タワーブリッジが開く時

タワーブリッジの下を通過するテムズ・バージのハイドロジェン
6月3日の土曜日に夜に、ロンドン橋と、橋の南部に位置するバラ・マーケットであったテロ。翌日4日の日曜日には、私は、約1か月くらい前から、テムズ・バージに乗り込んでのテムズ川クルーズを予約していたので、クルーズの出発するロンドン塔わきのタワー・ピアまで出かける事となりました。

テロのおかげで、周辺の警備が厳重になっている可能性があるので、実際にクルーズが予定通り出発するのかどうか、気にはなったのですが、主催会社からは何の連絡もないので、家を出て、静かな週末のシティーを横切ってタワー・ピアへ向かいました。がらんとしたシティー内部の様子とは打って変わり、さすがにロンドン塔のまわりは、外国人の観光客で、何事もなかったようににぎわっていました。せっかく観光にロンドンへ来ていたら、怖がってホテルにこもっていてもしかたないでしょうしね。私のクルーズも予定通りに出発。

テムズ・バージ(Thames Barge)というのは、かつて、テムズ川および、イギリスの海岸線を行ったり来たりして貨物を運んだ小型帆船の総称で、海岸沿いの浅瀬や川を運航できるよう、底が平らなのが特徴です。2,3人の少人数の人員での運行が可能で、19世紀後半から盛んに、田舎から、干し草や農作物をロンドンへ運び、帰りにロンドンからロンドン・ミクスチャーと称された馬糞を肥料として持って帰ったりしていた事で知られていますが、そのほかにも、石炭、レンガ、砂、木材など積み荷の種類は多々。高速道路もトラックもない時代ですから重宝されたのでしょう。テムズ・バージは、19世紀後半から20世紀初頭に大活躍し、当時のテムズ川を描いた絵画などには、よくテムズ・バージが碇泊している様子が描かれています。今回のクルーズで乗ったのは、ハイドロジャン(Hydrogen、水素)と称されるテムズ・バージ。普段は、塩とオイスターで有名なエセックス州、マルドンのブラックウォーター河口に碇泊している船です。

ロンドン・ブリッジの前で方向を変え、タワー・ピアへ近づくハイドロジェン
ハイドロジェンは、ロンドン、テムズ川沿いのシルバータウンにあった化学工業会社の注文により、ケント州のロチェスターにて1906年に製造され、ロンドンから石油、タールなどをスコットランドへ運ぶ仕事を開始。この化学工業会社は、ハイドロジェンの他にも、カーボン(炭素)、オキシジェン(酸素)と、化学要素の名を持つバージを所有していたそうです。ハイドロジェンは現存する木造テムズ・バージで一番大きなもの。戦時中は、政府により、スコットランド南西部のクライド川で、川岸に碇泊できない大型船の貨物の積み下ろし作業に使用され。戦後は、一時、ベルズ・ウィスキー会社の所有となり、内部はヴィクトリア朝時代のバー風に改造され、ウィスキーのプロモーションのため、イギリス内のあちこちの港を回ったという事。現在は、上記の通り普段は、マルドンに碇泊、マルドン周辺や、時に、こうしたテムズ川のクルーズ、その他イベントなどに貸しだされ、使用されています。内部には、小さなキッチンと、バー、男性、女性のおトイレもちゃんとあります。今回のクルーズも、お昼ご飯と、午後のコーヒーとお菓子付き。帆船とは言っても、現在は、エンジンがついているので、風には頼らず、エンジンでの運行。途中、一度マストを広げていましたが、到着時はマストはたたんだまま。

さて、タワー・ピアから乗り込み、テムズ川河口へと向かうには、まず、タワーブリッジをくぐり抜ける必要がありますが、マストが9メートル以上の船は、タワーブリッジが橋げたを上げてくれます。まず、ハイドロジェンが、タワー・ピアに入ってくるために1回、私たち乗客を乗せてクルーズの初めに河口へ向かうのに1回、帰り、再びタワーピアにもどるために1回と、この日は、計3回、ハイドロジェンのため、タワーブリッジが橋げたを上げるのを目撃。クルーズの後は、ハイドロジェンは、住処のマルドンに戻りますから、私たちが降りた後にも、また帰途に就くためにもう1回橋げたを上げる必要があり、最終的には4回のひらけーごま。橋げたを上げるためには、当然、タワーブリッジに、前もっての連絡と予約は必須のようです。

