スコットランド独立?

今年2014年のイギリスの話題としては、第一次世界大戦開始(1914年)の100周年記念の数々の式典が予定されている事、そして秋には、スコットランドにて、スコットランドのイギリスからの独立を国民に問うレファレンダム(国民投票)が行われる事が、まず頭に浮かびます。

折りしも、今年は、スコットランドのロバート・ブルース(ロバート1世)がエドワード2世のイングランド軍を大敗させた、バッノクバーンの戦い(Battle of  Bannockburn、1314年)の700年記念の年。スコットランドのファースト・ミニスター(スコットランド議会の長)、アレックス・サモンド(上の写真右)は、自分の在職中に、スコットランド独立を達成させ、新しいスコットランド建国の父などとして、歴史に名を残したいところなのでしょう、必死で、スコットランド国民にイングランドからの独立に投票するように呼びかけています。若者の方が、「独立」のロマンに誘われて、イギリスからの独立にイエスと投票しやすい傾向があるらしく、この投票に関しては、16歳から投票していいことにしようなどと、ちょっとずる賢い方針などもとっています。ついでながら、スコットランドの英雄として称えられるロバート・ブルースは、民族的には、スコットランド人とは言いがたい人のようですが。

もし、スコットランドが、本当にイギリスから独立することになったら、資産や負債をどう分けるか、比較的はっきりしている国境線はともかく、大切な北海油田を有する海域をどう分けるか、軍事はどうするのか、色々、解決が必要な問題は数限りなくあります。今のところ、アレックス・サモンドは、もちろん油田はスコットランドのもの、世界でも大人気のイギリス王室はキープしたい、通貨は、今のところ調子の悪いユーロでなくて、ポンドを使い続けたい、BBCの放送も維持したい・・・などと、勝手に、良いとこ取りのような事ばかり言ってますが。実際に、詳細をきめる段階で、喧々囂々の大騒ぎとなる事は必至でしょう。無理やり例えると、仮に、北海道の人口の大半がアイヌ人であったとして、北海道を日本から独立させようという事になったら、どういう問題が出てくるか・・・という風に想像してもらえればよいかと思います。

去年、ウィンブルドンを優勝、一昨年のオリンピックではイギリスへテニスの金メダルをもたらしたアンディー・マリーなどのスコットランド出身スポーツマンが代表する国が、イギリスでなくなる・・・という事も持ち上がってきます。更には、労働党支持者の多いスコットランドを無くす事は、イギリス労働党(レーバー・パーティー)にとっては大きな痛手でもあり、スコットランドの無いイギリスは、もっと保守的になる、という話もあります。イギリスという国が小さくなると、当然、世界を舞台としての発言力も小さくなるでしょうし。フランスあたりは、イギリスが小さくなるのには、大喜びで、スコットランド独立を密かに望んでいたりするかもしれません。一方、自国内に、やはり独立しかねない、カタルーニャなどの地域を含むスペインは、スコットランドの独立騒ぎを、ひやひやしながら見ているかもしれません。独立したスコットランドが、EUに加盟しようとする際に、スペインは、スコットランドの参加に反対するのではないか、などという噂もあります。

私は、基本的にスコットランド独立には反対ですが、投票権は当然ないし、どうなるでしょうね。実際、スコットランドに油田が無かったら、独立騒ぎにはなっていなかったかもしれません。奥さんが、宝くじをあて、もう、うるさいだんなはいらない、ポイしよう、なんていうのと、あまり変わらない気が・・・。宝くじの金も場合によっては一生続かないし、油田もいつかは使い果たされる日がくるかもしれない。オイル・マネーに裏打ちされた安心感と、あとは誇りと感情のみで、独立に、イエス投票する人が多くない事を願っていますが。


以前の投稿「イングリッシュとブリティッシュ」でも書いたように、イギリスの正式名称は、United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland(グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国)。グレート・ブリテンは、イングランド、ウェールズ、スコットランドと、以前は、別々の王国が、徐々に統一されたものです。

まず、ウェールズは、13世紀のエドワード1世の時代に、イングランドの支配下に入り、エドワード1世は、自分の息子(後のエドワード2世)に「プリンス・オブ・ウェールズ」の称号を与えています。それ以来、イングランド王・女王の長男は、伝統的にプリンス・オブ・ウェールズとして知られます。(現プリンス・オブ・ウェールズのチャールズ皇太子の、プリンス・オブ・ウェールズ叙位・授位の儀式に関してはこちらまで。)

1603年、エリザベス1世が世継ぎを残さず死去した後、メアリ・スチュアートの息子、スコットランドのジェームズ6世が、イングランドのジェームズ1世として君臨。以来、イングランドとスコットランドは同じ王の下に置かれる事となりますが、実際の政治的統合をみるのは、アン女王の時代。スコットランドが、独自の教会と法律のシステムを維持する事を前提に、1707年の連合法(Act of Union)により、グレートブリテン島は統合され、ひとつの国家となるのです。

1800年に、更なる連合法により、アイルランドが、イギリスに加わります。そして、スコットランド、イングランド、アイルランドの国旗をそれぞれ重ね合わせたユニオンジャックがイギリスの国旗となるわけです。気の毒に、一番最初にイングランドに飲み込まれ、独立運動なども起こる気配を一切見せないウェールズのシンボルは、全くイギリスの国旗に組み込まれていないのです。統合後も、複雑かつ怨念の歴史を持つアイルランドの国民意識は、ふつふつと煮え立って、アイルランドは、後、1922年に独立国となり、北アイルランドのみが、イギリスの領土として残る事となります。

スコットランドが独立してしまったら、このユニオンジャックも変更するのでしょうかね・・・。スコットランドの青を削ってしまうと、視覚的にも、少々物足りないものがあります。という事で、次回は、ユニオンジャックについて詳しく書きます。

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