イングリッシュ・ロングボウ

ロングボウとは、長弓の事です。もともとは、狩猟用の弓であったものが、まずウェールズで、戦いの武器として使用され始めます。12世紀に、ウェールズでの戦で、厚い教会のドアも貫く長弓の威力に、イングランド軍は感銘を受け、イングランド内でも、戦に導入されていきます。そして、イングリッシュ・ロングボウは、その後、中世イングランドの戦略を画期的に変える事となるのです。

ただし、上手く使えるようになるためには、かなりの訓練を要する武器であるため、エドワード1世の時代から、毎日曜日に、イングランド各地の村人達は、的をめがけて、長弓の練習せねばならん、という法が敷かれます。「いざ、戦!」となった際に、役に立つ弓兵が沢山いるように。

ロングボウは、主にイチイの木(yew tree、ユートリー)で作られました。イチイは、常緑樹で比較的長寿であるため、永久の命のシンボルとして、教会の敷地に良く見られる木です。また、どっしりとした深い緑は、風雨から教会の建物を守るのにも役立ったようです。イチイの枝は、パームサンデー(棕櫚の主日)に行われる教会の儀式で、棕櫚の葉の代りに使用された事もあったため、中世の時代には、パーム・サンデーは、ユー・サンデーと称された事もあり。毒性があるため、家畜にむしゃむしゃとやられてしまう事もないのも、教会の敷地を守るのに便利であったのでしょう。

そんなお役立ちの、イチイの木。木の皮のすぐ内側にある白い部分(サップウッド)は、木が風になびくときなどに、ボキンと折れぬよう、柔軟な素材であり、さらにその内側にある赤みがかった色の部分(ハートウッド)は、収縮された時の圧力に強い性質を持つ素材。これは、木に強風が当たる時の事を頭に浮かべれば、わかりやすいですが、木の外側の部分は、風になびいて少々くなっと曲がり、木の内側は、その圧力で、いささか収縮する・・・この多少異なった特徴を持つ2つの木の部分を巧みに利用し、弓糸を張ってあるのと反対の部分にサップウッド、糸を張ってある側に圧力に強いハートウッドがいくようにして、木目にそって弓を作ったわけです。その割合なども微妙で、作るのに、なかなか技術を要したのではないでしょうか。弓の長さは、約173センチ~193センチ。かなり長いのです。まあ、だから、ロングボウと呼ばれるのですが。

練習し慣れた弓兵たちは、矢を続けざまに、すばやく放つ事ができたため、多くのロングボウを使用して総攻撃をかけると、空が真っ黒になる様な、すさまじいものがあったようです。ロングボウを使うと、1分で8~10本の矢、最高で12本をほど放て、矢の飛行距離は、約270メートル。この距離でも、露出している兵士の身体や馬などを傷つける事ができた上、30メートル以内になると、矢が、鎧を突き抜くこともできたとか。

大陸ヨーロッパ、特にフランスで、この頃、よく使用されていた弓は、クロスボウと呼ばれるもの。ロングボウよりも、矢が速く飛び、正確ではあったものの、1回ごとに、矢をしこんで射るのに、時間がかかるのが難点。クロスボウでは、最高で1分で4本の矢を放つのが限度だったという事です。

上の写真は、博物館で見たクロスボウ。たしかに、操作がちょっとめんどくさそうです。

ロングボウが、特に大活躍を始めるのは、エドワード3世の下。エドワード3世の時代に始まった、フランスとイングランド間の百年戦争で脚光を浴びると事となります。それまで、イングリッシュ・ロングボウは、対スコットランドの戦いなど、グレートブリテン島内部のみで使われてきており、クロスボウを使用するフランス軍は、大量に導入されたイングリッシュ・ロングボウの威力を、百年戦争前は経験していなかったのです。

1346年、百年戦争の一環である、クレシーの戦いで、エドワード3世は、このロングボウを効果的に利用し、フランス軍は、雪の様に降り落ちてくる矢を振り払うのに必死、イングランドの勝利に終わります。この際のイングランドの弓兵の数は、6千から1万などとも言われ、1分間に5万もの矢が、フランス軍の上に降りかかってきた事になるわけです。ただし、弓兵一人が有する矢の数には、限りがあったでしょうから、1,2分矢の集中攻撃をかけたら、また矢を拾い集めねばならん、という事実もあります。が、1分に5万の矢が降ってきたら、倒れる馬もいるでしょうし、重い鎧をつけて転び、起き上がれない騎士もいるでしょうし、長時間の弓攻撃をかけるまでもなく、フランス軍に、十分な打撃を与える事ができたのでしょう。

また、前回の記事で言及した、ヘンリー5世のアジンコート(アジャンクール)の戦いでも、ヘンリーの軍の内訳の75%は、ロングボウの弓兵で編成されていたそうで、約3時間で終わったという、この戦いの勝利も、ロングボウによるところが大きいようです。

イギリスでは、人差し指と中指を立てて、手の甲を外側にして相手に見せるジェスチャー(Vサインをして、手の甲を外側に向けたもの)は、相手に対する侮辱を表しますが、このジェスチャーの始まりは、アジンコートの戦いで、ロングボウの弓兵が見せたジェスチャーであった、というまことしやかな説があります。ロングボウ攻撃にてこづった、フランスの騎士が、「弓が射れないように、指をちょんぎってくれるわ!」とのたまった。それに答えて、弓兵は、「俺の指はまだあるぞ!まだまだ、矢を放てるもんね!ほれほれ!」と2本の指を振って見せた・・・というのです。侮辱のジェスチャーが、宿敵フランスに対してだった、というこの伝説、真偽はさておき、愉快なものがあります。

現在は、イングランドがフランスへ侵攻するどころか、イングランド、特にロンドンへのちょっとしたフレンチ・インベージョンが起こっています。大学を出たものの、母国で仕事がなかなか見つからないフランスの若者が、どんどんロンドンへ移住しているのです。また、事業を始めるのにも、何かと規律規制がうるさいフランスを捨てて、起業をしたいフランス人も、ロンドンに惹かれててやってきている。そのため、ロンドンはフランスの第6の都市などとも言われています。フランス国内を含めて、フランス人の人口が6番目に高い町がロンドンだと。うーーーん。百年戦争で、最終的にイングランドが勝って、フランスがイングランドの領土として留まっていたら、フランスの若者も、わざわざ、他国にやって来る必要もなかったのにね~。

コメント