ピーピング・トム

この映画の原題「ピーピング・トム」(Peeping Tom)とは、俗に言う覗き魔の事。女性連続殺人の話ですが、殺人場面自体は、ほとんど無血で、グロテスクな描き方はしていない、心理スリラーです。題材がショッキングであったため、公開当時は、批判を受け、マイケル・パウエル監督のキャリアに、傷が入った作品と言われています。邦題は、「血を吸うカメラ」・・・蛭か、ドラキュラの手下じゃあるまいし。

生物学者の父を持ったマーク。幼い頃から、父の実験の対象とされて育ちます。父は特に、神経が「恐怖」に対しどういう反応を示すかに興味があり、ベッドに眠る息子の顔に懐中電灯をちらちら当てたり、トカゲを布団の上に投げたりし、息子が恐がって鳴いたり叫んだりする様子を録画録音。こんな変な親に育てられたら、精神的にひしゃげた物を隠し持ち成長してしまっても、無理は無いのです。

マークは、お上品なお坊ちゃま風。多少おどおどした感じで、物腰も柔らか。彼の夢は将来映画を作ること。映画撮影のカメラマンの一人として働き、また、時に、お色気モデルの写真を取ったりする毎日。ビデオカメラを肌身離さず、どこへ行くにも持ち歩く彼。そのビデオカメラの三脚の脚のひとつが、先の尖った凶器となり、彼は、何人かの女性を、その凶器で突き殺しながら、女性の死に際をビデオで取り、それを、あとで自宅で現像し、家庭映画館で鑑賞。女性達が、死に直面し、恐怖におののく顔を見るのが好きと言う、変な殺人鬼と化していたのです。

そのうち、マークは、同じ建物の一階に、めくらの母親と住む、明るく社交的なヘレンに恋心を抱き始める。そして、彼女と、彼女の母親を、殺そうとする衝動と戦う事となります。母親は、目の見えない人間の鋭い第六感で、マークの精神が病んでいるのに気づく。彼が、窓の外から、ヘレンと彼女のいる室内を覗いている時なども、「首の後ろに視線を感じる」と気づくほど。

ヘレンは、マークを、ビデオカメラを持たずにデートへ誘う事に成功し、マークは、ビデオから離れられた開放感を味わい、「もっと早くヘレンに会っていれば」と思う。ラストは、警察に自宅までつけられたマークが、ヘレンの見る中、三脚の脚の凶器を使い、首を刺して自殺するのです。「ヘレン、僕は怖いが、うれしい。」と言いながら。

余談ですが、ヘレンが部屋へ遊びに来ると、飲むものが他に無いからと、マークがいつも牛乳をグラスに一杯ついで出してあげるというのが、何となく可笑しくて、一人でうけてしまいました。

ピーピング・トムは、覗き魔の意味だと書きましたが、もう少し難しい、スコプトフィリア(scoptophilia ギリシャ語で「凝視する事を好む」の意)という言葉も映画の中で使われていました。マークの父は、また、このスコプトフィリア研究の権威でもあり、「どういった要因で人はピーピング・トムになるのか」という研究もしていた人。自分が、実践で、息子をピーピング・トムに作り上げてしまった結果とあいなったわけです。

scoptophiliaの様に、-philia フィリアという語尾で終わる単語は、「-を好む事」という意味の言葉を作ります。これが、-phile ファイル、となると形容詞、または、「-を好む傾向のある人間」の意で使われます。例えば、イギリスを好きな人の事を形容するのに、anglophile アングロファイルという言葉を使い、

He is an anglophile.
彼は英国びいきだ

アングロファイルを自負するならば、こうしたイギリスの過去の名作を沢山見ましょう。

原題:Peeping Tom
監督:Michael Powell
言語:英語
1960年

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