橋げたを上げる直前に、ビービーと警報が鳴り、橋を歩いている人たちも、車も、大急ぎで橋のたもとへ移動。ひとりだけ取り残された人が、橋の上を猛スピードで走っているのを見かけました。落ちたくないですからね。バージがゆっくりと橋の下を通過すると、橋のたもとでは、多くの人が手を振っていました。

以前、何度かミレニアム・ドーム(O2)から、国会議事堂向かいのウェストミンスター・ピアまでのクルーズは、やったことがあり、

グリニッジのカティーサーク号
途中のグリニッジなどの景色も見慣れたものではありますが、今回は、そこからさらに先へ進み、テムズ・バリアを超えて行きます。また、100年以上の歴史あり、何度もテムズを行ったり来たりしたベテランの船に乗る、というロマンもあり。ガイドさんが、沿岸で見る建物や風景を、事細かく説明してくれました。

O2の丸屋根にポッコリ穴が
ミレニアム・ドームの屋根に、丸いぽっかり穴が開いているのが、今回のクルーズで良く見えたのですが、ガイドさんによると、これはなんでも、この下を通る車用トンネルの通気口なのだそうです。保険のロイズ・ビルディングで知られる、設計者のリチャード・ロジャースは、トンネル通気口を他へ移動させる代わりに、建物の一環に取り込むということで解決。グリニッジを含むこの周辺、結構空気が悪いなどと言われていますが、ここから出てくる目に見えない排ガスもその一因か?

ミレニアム・ドームを越した後のテムズ河畔の風景は、少々殺伐とした工業地的になり、美しいとは言い難いけれども、観光地とは違った、現代生活の裏舞台風景で、それなりに面白いものがあります。工場が多かったこの周辺、大戦中は、ドイツ空軍により、かなり爆撃の被害を受けたことでしょう。

洪水からロンドンを守るために設置されているテムズ・バリアを抜け。

テート砂糖精製工場を通過。最近のイギリスの砂糖は、シュガーピート(テンサイ)から取ることがもっぱらですが、テートでは、いまも、サトウキビから製造。ちなみに、テート・ギャラリーは、この会社を設立したヘンリー・テートが、19世紀後半、所有していた、ラファエル前派を含む、同時代のイギリス絵画のコレクションをナショナル・ギャラリーに寄贈したことから始まった美術館です。

タワーブリッジがテムズ川が海へそそぐ前の最後の橋なので、この辺りは橋は一切ありません。よってウリッチには、無料で車や人を対岸へ運ぶフェリーが運航しています。

リサイクリング処理所もいくつか見ました。

オイルタンクなどが並ぶこの辺りで、バージは、折り返し、再びタワーブリッジ方向へ向かいます。

船長がしっかり舵取ってUターン。ここまで着くのに3時間、帰りも3時間と、全約6時間の、のんびりクルーズ。途中、ランチや、コーヒーもデッキに持って上がって、飲食ができ、飽きることなく、ずっとゆっくりと変わる風景を楽しみました。行きは、暑いくらいだったのが、帰りは雲も増え、少々風も冷たく感じ。やはり川の上は、ちょっと気温落ちます。私は、念のため、3枚ほど上に着るものを用意していたので、重ね着で乗り切りましたが、真夏のような恰好をしていた幾人かは、毛布を借りてくるまっていました。

再び、タワーブリッジの橋げたを上がるのを見。タワー・ピアに碇泊できる空きができるのを待つ間は、ロンドン塔を眺め。

昔は、王様女王様を怒らすとロンドン塔に投獄でしたが、罪人たちは船でこの「Traitors Gate」から中へ連れていかれ。再び外に出れずに処刑・・・なんて人も何人もいたわけです。

ロンドン塔へ投獄される心配もなく、無事、ピアに到着。お疲れさま、ハイドロジェン。楽しかった。

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