お昼休み、オフィスの近くの日本の弁当屋で弁当を買って、広場のベンチなどに座って一緒に食べたりしたこともありました。この日も、病院へ赴く前のお昼に、「もうしばらく食べられないから」と寿司弁当を買って、ベンチでぱくつき。そばに足の悪いびっこをひいたハトが飛んでくると、「あ、こいつ、足が悪い。かわいそうだ。」と米粒を手でほぐして投げてやっていました。図体の大きいお人よしです。そんな様子をながめていて、知り合った頃の事なども思い出して、柄にもなく、ホロリとしました。
指定された病棟の窓からは、ロンドン・アイやテレコム・タワーなどが望めました。「これがホテルなら、この景色で、高い金取られそうだね。」と話しながら、ベッド際の小さなロッカーに私物と洋服を詰め込みました。次から次へと、医者、看護師が現れ、血液検査、血圧、体温、云々を取っていきます。ロンドンを反映して、それが皆、違う国籍の人間。病院に働く人たちの国籍だけで、世界地図が塗りつぶせそうな感じです。
白血病・・・20年ほど前は、ほとんど死にいたる病の感がありました。日本にいた時の昔の知り合いの一人に、白血病にかかっている男性に惚れ、結婚、彼は瞬く間に亡くなる、というドラマのあった女性がいました。彼女、今は米の男性と再婚し、米のウェストコーストに住んでいます。私が最初にイギリスに来てステイしている間に起こった事で、帰国してすぐ、彼女からの電話で、事の顛末を聞かされ、びっくりしたのでした。「彼、死んじゃったのよ。He's goneよ。お互いすごく好きで、死ぬかもしれないとわかって結婚したから、それは、それでいいのよ。」からっとした彼女の元気な声は、いまだ記憶に強く、尊敬の念を抱いたのを覚えています。
先日、たまたま、テレビに出ていたオペラ歌手のホセ・カレラスも、40歳の時、白血病と診断され、助かる見込みは10のうち1つ・・・と言われたとか。「ラブ・ストーリー」も確か白血病の話だったでしょうか。見たことのない映画ですが、これを機会に見てみようか・・・。
コンサルタントに言われました。「白血病は重病です、でも、現在は、治ることが可能な(curable)病気です。」「He's goneよ。」と言うしかなかった彼女の頃に比べれば、現在、完治の可能性は、かなり大きくなったようです。
治療開始前に、コンサルタントと別の若手医師、白血病専門の看護婦さんと私達で面談し、だんなは、研究目的も兼ねて、場合によっては、新薬を使った治療のトライアルに参加することを承諾しサインしました。私は、完全に効くというお墨付きの無い新薬のトライアルにいささかの不安があり、実験ハムスターの様なものじゃないか・・・と不安もあったのですが、だんなは、「何らかの理由で、前のものより良いと考えて開発されているものだし、医学の進歩も必要だろうし。」と平気のへいざ。確かに、今と20年前の生存率の違いは、こういうトライアル無しでは、考えられなかったわけでしょう。それでも、自分の連れ合いの事となると「確実なものだけでお願いします。」と言いたくなるエゴが出てきてしまう私に、だんなは、「大丈夫、大丈夫。つまんない事で心配することないから。」と。
血液は、骨髄の内部で作られます。何かの要因で、骨髄内で、正常な白血球が作られなくなり、未成長の白血球(ルキミア、または、ブラスト・セルと呼ばれるもの)で骨髄がいっぱいになり、正常な血球の成長を妨げるようになります。そのうち、ブラスト・セルは、血管内に流れ出す。ブラスト・セルは、正常な血球が行う通常の役目を果たすことができず、よって、ちょっとした傷も治らない(ただの虫刺されが紫にはれる)、血が出ると固まりにくい、軽い打撲ですぐあざになる、貧血症状をおこす、息切れがする、という症状が出ます。
