ボビー

ジャクリーン・ケネディーを描いた映画「ジャッキー」を見に行った後、JFKの弟でやはり暗殺されてしまったロバート(愛称ボビー)・ケネディーに興味が出、2006年に、エミリオ・エステべスが脚本を書き、更に監督している「Bobby ボビー」という映画を見つけ、鑑賞しました。

俳優マーティン・シーンの息子、エミリオ・エステべスは、ボビー・ケネディー暗殺があった時は6歳だったそうで、その1年前には、ボビーと会って握手をしたのだそうです。子供心に、死亡のニュースが流れた朝の記憶も強く、長らく、この映画を作る事を胸に抱いていたという話。親子ともども、民主党支持で、ロバート・ケネディーには思い入れが強い様子。あまり知名度も高くない映画なので、さほど期待もせずに見たのですが、予想より、ずっと良く、またアメリカの現状との比較も興味深い内容でした。

時は1968年6月4日、大統領選にむけてのカリフォルニア予備選挙の日。大統領選に立候補することを決めたボビー・ケネディーは、このカリフォルニアの予備選挙で、同日遅く勝利を収め、真夜中を回った6月5日、ロサンジェルス、アンバサダーホテル内のホールにて勝利のスピーチを行う。その後、大歓声を受けながら、群衆で混みあったホールを去るため、ホテルの厨房を通過した際に、パレスチニア出身の若者、サーハン・べシャラ・サーハンによって撃たれる。病院に担ぎ込まれ、翌朝、奥さんにみとられ、死亡。この際、厨房にも、ボビーを一目見ようと、77人の人間がひしめいていたという事ですが、そのうち、5人も、流れ弾にあたって負傷しています。が、ボビー以外は、皆、命はとりとめています。

映画は、暗殺で終わるこの選挙の日、アンバサダーホテル内での人間模様を、幾人かの人物の生活を追い、その会話から、当時の社会状況を見せる、という面白いアングルを取っています。

長年アンバサダーホテルで働いてきて引退した老人二人が、ロビーでチェスをし語らう姿。ホテルの従業員には一応は平等な権利を与えたいと、午後は、選挙に投票に出かける時間を与えようとするホテル支配人。そんな支配人の態度に懐疑的な厨房マネージャー。厨房でこきつかわれ、ぶつぶつ文句を言いながらも、仕事があるだけいいと、必死で働くメキシコ人と黒人たち。良く知らない青年が、ベトナム戦争へ行かずに済むように、ホテル内で、偽の結婚式を挙げる若い女性。女優を夢見るレストランカウンターで働く女性。支配人夫人でありながら、ホテル内のビューティーサロンを切り盛りする女性。ビューティーサロンにやってきて、女性としての盛りが過ぎてしまったと嘆く歌手。ケネディーのキャンペーンを助けるボランティアとして登録しながら、麻薬を体験し、ハイになってしまう2人の学生。同年にあったマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの暗殺と、黒人市民権がまだまだ守られていないことに憤りを感じる、ケネディーのキャンペーン活動をする黒人青年。社会的に成功しながらうつ病に悩む中年男性とその奥さんの2度目のハネムーン的旅行。ホテル支配人と浮気をする電話交換手の女性。ボビーと何とかインタヴューを獲得しようとがんばるチェコスロバキアの若い女性記者。などなど、それぞれの小さな物語が、最後のケネディーの勝利のスピーチと暗殺で集結するというもの。

アンソニー・ホプキンス、ハリー・べラフォンテ、デミ・ムーア、シャロン・ストーン、マーチン・シーンとエミリオ・エステべスとなかなかの豪華キャスト。強力な眼力の、「ロード・オブ・ザ・リング」でフロドをやったイライジャ・ウッドも出てました。

ボビー自身は、実写を使用して、本物のボビー・ケネディーの演説やインタヴューを映すのみで、最後の暗殺のシーンも、背後から取ったり、顔をぼやかして取ったりしており、特定の役者を使っていません。実話として、キッチンで撃たれた後、撃たれる直前に、ボビーと握手をしたばかりの厨房で働くメキシコ系移民の皿洗いの青年に、救急車が来るまで、頭を抱えられ、この間、この青年はボビーの手に自分の持っていたロザリオを握らせたそうですが、これも映画で再現されています。この青年、後にどんな人生を辿ったのかな、ちょっと知りたい気もします。

