放課後の校庭を走る君がいた

「夕映えはあんづ色」昔遊んだ公園
今回の日本滞在中に、母親が、昔ヒットした曲を流す歌謡番組を見ており、一緒に見ていました。亡くなってしまった西城秀樹などが登場し、「この人、死んでしまったのか。」と思うと、子供時代の一部が、手の届かない遠くへ行った喪失感がありました。大ファンでもなかったのですが。母が、「最近、歌番組が少なくてつまらない。それに、新しい人の歌は、聞いてもなんだか、よくわからない。」とぐちっていました。そういえば、母親は、いつだか、一緒に趣味のサークル活動をしている、周辺の自分の友人たちのおばあちゃん一団を指して、「みんな、体のどこかしらが、痛いとか言ってるから、私たちは、傷だらけのローラならぬ、傷だらけの老婆!」だなんて言ってましたっけ。こんなジョークが通じるのも、みんなが、同じ歌を聞いて、良く知っていたから。

70年代80年代の日本。お茶の間でテレビが家庭だんらんの中心だった時代には、いつも歌謡番組が中心にあった。この曲が流行っていた時は、あれをしていた、これをしていた、と歌謡曲、特に子供にとってはアイドルの歌謡曲がいつも、生活のBGMとして、記憶とからまりあって心に残っているのです。そして、当時の歌謡曲は、うちの母が、よくわかないという類の歌ではなく、曲は覚えやすく、詩も頭に入りやすいものが多かった気がします。振付なんかも覚えましたし。たかが歌謡曲、されど歌謡曲。それぞれ、同時代を過ごした人たちには、何とも言えない思い入れがあるのです。

さて、この歌番組の中で、村下孝蔵氏の「初恋」という曲も流れました。この人も、若くして亡くなってしまったんですよね。

好きだよと言えずに 初恋は
ふりこ細工のこころ
放課後の校庭を走る君がいた
遠くで僕はいつでも君を探してた
浅い夢だから 胸を離れない

というヤマの部分の歌詞の、特に「放課後の校庭を走る君がいた」というくだりには、本当に、日本の中学、高校時代の夕方の校庭が思い出され、久しぶりに聞いて、いや、懐かしかったのです。甘く、せつない初恋、というテーマは、さておいても。実際、私は、この曲が流行ったころは、大学だったと思うのですが。それは、10代の、中学時代なんて、悩みもあるし、落ち込んだり、傷ついたりもあり、楽しいことばかりではなかったけれど、自己形成期に毎日長い時間を過ごした思い出の場所。それを、この曲の、この一文が、とても良く表している気がするのです。

帰国して、初めての金曜日に、幼馴染が、うちに遊びに来ました。結婚してから東京へ引っ越した彼女も、私が日本へ帰国しない限り、いまは訪れることもない、久しぶりの故郷で、二人懐かしく、今はもう、壊される予定の昔の小学校、おんぼろながらも、まだ続いている中学校の校舎を覗きに行きました。それこそ、放課後の時間の中学校。体育館では剣道部が練習をしており、校庭では、テニス部、野球部が練習。当時、私は演劇部、彼女は美術部であったのですが、私たちの部活をしていた教室があった別館に、こっそり忍び込むと、ブラスバンド部が練習をしており、「水戸黄門」のテーマ曲などが吹奏されるにいたって、二人で顔を見合わせ笑ってしまいました。今も、部活というのは、日本では盛んなようですが、この「放課後の校庭を走る君」が見られるのも、日本の学校ならでは。

イギリスでも、良い学校や、授業料の高い私立の学校では、部活的な事は行われているのでしょうが、ごく普通の公立学校では、授業が終わるや否や、生徒は校門から追い出されるのがほとんどです。うちの近くのさほどレベルの高くない公立学校でも、生徒は、なんと3時半ころには、ぞろぞろと帰途に着いている。この子達、こんな早く家に帰って何してるんだろう、と思わずにはいられないほど、早い。趣味は無いのか?スポーツはしないのか?大体、勉強してんのかね?と。大半が、帰宅後、部屋でスマホみたり、タブレットでドラマ見たりしてるんでしょうか。熱心な親は、学校外で、サッカーや他のスポーツをやらせるために、車でそうしたサークルのある場所に連れて行ったり、楽器などのお稽古ごとにやはり車で連れて行ったりしているようではありますが。

イギリスの公立学校側としては、必要以上に長い間、生徒を学校管轄内に置いておいて、ケガでもされて、親から訴えられると嫌だ、という頭がある気がします。状況分析を客観的にせず、何かにつけて、すぐに他人を訴える、という風潮が強い国は、こうなってしまうんです。雪の日などに、学校側がすぐ学校を閉鎖するのも、校内で、生徒に、滑って転んでのけがをされては困るからというのが、かなり大きいと思います。遠足や外出に付き添う事を嫌う学校の先生なども増えているようで、これも同じく、先生が、万が一、子供に何かあったら、自分に落ち度がなくとも、訴えられる可能性があるのを恐れているからのようです。

それは、もちろん、あまりにもいい加減行為、必要以上の体罰などをして責任を問われるのはわかります。私の幼馴染は、中学時代、始業の鐘が鳴っても廊下でおしゃべりしていたという理由だけで、おっかない国語のおばちゃん先生に、頬を殴られ、耳の鼓膜を破ったという経験の持ち主。しかも、遅れたのは、ほんの1、2分。こんなのは、今から思うと、あの先生、何らかの処置を受けるべきだったのでしょうが、「それは、どう考えたって、先生のせいじゃないでしょ。」と思うような事でも、親に訴訟に持ち込まれたら、かなわないでしょう。教育現場だけにかかわらず、そんなこんなで、訴訟を恐れ、多少の社会的責任を負わされる可能性のある職業というのは、イギリスでは不人気になっているようです。「何かあったら、すぐ他人のせい」ではなく、個々人が、常識とバランスをもって行動するというのは、正常な社会機能が続くためには、必要です。

土曜日の夜に、遊びに来た甥っ子も姪っ子も、部活の後、その足で来たので、学校のスポーツユニフォームを着ていましたが、その姿が、私には、とても新鮮に見えました。部活は、時に時間がかかりすぎ、先生にも生徒にも大変などと言いますが、それでも、「放課後の校庭を走る君」の姿が、全く消えてしまう社会の方が、病んだ社会と感じます。「初恋」が、後の世代で歌われたときも、社会を反映した、その様子が目に浮かぶ曲であってくれればいいなと思う次第です。

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