治療のキモセラピーの目的は、このブラスト・セルを皆殺しにすること。ただ、その過程、異常血球のみならず、正常なものも殺してしまうため、普通の人間なら、事も無い様な、外からのばい菌やバクテリヤに対し、体が無防備状態で、感染しやすく、集中治療室に運び込まれるケースなどもあります。以前、看護婦さんの一人が、あやまって、このキモセラピーの薬品を自分の手にかけてしまい、皮膚は瞬く間に焼け、骨まで出るような大変な事があったという話を聞きました。そこまで強烈な薬品を体内に注入するわけです。重病に対する、究極の治療というところでしょうか。治療がつらく、途中でまいる人もいるというのもわかります。キモセラピーの後は、骨髄内に残ったステム・セル(幹細胞)が、徐々に新しく正常な血球を作りはじめます。
急性骨髄性白血病の内の、更に、どのタイプかを調べるため、骨髄のサンプルもとりました。このサンプルを取る作業がまた、かなりまいるもののようです。足の付け根の後ろあたりに、太い注射器を挿入し骨に突き刺す。だんなに言わせると、「自分の骨に何かが入り込む、その圧迫感がものすごかった。」そして、その2,3日後も、しばらくは、「おしりを他人に思いっきりけられた感じ」だったと。
治療スケジュールは、はじめ、キモセラピーを10日間、その後、骨髄の血球が増えるまでの2、3週間ほど病院で養生(この間、最初のころ感染の危険あり)。そして、良好なら1週間から10日ほど家でのんびりすることが許され、これを1サイクルとして、悪い白血球が認められなくなるまで、同じ事を3,4回繰り返します。
看護婦さんの一人に聞かされた話では、以前、16歳の女の子が同じ病気で入院。おおみそかの夜には、彼女が、外が良く見えるよう、少し高くした椅子を窓際に用意して、テムズ沿いの花火を楽しんだとの事。彼女は無事、完全寛解(レミッション remission、悪い白血球が認められない状態)に辿り着き、約6ヶ月の闘病生活後、退院。1年以内で再発の可能性が高いといいますが、3年、何事もなく過ごせば、完治と思ってよいとか。16歳の女の子が我慢した治療、頑丈なおじさんもがんばって乗り切ってもらわないと。
不運くじあったってから約1ヶ月経とうとしています。私も、病院に足を入れるのに、すでに慣れてきました。そこで働く人、入院して、退院していく人たち、其々の人間模様や、彼らの人生も興味深く思えるようになり。
病室でも普段は、わいわい、ぎゃーぎゃーと、相変わらずのお喋りで、病人を相手にしている気になりません。医師には、病院から遠くまで行き過ぎない限り、外で歩くことも奨励されているので、天気の良い日は、テムズのほとりなどをそぞろ歩き。
現在は、正常白血球が0の状態。昨日は、何かのばい菌をもらってしまったのか、私が病室に入ると、顔は真っ白、それこそ木の葉のように、がちがちとつま先から頭まで震わせて「寒い。」と。熱は39度8分。看護婦さんは、大急ぎで、抗生物質を直接血管の中に注入。震えは瞬く間にとまり。昨夜の夕食は吐いてしまったそうですが、輸血、点滴をして、今は熱も下がり、元気も出てきた様子。だんなは、健康なときは、まめに献血をした人ですが、受け手になってみて、その有難さはひしひしです。とりあえず、集中治療室は避けられ、ほっと一息。さきほどは、何事もなかったように、携帯の向こうでしゃべりまくっていました。(病院で携帯が使えるのは、本当に助かります。顔を合わせていないときに、一番心配になるので。)
とりあえずは、正常白血球の数が早く増えてくれるのを待ち、一回目の休憩に家に一時帰って来れるのもそろそろかな・・・と。
昨夜は、気温が4度まで下がりました。空気は冷たいながら好天の今日の午後は、病院通いを休んで、しばらく野放しにしてあった花壇の一大整理をします。だんなが戻ってくるまで、ひまわりが、がんばって咲いてくれているでしょうか。
ご主人の大物ぶり、尊敬します。太陽にむかって咲くひまわりのように、Miniさんの支えがあってこそでしょう。宝くじは買わなきゃ当たらないのに、病気は、いつ誰のもとにやってくるか分かりませんものね。北海道、秋らしい気温になって朝夕は肌寒く感じるほどです。そちらの気候に追いついてきました。
