ジョン・キーツの「秋によせて」

Season of mists and mellow fruitfulness
うす霧とやわらかなる豊穣の季節

この季節になると、時折ラジオなどで引用されるのをよく耳にするこのフレーズは、イギリスの詩人ジョン・キーツの「To Autumn」(秋によせて)の冒頭の部分です。つい先週も、「朝もやは、10時頃まで消えません。」という天気予報の後、「Season of mists and mellow fruitfulness」だからね・・・などとニュースリーダーがコメントをしていました。

収穫の終わった、丸めた干草が転がる田畑や、色がかわりつつある木の葉がやわらかな光に包まれる風景の中を車で横切るときに、毎年の様に、まったく文学っ気のないうちのだんなの口からも、「Season of mists and mellow fruitfulness」とこぼれ落ちるくらいです。ただし、数年前、私に「誰の引用?」と聞かれて調べるまで、うちのだんなは、シェイクスピアからの引用だと思っていたようですが。もっとも、普段、詩にはほとんど興味の無い私も、それまでは、「秋によせて」を読んだことがなかったので、えらそうな事は言えません。キーツは、シェイクスピアから多大な影響を受けたようなので、シェイクスピアからの引用、と思っていたのも、それほどはずれた推測ではないでしょう。

ジョン・キーツ(1795-1821年)は、26歳にして夭折したイギリスの詩人。実際に、彼が、詩人として活動したのはわずか3年。

ロンドン、シティー内で馬屋を経営していた父のもとに生まれ、8歳の時に父を事故で、14歳で、母を結核で亡くします。溺愛した母が病の床についてからは、それは良く看護をしたという話です。

最初は、医者になるべく、地方の医師のもとに奉公へ。余暇のほとんどは読書に費やしたといいます。のち、テムズ南岸にあるロンドンのセント・トマス病院、ガイズ病院で学んだものの、自分の人生は詩にあると、医師としてのキャリアを断念。上の写真は、キーツが医学生の時代に住んでいた、ガイズ病院付近の建物です。

初の詩集を発表するのは1817年。1818年に、友人のチャールズ・ブラウンと、スコットランドを歩いて旅をした後から、結核の兆候として、時折、のどの痛みを訴えるようになります。旅行の直後、弟のトムが結核で死亡。母の病の時と同じく、キーツは、死に行く弟を3ヶ月に渡り看護したそうです。また、この年、恋人、そして婚約者となる、ファニー・ブローンともめぐり合います。

結核が悪化した1820年春に、キーツは、彼の有名な詩のほとんどが含まれる、最後の詩集を発表。9月には、イギリスの湿った寒い冬を避けるため、医師の勧めでイタリアへ向かうことに。友人の画家ジョーゼフ・セヴンと共にまずはナポリへ向かい、やがてローマのスペン階段わきの家で病床につくのです。セヴンは、それは献身的に、無一文のキーツの看護にあたるものの、その甲斐も無く、キーツは1821年2月にセヴンの腕の中で死去。死んだ時には、やせ衰え、肺がほぼ完全に侵されて、無くなっている状態であったと言います。キーツは、病床から、セヴンに、自分の墓石には、「Here lies one whose name was writ in water. その名を水に刻まれし者、ここに眠る」と彫って欲しいと伝えます。すでに、イギリスを旅立った段階で、死ぬとわかっていた彼。詩人としての名声も、ファニーとの結婚も、自分の手から滑り落ち、ジョン・キーツの名は、文学史にとどまることも無く、川の水の様に流れていくだろう、という諦めの意味でしょうか。