アンバサダーホテルは、映画撮影の終了と共に取り壊されたという事です。

最後の暗殺シーンとその後の混沌のシーンの間、ボビーが、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが暗殺された翌日、各地で起こり始めた暴動を鎮めるために行ったスピーチ、「無意味なる暴力の脅威について」(On the Mindless Menace of Violence)の一部が流れます。同国人同士が、憎みあい、血を流しあうのを、何とか止める術はないのか・・・と。ロバート・ケネディーがこのスピーチを行ったのは、自分自身が暴力に倒れる2か月前の4月5日ですから、なんともかとも。ここで、このスピーチの一部を、ところどころを訳して載せてみると、

・・・人に、同市民を、憎み、恐れよ、と教える時、人に、肌の色が異なるから、信じるものが異なるから、求める方策が異なるからと、同市民を自分より劣るものと教える時、人に、自分と異なる人間は、自分の自由、仕事、家庭、家族を脅かすものであると教える時、人は、他人を、同胞としてではなく、敵として対峙することを学ぶ。協力する相手ではなく、押さえつける必要のある相手であると。従属させ、思い通りにさせる必要のある相手であると。そして、同市民を、町を共有しながら、コミュニティーは共有せず、同じ場所にいながら、同じ目的を有さない異邦人と見なすようになる。共有するのは、お互いに対する恐れ、お互いから隔離したいという要望、意見の違いを暴力によって解決しようという衝動のみ。
・・・地上における我々の生命は非常に短く、わが国でこのような状況を解決するために、行う事は沢山ある。

(英語スピーチの全文は、ウィキソースにて読めます。こちら。)

50年近く経っていながら、現状を彷彿とさせる内容で、うーんと唸ってしまいます。今回、大幅にドナルド・トランプに投票した、かつての炭鉱や鉄鋼業などの、仕事がなくなってしまったいわゆるラスト・ベルト(錆び地帯)の貧しい住民を、ボビーがキャンペーンで訪れている姿も映っていましたが、当時は、この人たちは、民主党支持だったんですよね。厨房で働くメキシコ出身者や黒人たちと一緒に、ボビーが何とかしてくれると期待をかけていた。

いずれにせよ、暗殺者は、ロバート・ケネディーのイスラエルとパレスチナ問題に対する態度に怒りを感じ、暗殺を企てたと言われており、内政とは無関係。政治というものの複雑さを実感せずにはいられません。

多くの異なった人種、宗教、習慣を抱える合衆国の事、ある程度の妥協なしで、すべての人間を満足させるのは不可能です。いつも、どこかで、誰かが、爆発しかねない不満と不服を抱えている。同じ人種でも、お隣さんのやる事が気に食わない、なんて近所げんかも良くある話だというのに、理解がしっかりとれていない異文化間では、更に問題は大きくなるのです。また、合衆国でいつも熱を帯びた激論の対象になる、銃を持つ自由、堕胎を許可するかどうか、などは、妥協というのが非常に難しい問題でもあります。更に、信仰の自由を唄う移民の国でありながら、テロに対する恐れのために、すでにアメリカ国民として国内にいるイスラム教信者を皆ひとくくりに扱い、潜在的テロリストとして、差別をしてもいいものなのか。国防をしながらも、全市民に、ここはあなたの国である、あなたは他の誰とも同様に、ここにいて、己の能力を最大に生かし、アメリカンドリームを追う権利がある、と村八分にせず、安心させるにはどうしたらいいのか。内政のみでなく、外交でも、最初から、「俺たちさえ良ければ、お前なんかどうなってもいい」的態度は事を悪化させるだけでしょうが。協力より、叫びながら、相手を踏みつけようとする政策は、確かに解決には繋がらず、相手の態度も硬化させるだけ。

ボビーのスピーチも、どうしたら、国民同士がお互いに暴力をふるう事を止めることができるのかの方法は、わからない、ただ、お互いを敵と見ずに、幸せになりたいという夢を追う同胞と見て歩み寄ることはできないものか、という希望のみを述べて終わっています。ボブ・ディランではないですが、

The answer, my friend, is blowin' in the wind
The answer is blowin' in the wind
友よ、答えは、風の中
答えは吹く風の中にある

ボビーが恐れていた憎しみと偏見が倍増する中、強風に煽られた散り散りの答えを求め、4年後、合衆国は、また世界は、一体どうなっているのでしょうか。

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