返信削除こんにちは
返信削除ご主人の様子をお知らせ下さって、少し安心しました。ミニさんも冷静で、すごなと思います。もし、私にくじが当たったら、パニックだと思います。日本でも歌舞伎役者の市川団十郎が白血病を克服して、活躍しています。ご主人も団十朗のような豪快で男気のある方と推察いたします。一日も早いご回復を祈っています。
医学の進歩が進み、以前は不治の病もそうではなくなってきましたが、やはり治療は大変なもののようですね。白血球数がゼロなのに無菌ルームにいなくていいのですか?ロンドンの病院のスタッフは国籍が多種とのこと。日本でも慢性のスタッフ不足なのですから見習うべきですよ。今の日本では看護師さんだけ、形式的に少数の外国籍の人を受け入れていますが、とても本気で受け入れようとしているとは思えない現状ですから。
返信削除Miniさんのご主人のように冷静に病気に向き合う方は、きっと治療成績も良いと思います。一日も早く安心できる状態になれますように。
アネモネさん、
返信削除がちがち震えているのを見たときは、さすがにびっくりしましたが、夕飯をもどしてしまった後、やはり夜中におなかがすいたと、翌日嘆いていました・・・あーあ。
ひまわりは、1本の幹に、5つも6つもつぼみをつけたものが何本か残っており、霜さえ降りなければ咲き続ける気配です。
宝くじ、当たらぬものと買っていませんが、買えばあたる!?
せつこさん、
返信削除完治の人増えていますね。こちらでも、先日のラジオで、米人でこちらに住んでいる旅行ライターのビル・ブライソンという人が、息子(確か息子と言ったと思うのですが、違うかも。いずれにしても親戚です。)が、不運にも、2人とも白血病にかかってしまい、2人ともremissionを達成でき、たという話をしていました。
この人の神経が太いのは、本当に、不幸中の幸いです。
恋さん、
返信削除医者によると、自分の体にあるばい菌で、自分自身を感染させるケースが大方なのだそうです。なので、訪問者を禁止する事もなく(風邪等を持っている人は当然バツですが)、無菌室もなし。屋内より屋外がばい菌が少ないからと、外を歩く事もOK。「手を清潔に」が一番の様で、患者、訪問者とも、手を良く洗い、病室に取り付けてあるハンドジェルを使う事をしつこく言われます。後、この間、食べ物が非常に限られています。ただ、小さな子供は、訪問は控えてくれ、との事。彼らはばい菌の宝庫だそうです。
看護師さん達、どの国籍でも良い人が多いです。注射の針を入れる手際の良さなどは、個人差ありますが、これも国籍とはあまり関係ないようです。言語が英語だと、日本語より、リクルートがしやすいのはあるかもしれません。
おひさしぶりです。パソコンが壊れていて、久しぶりに訪問して驚いています。気丈なご主人ですね。一般的に男性の方が弱いみたいなのに、こてなら病気の方から逃げ出してしまうでしょう。ちょっと安心しました。実は、10月12日から10日間ほど、アールスコートの駅の近くにアパートを借りて、アンティークの仕入れに行く予定です。
返信削除昨年教えていただいたbattlesbrideのアンティークセンターにも行ってみたいと思っています。
ご主人が一時帰宅が許されるといいですね。やはり家が一番落ち着きますもの。
らぶさん、お久しぶりです。
返信削除来週辺り、一時帰宅できそうな見通しです。今のところ、ばい菌の関係で、好きなものが食べられないのが不服のようで、毎日、美味しいものの夢を見ているようです。
10月12日、もうすぐですね。アールスコートは、私は、今ひとつ、土地勘の無い場所ですが、ヒースローからの便はいいですね。バトルズブリッジも是非行かれて下さい。電車でオリンピック・サイトのストラトフォードを通過するはずなので、オリンピック・スタジアムが見れると思います。