キーツの死んだスペイン階段の家は、今は、キーツ・シェリー・メモリアル・ハウスとして、19世紀初期のイギリスの文学人、キーツ、シェリー、メリー・シェリー、また、やはり一時、スペイン階段のそばに住んでいたバイロン関連の物を展示した博物館となっています。もう20年以上も前にローマへ行った時は、スペイン階段と言えば、オードリーが「ローマの休日」でアイスクリームを食べた所、という感覚しかなかったので、この博物館は訪ねなかったですが。またローマに行く機会があれば、ローマ内の小さな昔のイギリスを覗いてみても良いかもしれません。「Here lies one whose name was writ in water. 」と彫ってあるキーツの墓もローマにあるそうです。いまや、キーツより25年前に生まれ、キーツの死から29年後に死亡し、彼の3倍の以上の長寿をまっとうしたワーズワースと同じほどの名声を得ていますので、その名はしっかりと、文学史に刻み込まれ、水の泡と化すことはないのですが。でも、26は、若いですよね。自分が26歳の時を思い起こすと、まだ人生始まったばかり・・・のような感覚でしたから。

キーツが、その短い人生の後半に、チャールズ・ブラウンと共に住んだ、ロンドンの北部のハムステッドにあった家は、キーツ・ハウスと呼ばれ、一般公開されています。父親がシティーで働いており、彼自身もシティー内で生まれたというゆかりから、ハムステッドに位置するにも関わらず、シティー・オブ・ロンドンにより、所有、管理されています。大昔、このキーツ・ハウスに徒歩で行ける場所に、数年住んでいたのですが、住んでいる時は、そういうものが近くにある、ということは知っていて、その前を何度か通り抜けながら、実際に内部を訪れた事はなかったのです。そんなものですね、灯台もと暗し。そこで、今更ながら、このキーツ・ハウスを、秋によせて、初めて訪問して来ましたので、次回の投稿に書くことにします。こちらまで。

「秋によせて」の英語の原文は下まで。最初の一説だけ訳してみました。

To Autumn


Season of mists and mellow fruitfulness
Close bosom-friend of the maturing sun
Conspiring with him how to load and bless
With fruit the vines that round the thatch-eaves run;
To bend with apples the moss'd cottage-trees,
And fill all fruit with ripeness to the core;
To swell the gourd, and plump the hazel shells
With a sweet kernel; to set budding more,
And still more, later flowers for the bees,
Until they think warm days will never cease,
For Summer has o'er-brimm'd their clammy cells.


Who hath not seen thee oft amid thy store?
Sometimes whoever seeks abroad may find
Thee sitting careless on a granary floor,
Thy hair soft-lifted by the winnowing wind;
Or on a half-reap'd furrow sound asleep,
Drows'd with the fume of poppies, while thy hook
Spares the next swath and all its twined flowers:
And sometimes like a gleaner thou dost keep
Steady thy laden head across a brook;
Or by a cider-press, with patient look,
Thou watchest the last oozings hours by hours.


Where are the songs of Spring? Ay, where are they?
Think not of them, thou hast thy music too,-
While barred clouds bloom the soft-dying day,
And touch the stubble-plains with rosy hue;
Then in a wailful choir the small gnats mourn
Among the river sallows, borne aloft
Or sinking as the light wind lives or dies;
And full-grown lambs loud bleat from hilly bourn;
Hedge-crickets sing; and now with treble soft
The red-breast whistles from a garden-croft;
And gathering swallows twitter in the skies.

うす霧とやわらかき豊穣の季節
熟れゆく太陽の心の友
太陽と共に密かに企て
わらぶき屋根の軒にからまる
ぶどうの枝に実を与える
苔むす田舎屋の木の枝を
りんごの重みでたゆませる
すべての果実を芯まで実らせ
瓜を満たし、ハシバミの殻を
甘き実で膨らませ
蜂達のためと、遅咲きの花につぼみを与え
与え続け
暖かき日々は終わる事ないと思わせるほど
夏は、冷たき貯蔵庫より
いまや豊かに溢れ出る

1節目で上の訳の様に、秋の豊穣を唄い、2節で実りの収穫、3節目で秋の衰退となります。

今のところ、秋はまだ死んでおらず、収穫は続いています。庭のりんごの実も落ちきっておらず、枝についたままのものもあり。ハシバミの実は、緑から茶色へと変わりつつあるところで、遅咲きの花たちが、花壇を色取ってくれています。残る豊穣の日々を楽しみましょう。

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